「教えられるのではなく、自ら学ぶ、という教育。」奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
教えられるのではなく、自ら学ぶ、という教育。
問題児だらけの学級を教師の指導と愛で変えていく物語は数多ある。しかしながらこの映画が大きく違うのは、教師の立つ場所だと思う。多くの作品においては、教師が生徒を率いて先頭を立つイメージが強い。しかしながらこの映画の教師は、生徒たちを自由に歩かせそれに寄り添うように立ち、時々進む方角がずれそうな時にだけ、軌道修正の手を入れる。確かに、教師は「アウシュビッツの子どもと若者たち」というテーマとコンテストへの出場という機会を与えはするが、それはきっかけを作ったに過ぎない。コンテストへ参加するか否かも彼らの任意であるし、テーマについての考察、意見、調査、論議、淘汰、思考ということは、すべて生徒たち自身の主体的な力だ。教師は彼らのそばで「見守る」という、積極的かつ忍耐力を要する教育を生徒たちに施していく。その姿が印象深い。
「最近の若い奴は・・・」とはもう大昔から常々言われ続けていることだが、この言葉はろくに若者を知らない人が使う言葉だ。確かに若い世代はまだ物を知らず、甘ったれな部分に違いはないが、その一方で、何かを感じ取る力、何かを創造する意欲、エネルギーと行動力、繊細な感性、着想の面白さ、真意を見抜く鋭さ・・・など、大人よりも優れている点は数え切れないほどあるのも事実で、若者と本気で向き合ったことがある人ならそれを実感しているはずだ。この作品を見ても良く分かる。冒頭部分での荒れた様子は困りものだが、きっかけ一つで彼らはみるみる変わっていく。いや変わったのではない、本来彼らが持っていた力が引き出されたのだろう。彼らはただ迷っていただけだ。自分に才能があるかどうかも分からない。自分に何が出来るのかも分からない。何か出来るかもしれないけれど、どうすればいいのか分からない。だから有り余るエネルギーを持て余していた。それならば大人が、その有り余るエネルギーを意味のあるものへと変える方法を指し示せばいい。あとは若者たちの優れた感性と漲るパワーで、大人をも凌駕するものを生み出すことが出来る。そしてその時に最も重要な要素は、若者を「信じる」という姿勢であり、それを表現したのがこの映画の教師だ。
この作品を見ていると、まるでドキュメンタリーを見ている気分になる。何しろ、登場する若者たちのエネルギーが正真正銘ホンモノだからだ。体当たりでスクリーンにぶつかり、全身でカメラの前に身を投じ、全力で物語と歴史に向き合うその姿はノンフィクションに近い。監督も主演女優もそれを重々承知で、役者であり生徒であり若者である彼らをとことん信じ切って作品を作り上げたのが伝わるような気がした。この映画の主役は生徒たちのエネルギーだ。
それと同時に、我々がついリベラルなイメージを抱きがちな「フランス」という多民族多宗教国家が内包する不公正さと不自由さに対する作り手の思いにまで到達するなんて、ただただ唸るばかりだ。