「なつかしい思い出」シング・ストリート 未来へのうた 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
なつかしい思い出
80年代、ヒット曲は何週も連続した。
見慣れてしまったプロモーションビデオが、これでもかというくらいローテされていた。
テレビを点ければ、ウッドベースをつま弾きながらスティングがEvery Breath You Takeと歌っていた。ジョージマイケルがケアレスウィスパーを歌っていた。フィルコリンズがワンモアナイトを歌っていた。マドンナがマテリアルガールを歌っていた……
今よりも、アーチストの動いている姿が、貴重なものに見えた。
極東の地方人にとって、それが見られるのはコンサートではなく、プロモーションビデオだった。
小林克也のベストヒットUSA、ピーターバラカンのポッパーズMTVを見るのが楽しみだった。夜中にやるのでとても眠かった。
80年代のプロモーションビデオは、稚拙な演出や誇張が目立った。
ヒューグラントとドリューバリモアのラブコメMUSIC AND LYRICS(2007)やこの映画には、当時のPVのキッチュ感が、よくあらわれている.
わたしはむかしから洋楽が好きだったが今でいう厨二であり洋楽一辺倒だった。
英米なら英。レーベルで言うとラフトレード、ヴァージン、ブランコイネグロ。ブリティッシュ・インヴェイジョンをとうぜんと思っていた。
いちばん手に負えない種類の洋楽厨だった。
が、いまと違い情報が無く、一人孤独に英米のロックを調べ発見し聴き収集していた。
よく西新宿に輸入盤を買いに行った。
あのころ、塩化ビニールの溝を、針が辿る、レコードというものを聴いていた。
それにまつわる再生機器は、何もかも滅茶苦茶に高かった。
秋葉原でテクニカの3万円もするカートリッジを買ったのをおぼえている。
カートリッジにおいて3万円は普及価格帯だが、わたしには痛かった。
それを買ったのはスクリッティポリッティのアルバムに、何か聞こえない音がある気がしたからだ。どうしてもカートリッジを変える必要がある──と信じていた。
すでにCDの時代にはなっていたが、それまでのレコードが山のようにあった。
なんとなく断ちきれない思いもあった。
ボウイでいえばtinmachineのあたりまで、アナログ厨だった。
映画で、主人公コナー君は、新しいアーチストとの邂逅のたび、それに傾倒する。
デュランデュランに傾倒してジョンテイラー、キュアをきけばロバートスミス、スパンダーバレーを見てニューロマンティック、ホールアンドオーツに惹かれてマンイーター。
面子をあつめてバンドを組み、外見や楽曲を模倣し、スターを夢見る。
わたしは、ただ聴いていただけで、なんにもしなかったのだが、あのころの楽曲とコナー君の衝動が、じぶんと重なって、一曲ごとに胸がしめつけられた。
In Between Daysを聴きながらハワードジョーンズにはしたけれどロバートスミスにはできなかった。ことを思い出した。ちなみに髪型だが。
ラフィナはキムワイルドを彷彿させた。金髪でブリッジのプロデューサー君、ドングリ頭のベース君が愛嬌たっぷりでかわいかった。また兄いのブレンダンがカッコよかった。
マンイーターを真似たモータウンサウンドを、プロムで生演奏、のシーン──がある。
現実のやっかいごとが解決して、みんなが仲良く一つになって、盛り上がった、と思ったらコナー君の妄想だったというくだり。理想と現実、どうしようもない隔たり。わたしも、あんな妄想を、何度したことだろう。
そのどうしようもない現実との隔たりを、何とか埋めようとする、コナーとラフィナの恋路が描かれている。
修道士長バクスターの面をかぶってのBrownShoesのシーン。ラーズのThereSheGoesをはじめて聴いたときみたいな興奮だった。
ラスト、海水に晒されながらロンドンへ向かう二人の小舟に、青春というコトバを思い出した。
ただしJohn Carneyは同世代=四五十代に懐メロを提供して涙をさそっている──だけじゃない。
バリーは、コナー君に目を付け、ことあるごとに、かれををいじめる。だけど、厄介者のバリーが、飲んだくれの親父から、虫けらのようにブン殴られるのをコナーたちは目撃する。ステージで、粗暴なだけのバリーが、生き生きとロードクルーをやっている描写がJohn Carneyの良心だと思う。ダブリンの低所得者層に寄り添っていた。たんなるノスタルジーのドラマじゃない。
監督がほぼ同世代ゆえ、じぶんの青春とかぶっていて、夢中になった英米ロック・ポップと同時に、懐かしい80年代を思い出した。
105分間、ずっと、死に際の、沖田艦長みたいに、なにもかもみななつかしかった。
John Carneyさん、ありがとう。