「明日に希望が持てる」彼らが本気で編むときは、 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
明日に希望が持てる
トランスジェンダーがテーマの分かりやすい作品である。
かつては肩身の狭い思いをしていた性同一性障害の人たちも、時代を経てその存在を正当に認められるようになってきた。それは彼らの努力というよりも、医学研究の功績によるところが大きい。所謂オカマだのオナベだのと呼ばれて差別を受けてきた人々について、それは性同一性障害という症候群であることを世間に知らしめ、本人の責任ではない生まれつきの特徴なのであるという「常識」を定着させた。人間の中には人種や民族の差に無関係に、性同一性障害の人たちが存在する。
お陰でカミングアウトのハードルも少し下がってはきた。しかしハードルがまったくなくなった訳ではない。依然として差別意識は存在するし、結婚や就職など、人としての評価が量られる場面では、不利を被ることもある。
映画ではその辺りの差別する人たちの代表として小池栄子が同級生の母親役を好演していた。典型的な偽善者の役だ。この人は美人で頭もよく、演技もとても上手だ。脇役として非常に重宝する女優さんだと思う。しかし逆にそれが災いして、なかなか主役に登用されない気がする。そろそろ代表作を得てもいい頃である。
生田斗真の怪演には驚いた。ありがちなトランスジェンダーの類型かと思っていたが、いくつかの心に残る台詞を言う。ひとつは少女に向って語る「怒りを感じたときはじっと踏ん張って通り過ぎるのを待つ」という言葉。そして怒りをこらえた少女に「偉かったね、よく我慢したね」とねぎらう言葉。これらの言葉が価値を持つのは、その前に相手役の桐谷健太が言う「リンコさんみたいな心の人と付き合うと、男だとか女だとかどうでもよくなるんだよな」という台詞による。
素直で裏表がなく、嘘をつかず、誰にでも親切で、怒りを覚えたときは編み物をしてじっと我慢し、通り過ぎるのを待つ。そんな人がいたら、桐谷健太の言う通り男でも女でもどうでもよくなる。そしてつい思ってしまうのだ。もしかしたら自分も、そういう人間になれるのではないか?
映画としての評価はともかく、観終わった後で明日に希望が持てるようになる、清々しい作品である。