「生きて観ることができて良かった」planetarian 星の人 もっと変なPさんの映画レビュー(感想・評価)
生きて観ることができて良かった
配信版を見て一気に惹かれた作品です。
人によってはバッドエンドに思える作品ですが劇場版は私にとってこれ以上は望めないほどのハッピーエンドでした。
ゆめみの行動理念はロボットらしく一貫しています。
人間の役に立ちたい、星のことを多くの人に知ってほしい。
世界が壊れているのに壊れているのは自分だと思うようにした。
そんな中で記録された経験からほんのわずかな自我も垣間見えました。
30年ぶりに訪れた客についはしゃいでしまうゆめみ。
そのはしゃぎっぷりはリボンに花びらを出したり250万人目のお客様と嘘を吐いてしまうほど。
黙れと言われても喋らずにはいられない。
星の人が去る時ももう二度と人間に会えないかもしれないとの想いからせめて見送りをしようと独自の判断で付いていこうとします。
それは星の人が屑屋から人生を変えてしまうほどの衝撃を与えます。
夢も希望も無い時代に純粋なやさしさがそこに在りました。
星の人は湧き出るこの想いを消してはならぬと一生を捧げることになります。
ゆめみに感情移入してしまったからだけではありません。
夢も希望も無い時代に夢と希望が有った時代の名残がそこに在った。
ゆめみに関わった全ての人の想いが残っていた。
星の人はその人達の想いも受け取ってしまったのです。
そしてその人達の想いと星の人をつないだのは
ロボットであるゆめみであることもポイントです。
スタッフはゆめみの電源を落とすことができませんでした。
機械は定期的に電気を通した方が長持ちするので理に適っているのですが
ゆめみをずっと一人ぼっちにさせてしまうという罪悪感がありました。
ゆめみのことを想うなら電源を落としてあげることが最善だと分かっていながら落とすことができなかった。
戻ることは絶望的なのに様々な未練からゆめみは稼働し続けることになりました。
その未練から永く受け継がれる意志が誕生します。
滅びゆく世界の中でも子供たちは希望を失っていませんでした。
星の人は自分の意志を継いでくれる子供たちに希望を託し物語は終わります。
クライマックスのシーンではゆめみがやっと渡すことができたと話しますがこの言葉にはこの作品に携わった全ての人の想いが込められています。
作品が発表されてから12年の歳月を経て映像化されたことも含まれているのです。
星の人の「報われた」もそうです。
この言葉は星の人が自分のやってきたことはただの自己満足ではないかと疑問を持ち続けていたことに由来しています。
そしてその言葉には星の人だけでなく作品内外に関わった全ての人の想いが込められていました。
機会があれば多くの人に観ていただきたい作品です。
きっと心に何かを残してくれる作品です。