ハリウッドがひれ伏した銀行マンのレビュー・感想・評価
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陰の功労者
製作・監督のローゼマイン・アフマンさんは主人公フランズ・アフマン氏の愛娘、ニューヨークの国際写真センターでドキュメンタリーとビジュアル・ジャーナリズムを学んだ彼女は父がすい臓がんであることからオランダに帰郷し父の功績を辿る記録映画、エンディング・ノートの製作に臨みました。フランズ・アフマン氏の功績は概ね映画.COMの解説に有る通り、私も本作で初めて知り、映画製作の裏舞台を垣間見ることが出来ました。
「プラトーン」のアカデミー受賞式で「ジャングルにお金を届けてくれた」と氏への謝辞がのべられますが後にも先にも授賞式で名のでた銀行家はフランズ・アフマン氏だけでしょう。
Going Dutch(オランダ流)とは割り勘のことと言うくらいですからロッテルダムの銀行員となれば相当お金にはシビアと思われます、そんな主人公が口座開設に来た映画プロデユーサーのディノ・デ・ラウレンティス氏と出会い、映画のことで意気投合したことから映画への銀行融資の新たなビジネスモデルが産声を上げます。もし、この出会いがなかったら80年代の独立系の数多の名作映画は誕生しなかったかと思うと実に感慨深いですね。
しくみを簡単になぞるとお堅い銀行は映画のような水ものには投資しない、融資としても担保を何にするかで知恵を絞った、彼の父が芝居の興業に携わっていたころの前売りのアイデアがヒントになったようです。
「ランボー」や「ターミネーター」などを製作したカロルコ・ピクチャーズなど独立系のプロダクションは創始者の経歴もあって中東や極東のマーケットに精通しており、メジャーが嫌うインディアンものやベトナムものSF作品などに活路を見出していたものの、どこも資金集めに喘いでいた。
そこに内外の配給権を担保にするという氏のアイデアで銀行融資が可能となり、本作にも登場する数々の名作、傑作が生まれたわけである、ただ映画撮影にトラブルはつきもの、そこで完成保証という保険をかませるスキームとなった、映画でも完成保証人のバックリー・ノリス氏が出てくるがAon / Albert G. Ruben Insurance Services、Incなどという保険会社が大手だったようだ、保証料は製作費の2~5%、銀行の利息は3%程度だったらしいからウィンウィン、持ちつ持たれつで成功したのだろう。
ただ、うまい話には欲深い奴が出てきてかっさらうのが世の習い、トラボルタの「ゲット・ショーティ」のモデルになったというイタリアの金貸し業者ジャンカルロ・パレッティのうさん臭さに嫌気を刺してビジネスから引退してしまう、半沢直樹のようにはいかないのが現実なのでしょう。
フランズ・アフマン氏は映画の公開を待たずして2011年、77才で亡くなりました、ご冥福をお祈りします、名作を残して下さりありがとうございました。
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