「観ている側も憂鬱になるほどの生きにくさ」ティエリー・トグルドーの憂鬱 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
観ている側も憂鬱になるほどの生きにくさ
51歳のエンジニア、ティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)は働いていた工場が閉鎖されて失業して1年半になる。
職業安定所の紹介によりクレーン操縦士の資格を得たが、就職の目途はない。
彼には、パートで働く妻と、専門校への進学を目指す障害を抱えた息子がおり、まもなく失業手当が減額されてしまうから、生活は一層厳しくなる。
そんな中、ようやく得た職場はスーパーマーケットの監視員。
万引き客の摘発だけでなく、同僚の不正行為も摘発しなくてはならず、徐々に憂鬱さは増していく・・・
といったハナシを、ドキュメンタリータッチで描いていきます。
スーパーの現場で彼が目にするものは、愉快犯的な客の万引きや生活に窮した老人の万引き、レジ係のクーポン券のネコババやポイントの不正取得など。
事件の規模からすれば、かなり小さなもの。
しかし、原題「LA LOI DU MARCHE」(スーパーマーケットの規則)どおり、それらは小さいけれど、みな許されるべきものではない。
ただ、ティエリーからみれば、困窮した者のちょっとした出来心からの行為は、お目こぼしがあったもいいんじゃないか、とも思う。
規則規則で、人間の心が削られていると感じている。
そういう「生きにくさ」「生きづらさ」をひしひしと感じる映画である。
であるが、映画としては傑作・佳作とは言いづらい。
思うに、事実は写し取っているが、「映画的な真実(決定的な瞬間)」が欠けているように感じる。
同じように、社会の生きにくさ・生きづらさを描く監督にダルデンヌ兄弟がいるが、彼らが撮る映画には、主人公の決定的に輝く瞬間・転機の瞬間が描かれている。
この映画でも最後の最後、ティエリーはある種の決断をするのだが、その決断の内容は明らかでなく、観客にゆだねられている。
ゆだねられているが故に「いい映画」になる場合もあるが、この映画では、ひたすら憂鬱になるだけだ。
まぁ、それは観ている側のわたしが、ティエリーの決断行為を前向きにとらえていないからなのだけれど。
とはいえ、あまり憂鬱な気分なまま劇場を出るのは、あまりいただけない。