彼らが本気で編むときは、のレビュー・感想・評価
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新宿ピカデリーにて観賞
生田斗真扮するリン子に仕草から表情まで実在感があり、子役や桐谷健太との情感も説得力がある。言葉のテンポも良く、涙を出す場を捻ったオチもありだ。
登場人物が理解ある人、偏見を持つ人で二分されており、特に後者の人物像にリアリティが無いのは勿体ない。
深く切なく、優しく温かい
この作品を見て、井上ひさしさんの言葉を思い出しました。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
見るまでは少しハードな内容をイメージしていましたが、実際は、様々な母と子の関係を公平な目線で描いた、なんとも優しく温かい作品でした。人によって共感ポイントはそれぞれでしょうが、私は11歳の少女の成長物語として鑑賞し、観終わった後は自分の大切な人たちに想いを馳せました。いわゆるお涙頂戴映画ではないけど、静かで温かい涙がすぅーと流れる、そんな秀作に出会えてとても良かったです。
あたたかかった
あたたかさに包まれた映画でした。
それぞれがどんな気持ちで、「それ」を本気で編んだのか。そこに至るまでにどれだけの時間と、感情の渦があったのか。子役の方々が特に素晴らしく、リンコさんの少年時代の演技には涙が流れました。
ただ、カイくんのその後というか、感情や行動の変化があったはずなので、そのあたりがもう少し観たかったです。
良くできた映画だがステレオタイプすぎる
母が突然家を出ていった少女トモは、叔父のマキオの家に身を寄せる。そこで、彼の恋人である性転換手術を受けた女性リンコと出会い、同居生活を送ることになる。最初は元男性のリンコに戸惑うトモだったが、母の愛情に飢えていたトモをリンコは我が子のように可愛がり、叔父マキオと共に家族のようになっていく。だが戸籍が男性のままで理不尽を受ける事やトモの母になりたい気持ちから、リンコは108つの男根の編み物を終えたら、戸籍を女性に変えると決意する。
観る前生田斗真の某コメント読んで色々不安だったけれど、映画としては良くできた映画だった。母の愛情を知らないトモにリンコが惜しみ無い愛情を与え、絆が深くなっていけばいくほど、周りの普通の人々からは異様な関係だと理不尽な迫害を受ける。その理不尽さを乗り越えるために、リンコは編み物を編み続ける…。
生田斗真のリンコは観ているうちに女性にしか見えなくなった。というか女性らしすぎるぐらいで、大変失礼ながら「普通の女性よりも圧倒的に女性らしく」て、そっちの意味で自分は違和感を感じた。けどトランスジェンダー女性の女らしくあろうとする振舞いを、生まれつきのシスジェンダー女である自分が、女性らしすぎると言うのも何だか傲慢だし、暴力的だと思う。しかし、それでもトランスジェンダー女性の描き方はステレオタイプすぎるような気がした。
リンコはトランス女性で、マキオとの関係も異性愛者の恋人のそれだった。トモの同級生のゲイの男の子や、トランスジェンダーへの偏見を描いてはいるけれども、この映画はセクマイの関係というよりは、血の繋がらないリンコとトモが家族になる過程がテーマの映画なのだ。なのでLGBTQ的なものを期待して観に行くと、客は多分違うと感じると思う。むしろリンコの母性愛に対する賛美や、理不尽さに立ち向かうのではなく、編むという行為を通して自分の中で堪え忍ぶことを推奨しているので、マッドマックスFR等が好きな人とかにはなかなか相性が悪い映画だと思う。マキオがリンコに惚れた理由が、母親に対する献身さというのも、女性が追わされているケア性や、そういった社会のイメージを賛美しているようにも見え、自分は違和感を感じた。
つまり、LGBTQを登場させてはいるけれど、多様性があまり感じられない点が気になった。一見してトランスジェンダーと分かる女性や、サッカーではなくバイオリンを弾くゲイ少年。家族の形や、母性愛や、女性らしさ…色んな点がステレオタイプすぎると感じた。
泳魚
騙された。
タイトルからてっきりホイチョイの新作バブル映画かと思ったら、とても丁寧に描かれた“今”の映画だった。
たくさん見てる訳じゃないけど、荻上監督と言えば、日曜の昼にウトウトしながら家のTVで観るような映画を丁寧に撮ってるイメージがあって、いや、今回もそれの延長線上ではあるんだけど、そういう人が撮るからこそLGBTQというデリケートな“今”が上手く描かれているんだなと感じた。
ある人にとってはこれだって日常系映画かもしれないし、でもある人にとっては到底受け入れ難い題材かもしれないし。
劇中の小池栄子やミムラだって、あれが現実ではまだまだマジョリティだと思うし、映画というフィルターを通さなかったら悪人とも言い切れないと思う。
この問題に限らず、みんなが想いを一つにする必要はない、認め合えればそれでいいんだけど、まあ、それこそがとても難しい事だったりするし、“個性”として活かせるかいうのはその人の特性や環境にもよるし、皆が皆スイミーやマツコ・デラックスみたいに上手くいく訳じゃない。
だからこそ、ゆっくり、こうした映画を通して理解を広げて行くことが大切なのかなと。
それにしても、飛び交うチンコ、燃え盛るチンコで涙ぐむとは思っても見なかった。
35
温かさとたくさんの問いかけ。
「普通」とは何か。今の世間においては一般的な形ではないのかもしれないけど、トモとリンコさんとマキオの関係は温かく、そこには刹那的だけれど確かな幸せがあった。
形容しがたい、でも好意によって繋がった温かい関係を見せてくれた作品。
リンコさんとトモの関係が良かった。母娘に近いけどまた少し違う、女同士の関係。
トモがいなくなる前夜、布団の中で2人で強がって憎まれ口を叩き合うけど、その後寄り添って泣くシーンがすごく2人の関係を象徴してた気がする。
同じくトランスジェンダーの人物を描いた「リリーのすべて」を観たときも思ったけど、トランスジェンダーの方は、精神と肉体の不一致によって色んな形で自己を否定され続ける苦しみがあるんだろう。それに胸が苦しくなった(私は想像するしかないけれど)。
でも同時にこの作品を観て思ったけど、公共の場における周囲の対応は難しい。
リンコさんやマキオたちに感情移入するとやりきれないけど、病院での出来事(病室の割り振り)等はある意味では正しいと思う。
マキオもトモもリンコさんの人となりを良く分かってるから、リンコさんは中身は女の人だってことがわかるけど、他の人、断片的に接した人にはなかなかそうは映らない。すぐに理解してもらうのは難しい。
病室だと他の女の人もいるわけで、その人たちがどう思うかも考えちゃうと、トランスジェンダーの方の人権も守るべきだと思う一方で、判断規準が難しいのだ。デリケートゆえに難しい。。
私はまだ良い解決策がわからないけれど、少なくともリンコさんが生きやすい世の中になれば良い、そう思う。
トモが分かりやすく「素直な良い子」じゃない(言葉遣い悪いし、変に正義を振りかざさない)のが良かった。
リンコさんもお酒好きで変に女々しすぎず、マキオに対してもさらりと飾らない人なのが良かった。
生田斗真が「風貌は男性の名残を隠しきれない、でも所作は完全に普通の女の人」になっていたのが絶妙。
とてもとてもとてもいい映画でした。 この世に生まれてきたこの唯一無...
とてもとてもとてもいい映画でした。
この世に生まれてきたこの唯一無二の自分を生きるために、つらいこと悔しいこと痛いことどうしようもないこと、きっといっぱいある、それでも生きるの。
優しく優しく、この社会に横行している「普通」というケモノと戦うの。
人は、それぞれで、いいのよね。
生類憐みの令
やりきれない気持ちを昇華する物語。
マキオを演ずる桐谷氏の棒読みの台詞や、ぎこちない表情が気になって仕方がなかった。
また家庭内でのだらしのない仕草や、リンコさんを抱き締めるシーンでは筋肉の強張りが感じられ、トモの強張りを解く馴染みやすい役柄として不適当である。
また、生々しい家庭・社会問題の上澄みのみ掬うかの如く陳腐で時代錯誤な表現の数々からは、偏見に対する偏見が見受けられ、時折挟み込まれるリンコさんの母親の無神経さをギャグとして見せられても嫌悪感しか抱かない。
自分もトモと同じ母子家庭で、大変な苦労を経験なさっているだろうに、娘のパートナーに対して「片親だからラッキー。」などという非常識な台詞が出てくるなどまずあり得ないだろう。
勿論、敢えてそういう態度であっけらかんと受け入れ昇華しているという表現だが、その演出意図を含めて下品極まりない。
それから、末尾での「姉さんを宜しく頼む。」という叔父の発言にも納得がいかない。
しっかりしていようとトモは子供だ。
何故これ以上、大人の態度・行動を背負わせるのだ。
どうして「いつでも遊びにおいで。」と言ってやれない。
監督の倫理観に疑問符が付く。
現実に子供が思い詰めて自殺する世に於いて、片付けられた部屋を映して締めとせず、理解無き人間に対して、どう向き合い行動していくのかを示す責任があるのではないか。
本気で編む事は大事だが、苦難に対する解決には繋がらない。
本作をトモやカイと同じ様にネグレクトやいじめの渦中にいる子供が観た時、四面楚歌の中で編み続ける孤独を是としかねない。
また、本来助けを求めるべき児童相談所の人間まで理解無き大人として描かれている為、現実的且つ効果的な解決法の全てを封じてしまっている。
これでは立ち向かったり、逃げたり、理解を得ようとする心を育む事など到底叶わない。
トモの様に強く優しい人間が臨界点に達した時、どうなるのか。
死を選ぶのだ。
某Webマガジンのインタビューにて荻上監督は、「自分が決めた道を歩んでいるのであれば、周囲が何と言おうがどうでもいいと思う。」「自分が選んだ道を進んでいる限り、私は誰に嫌われても平気なんです。」と語られている。
成る程、監督は理解なき人や物事に対して無頓着に生きてきたのだろう。
それは他者との連帯から掛け離れたものであるという事を知るべきだ。
揺れる時代に必見!
LGBTについては、世の中全体が、まだまだ戸惑いや否定的な意見が多く見られる。本作は、本人、親、身内、従来の「常識」に囚われた他人など、LGBTを取り巻く状況をうまく描いていると思う。
予想以上の秀作。
『彼らが本気で編むときは、』 以前トランスジェンダーの人とお仕事を...
『彼らが本気で編むときは、』
以前トランスジェンダーの人とお仕事をしていたこともあり、なんとなく映画館へ。
この映画を通して今頃になって彼がどんだけ生きづらかったか。当時は理解してくれる人もいなかったんだろうなって。
涙が止まりませんでした。
期待以上!
王様のブ◯ンチで紹介していて気になって観に行きました。
セクシャル・マイノリティを題材にした作品です。トランスジェンダーの女性を演じる生田斗真。かなり難しい役どころの筈だけど、良い感じだったと思います。
私の身近には、セクシャル・マイノリティの方はいない…いや、カミングアウトしていないだけで実際にはいる可能性はあり、認識してないだけかもしれません。
昨今、日本でも関心が高まってきているらしいですが、とても難しい問題だと思います。当事者だったらどうしたらいいか、どう関わったら良いのか。
一つ思ったのは、子どもって残酷だなーって。そういう気のある子に対して、平気でキモいとか変態という言葉を放つ。無邪気な悪意かな。
中には、自分が理解できないことを拒絶する人がいる。理解できないなら、別にそのままで良いのにね。
この作品を見終わった後の気持ちを見つめれば、この問題に対する貴方の考え方が見えてくるかも…?
強くオススメします!
切ない
すごく良い映画でした。りんこさん素敵すぎる。お母さんとの関係性てほんとに大事なんだなぁと思いました。とも役のりんかちゃん、演技上手!泣いているとかわいそうでかわいそうで一緒に泣きそうになりました。りんこさんもともちゃんも幸せになれますように。
むずかしい
こういう人とはいえ出会った事ないので、自分が果たして、どう感じどう思うのかわからないから、理解しようとせずに拒否反応示す人に怒りとかは感じない。
子役の子はアイドルになれそうだ。
斗真くんはむずかしい役を良く演じてたと思う。
もう少し背の低い他のジャニーズなら、似合い過ぎたんだろう。
斗真来んの背がこの役に必要だったのだろうね。
まもり方
最初は少し戸惑いますが
スクリーンに溢れる愛情の滴が
心地いいです。
出演者は相手が壊れないように周囲の雑音を自分の範疇でブロックしてます。
リンコの母は、自分の娘の心を
守るために、小学生のトモに対して
リンコを傷付けたら許さないと
牽制し、
トモは理由を知った時にリンコが
悲しむと思って、同級生の母親が
吐いた言葉はかたくなにいわない。
マイノリティに焦点を合わせ
ながらも、説いているのは
人間としての品格かな。
題名が文の途中で終わっているのが
初め不明だったのですが、点のあとは
シーンを見て視聴者が考えることを
示唆しているのでしょうね。
ともあれ
おっぱいに対する深い思いが
伝わりました。最後のお別れの品が
あれとはほほえましい。
私はてっきり ち⚪ぽの編んだ物かな
と予想したんですが。はずれました。
また観ようかな
また観たいな、と久々に思う映画だった。
優しくて、暖かくて、切なくて、笑えて、泣けて。
人生色んなことがあって、いいことばかりではなく、苦しいこともある。
その時どうするか。
わたしも編もうかな。
暖かい春の映画
LGBTを主人公においた日本映画で一番自然な描き方をしていたと思う
暖かく優しく穏やかで、でもたまにクスッと笑えて
小池栄子がまたものすんごい嫌な役というか
この人が悪役やる映画って大抵いい映画だなと思います
ドラマとかでも
彼らが本気で編むときは、
職業柄、予告も気になっていったので観に行った。
トランスジェンダーもテーマだが、母親ってのが大きなテーマのような感じがする。
色々な母親が出てくるが、別に押しつけもなく、考えさせるような感じがまたいい。世の中の親は観て、考えてほしいもんだが。
一部実話があるらしいし、切なく、笑えるシーンもある映画だ。
久々にもう一度観ようかと思う映画だった。
尋常でない包容力を持ったひとのハナシ
小学5年生のトモちゃん(柿原りんか)は、母親とふたり暮らし。
しかし、母親は時折、トモちゃんを残して男の許へ走ってしまうことがある。
ある日、またしても、トモちゃんを残して、母親は出奔してしまった。
ひとりになったトモちゃんは、母親の弟マキオ(桐谷健太)が勤める書店を訪れる。
マキオに連れられていった彼の住まいで、トモちゃんは、性転換者のリンコ(生田斗真)と出逢う・・・
というところから始まる物語で、サイドストーリーとして、同性愛に悩む同級生の少年カイくん(込江海翔)の物語が絡んでいく。
異色の題材だが、奇妙なところなどまるでない、至極フツーの物語として、荻上監督はこれまで培った淡々とした演出で撮っていく。
これがとても好ましい。
ひとそれぞれに悩みはあり、そんな悩みがあることはフツーだし、そんな悩みを抱えているひとを優しく包んであげたい。
監督の、そんなやさしさが溢れている。
尋常でないかもしれないほどの、やさしさである。
しかし、そんなやさしさには、当然のことながら、簡単に到達できない。
ときには、怒り、悔しい思いもする。
そんなときは、そんな思いをぐっと飲みこんで、毛糸に一目一目ずつ託して編んでいく。
タイトルの『彼らが本気で編むときは、』は、そんな意味だ。
こんなことを劇中のリンコさんが言うわけだが、古いことで恐縮するが、森崎東監督の昔の映画で、「女は、悲しいとき、ぐっとこらえて、ごはんを食べるんだよ」という台詞を思い出したりもした。
この映画、ただやさしいだけでなく、終盤、凛とした気概もみせる。
出奔したトモちゃんの母親が戻ってきて、トモちゃんを連れ戻そうとする件、母親は女性性に基づく母性を振りかざすが、「女性や母性を振りかざす前に、親として弱いものを守ろうとしないの」と問うリンコは凛としている。
たしかし、シングルマザーには生きづらい世の中だ、だからといって、自己都合で子どもを打っ棄っておいていいはずはない。
リンコは戸籍上の性を変更した後は、マキオと結婚して、トモちゃんを引き取る覚悟があったからだ。
こう考えると、リンコもそうだが、マキオの包容力も尋常でない。
尋常でない包容力を持ったふたりのハナシなのだ。
リンコ、マキオ、トモちゃんの三人が毛糸で何を編んでいるかは、ここでは明かさない。
最後に、リンコがトモちゃんに渡す品物も、同じく明かさない。
それらの品物は性を象徴しているが、しかし、性から解放されていくことを考えると、かなり興味深く、かつユーモアに溢れている。
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