「老いることもまた、人としての尊厳を失うことなのだろうか?」92歳のパリジェンヌ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
老いることもまた、人としての尊厳を失うことなのだろうか?
尊厳死というものは、今後世界で多く議論されることになる題材の一つだろう。不治の病や大怪我だけでなく、老いて正常な生活が送れなくなったりした時、尊厳死は生き方の選択肢の中に浮上する。もちろんそれには様々な意見や議論があるし、私自身が、あるいは私の身近な人が、と考えれば、とても簡単な結論が出せないものでもある。この「92歳のパリジェンヌ」はそのお洒落ぶった邦題とは別に、老齢からくる生活の不自由を感じた時に選択する尊厳死と、その周囲の人々の心模様に問いかけをする映画だった。
私は、尊厳死も一つの生き方の選択肢であると考えているが、正直なことを言うと、私にはこの映画の主人公マドレーヌを好意的に見ることは出来なかった。私はまだ若いので、老いによって生活の質が低下していく恐怖や、今後自身の肉体がますます不自由になっていくことの恐怖などは確かにいくら想像を巡らせても計り知れないだろうし、マドレーヌのQOLが当然守られてしかるべきものだと断言する。しかしながら、マドレーヌが死の決断にまで思い至るほど葛藤し苦悩したその考察がこの映画からは感じられず、彼女の「気力のある今のうちに死にたい」という希望を鵜呑みにして共感してあげられるほど私は優しくはなれなかった。誤解を恐れずに、ひどく意地の悪い言い方をしてしまえば、これは尊厳死という概念を利用して周囲を散々振り回した挙句の自殺、に見えてしまった。「これは私の人生よ!」は万事の免罪符となる魔法の言葉ではない。
死の宣告をすれば、家族が動転し動揺し困惑するのは目に見えていることなのに、わざわざ死の2か月前の誕生日パーティーの席という芝居がかったやり方でそれを宣言する気持ちも私には理解してあげられないし、2か月という猶予によって家族が救われるとも思えない。この「尊厳死までの2か月」というところに映画的な作為が感じられて逆に共感を妨げたような気がするし、全体的に見てもちょっとこの映画は尊厳死を美化し過ぎではないか?という気さえしてしまう。
一方で、家族から突然死の決断を聞かされた者たちのそれぞれの受け入れ方、という点では娘、息子、孫、ヘルパーなどのそれぞれ違った視点から、それぞれ違った経路で死の決断を受け入れていくその様子はなかなか興味深く見られた。ただの分からず屋にしか見えなかった息子ピエールのことも、しかし誰が彼を責められるだろうか?家族の死を受け入れるのに辿るルートは人それぞれで、それぞれの苦しみ方とその癒し方があるのだということをこの映画に感じた。