劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女のレビュー・感想・評価
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人類たちよ。強くなって地球を救え。というメッセージを感じた作品。
ライトノベル「魔法科高校の劣等生」(2008年~全33巻)が原作のアニメ作品。高校生の使う魔法が国家や地球の存亡をも左右するほどの力をもつ現代的な架空の世界で魔法高校に通っているが成績が悪い高校生・司馬達也が魔法の才能を開花させて地球を救う話。
点数:5.0。お勧めします。主人公の司波達也が強くてかっこいい。ヒロインたちが魅力的。十文字先輩も頼もしい。落ちこぼれ男子高校生が本気出して成績が上がって、女子にモテだして、地球を救う話。本気出した主人公が大活躍するさまを見て感じるカタルシス(すっきり感)が半端ない。
アニメ映画「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女(2017年)」の見どころは多い。冒頭の潜水艦シーンでは魔法が現代兵器を凌駕し、魔法使用者の圧倒的強さを視聴者に伝える。この潜水艦シーンは迫力がすごい。次はリゾート地の島で主人公と仲間の女子たちが水着を着て休暇を満喫している場面になるが潜水艦の重苦しい戦闘シーンからのこの明るい水着シーンに移るのは明と暗がはっきりしており良い。本作はさまざまなヒロインが登場するがヒロインの活躍場面も多く見どころである。ラストで主人公の司波達也が活躍し地球の危機を救うのも見どころである。この場面で司波達也はアメリカのSF映画「スター・ウォーズ(1977年)」の登場人物ダース・ベーダーのような黒い全身鎧を着ているが顔面を覆う黒いマスクを開閉するさまはとてもかっこいい。ダース・ベーダーは人類の敵とも味方ともいえる不思議なキャラクターである。
この映画「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女(2017)」は内容こそ単純だが力強いメッセージを感じる作品である。司波達也は魔法の力を彼の個人的な欲望のためにはけっして使わず地球の為に魔法の力を使う。彼の行動を見ていると私はこの映画の言いたい事は「人類たちよ。強くなって地球を救え。」あるいは「君も強くなって地球を救え。」というようなことだと思う。司波達也はこの映画を観るすべての人にそのようなメッセージを伝えているのだ。この作品では高校生の使う魔法が国家や地球の存亡を左右するほどの存在感を放っているが魔法とは人類の意志の力のことをいっている。つまり高校生や高校球児のように純粋な向上心があり世界を良くしようという気持ちを持つ人こそが世界や地球を救うということであろう。
視聴:液晶テレビ(有料配信アニメタイムズ) 初視聴日:2025年7月31日 視聴回数:1(早送りあり) 視聴人員:1(一人で見た)
追記1(感想など):
映画ではすでに主人公の司波達也が本気出した覚醒状態からスタートする。過去に落ちこぼれだった司波達也は現在は頭が切れ冷静で妹や女子に慕われ地球を救うという人生の目的がありそして強力な魔法が使えて強いのである。おおざっぱに言えばこの映画は司波達也が大活躍するだけの話である。司波達也を取り巻くキャラクターたちも魅力的である。とくに映画中盤で危機に陥った後輩たちを頼もしく助けに入る十文字先輩は助演男優賞を与えたいキャラクターだと思った。十文字先輩は防御バリア系の魔法が得意であり彼の作り出した魔法バリアを敵にぶつけることによって攻撃力も兼ね備える。十文字先輩は頼もしい理想の上司である。映画終盤では軍事超大国の破壊兵器を積んだ巨大な軍事衛星の地球落下を司波達也は単身で止めようとする。司波達也は宇宙に上がり魔法銃で地球に落下しかかっている巨大な軍事衛星を消滅させる。この場面はテレビアニメ「新機動戦記ガンダムW(1995年~1996年)」の最終回みたいで実にかっこよかった。テレビアニメ「新機動戦記ガンダムW」では主人公ヒイロ・ユイが地球に落下する小惑星サイズの強大な宇宙船リーブラを乗機ウイングガンダムゼロの強力武器ツインバスターライフルで撃ち地球への落下を阻止するがこの場面はアニメ史上に残る名シーンである。本映画を見て私はそのシーンを数十年ぶりに思いだした。この映画「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女(2017年)」は空から落ちてくる巨大な災いを破壊する物語である。普通に生活する人は空をほとんど見ない。これは生物構造的に人間は頻繁に上を見るようにはできていないからであろう。このことは人類に精神的な影響を与えているのではないだろうか。大きくて自由な空はいつもそこにあるにもかかわらず普通の人間は水平や下しか見ないので大きくて自由な空の存在に気が付いていないのだ。大きくて自由な空間はいつもそこにあるのに人類はそれを積極的に見ようとしない。地面や土地や財産や他の人類の事ばかり気にしている。人類よ、上を向いて空を見上げようとこの映画は私たちに伝えているのかもしれない。空には様々な可能性も危機もあるのに地上のことばかり気にかける人類たちにこの映画は警鐘を鳴らしているのである。魔法とは人類にとって何か。科学技術や人間の想像力や神の奇跡などが魔法の正体なのだろうか。私の答えは魔法とは、ふだん人が気が付かないことを発見することだと思う。世界の人やモノや現象をよく観察してまだ知らないことを知り研究して新しく発見することがリアル世界における魔法ではないのだろうか。たとえば劇中では登場人物は魔法の力で強力な威力の武器を使えたり空を飛べたりする。視聴者は登場人物が魔法の力を使う場面を見て新しい世界の見方を「発見」する。視聴者は人って飛べるんだ、人って本当は強いんだ、などと新しい世界への認識を手に入れる。このようにいままでとは全く違う世界への新しい見方をする「新しい世界への認識」が現実世界における魔法の正体だと私は思う。魔法とは人類の世界への認識の変革のことである。コペルニクスの地動説が人類の世界への認識を変革したのが魔法の有名な例である。地球は宇宙の中心ではないががっかりすることはない。他の惑星の新しい友人に会える可能性ができた。失恋は悲劇ではなく新しい恋の始まりである。死は終わりではなく生の始まりである。このように魔法は世界の認識の変革なのでつまり魔法は人類の可能性を示している。魔法がないと人類は先に進めないといえる。典型的な魔法は、人が空を飛べる、銃弾を跳ねかえし銃に負けない力を得る、ケガや病気がすぐに治る、などどれも人類が未来に達成できそうなことばかりである。なので魔法とは人類の世界への認識の変革であり人類の可能性である。なのでいつか人間は銃に勝てるにちがいないと思う。世界への認識の変革は魔法という概念を生み出しそして魔法が創作物に登場した。それこそ人類が作った最初の物語から魔法は登場するのである。そういう意味では物語自体が魔法であるということもできるであろう。たとえば「竹取物語(平安時代ごろ成立)」はその存在が魔法であった。「竹取物語」を読んだり聞いたりした昔の人はこの物語によって世界への認識が大きく変わったであろう。月に行けるのか、竹から人が誕生できるのか、帝の求婚を断れる人物が存在するのか、など昔の人は「竹取物語」という魔法によって万能感を獲得したに違いない。だから、物語は魔法である。映画は人類の世界への認識を変革する魔法であると私は思う。映画によって人類の意識は変えることができる。映画という魔法によって人類は何でもできる。それは夢や幻ではなく未来の可能性を示している。私は映画館で映画を観終わって映画館を出る瞬間、いつも自分が新しく生まれ変わったような感覚になる。それは映画館で映画を観るたび私は世界への認識が変わっているからだと思う。そこにいる観客も含めて映画館は独特の雰囲気がある。私は映画館に入るときまるで異世界の入り口にいるような、黄泉比良坂にいるような、地獄の門の建つ地獄の入り口にいるような、そんな雰囲気を感じる。映画館は地獄なのかもしれない。映画という魔法を使えるのは地獄だけということだろう。魔法にかかった人は現世という天国に生き返る。私が映画館を出た瞬間生き返った気分になるのはこのためだと思う。私は映画館を出た時、今生きている世界が天国のように感じる。
追記2:かっこいい司波達也が強いのはなぜか
この映画「劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女(2017年)」の内容からは私は「人類よ、強くなって地球を救え。」というような強いメッセージ性を感じました。主人公の司波達也は強力な魔法を使えるので強いです。本作では魔法を実行するには魔法の方程式をしなければならないのだがその魔法方程式構築の様子が知的でかっこいいのです。何事もかっこつける雰囲気が大事です。この映画はそれを教えてくれます。人類や地球などというワードを使うとまず雰囲気がかっこいい。この映画からはいろいろと学びがあります。まず、第一にかっこいいは正義だということ。そして、かっこつけるには雰囲気が大事だということ。最後に丁寧で礼儀のある正しい言葉使いをして紳士的な態度をしようということです。中身は後からついてくるので老若男女のみなさん、これから大いにかっこつけて下さい。司波達也は強いからかっこいいのではなく、かっこつけるから強くなるのだと思う。
追記3:強さとは何か
若者は単純な強さにあこがれる。たしかに人類は強くなる可能性がまだまだある。本作が未成年の物語なのは若者のもつ強くなる可能性を表現したかったからだと思う。しかし強さとは肉体的な強さ若さだけではない、地球に生きる多種多様な生物はそれぞれ生存のための独自の強さをもっている。若くて身長が高くて筋肉が多いだけが強さではないのだ。若者は単純なわかりやすい強さを求めたがるが、仲間と会話したり、本を読んだりしていろいろな強さを学ぶとよいと思う。強さとは若さやバトルの強さではないと思う。本作を観ながら強さとは何かよく考えてみるといいと思う。
追記4:地球を救うとはどういうことか
地球を救うとは人類や環境やその他の生物をすべていつくしみ、破壊を憎み、正義を守る心を持つことだと思う。いつくしみの心がまず第一にある。いつくしむとは大切にするということ。地球をすべてまるごと大切に思えば世の中は平和になると思う。
追記5:キャラクター採点(この映画のみ)
司波達也(しばたつや) 100点 巨大軍事衛星の落下を阻止。この映画のMVP。
司波深雪(みゆき) 95点 長い黒髪の達也の妹。氷の魔法が得意な天才魔法少女。
アンジェリーナ・クドウ・シールズ 95点 まだ若いが北米国の魔法部隊の総隊長。金髪の天才魔法少女。
千葉エリカ 90点 赤い髪の剣道少女。
九亜(ここあ) 85点 達也たちに助けられた。潜在能力がすごい。
三井ほのか 85点 優等生で優しい。
柴田美月(みづき) 80点 眼鏡をかけている。
北山雫(しずく) 80点 感情を表に出さない性格。
七草真由美(まゆみ) 80点
シルヴィア・マーキュリー・ファースト 85点 アンジェリーナの同僚。
十文字克人(十文字先輩) 86点 後輩たちの危機を救った。頼もしい。
追記6:
この作品は魅力的なキャラクターたちで物語が成り立っている映画だ。様々なキャラクターたちが作中で勝手に動いて物語を作っているので、作者の主張や何かを訴えたい内容の映画ではないと思った。物語がキャラクターたちを動かしているのではなくキャラクターたちが物語を作っているのだ。よって、難しい政治的主張や環境保全の大切さや世界平和の訴えやその他の社会風刺などは入っていないので何も考えず楽しめる娯楽作品となっている。この作品は視聴者に問題提起などして難しいことは考えさせない。感動させ泣かせるためには歌の力に頼ればよい。ヒロインたちは主人公の思い通りになる。こういったストレートな娯楽作品も良いと思った。私はプロ野球やプロサッカーに夢中の時期があったが、スポーツ観戦の魅力はキャラクターとその単純さにある。さまざまなキャラクターをもった選手が単純な打率やゴール数などで比較できて勝ち負けの結果を見る単純さはこの娯楽映画に似ている楽しさである。この映画はスポーツと違う点もあるがプロスポーツの試合を観るように楽しめると思った。
原作とアニメを見てから見ましょう
時系列にちょっと混乱
小説は読んだことがなくテレビシリーズのみ視聴。
来訪者編より前に公開の作品だったのでリーナが出てきた時は時系列が混乱しました。
来訪者編観てたのであぁなるほどと思いましたが後で良かった小説読んでない人が当時これ観てたら色々ハテナになりそう。
テレビシリーズより大規模な魔法が多くて見応えありました、リーナも来訪者編ではどちらかと言うと達也や深雪の力に驚かされてばっかりだったのでヘビィメタルバーストが見れたのはリーナもやっぱり凄いんだなぁと感嘆。
9人の調整体は双子みたいに皆んな同じ性格なのかと思いきや意外と個性的で九亜の喋り方が可愛らしかったな、脱出したのが他の子だったら少し物語の展開が違ってた気がします。
物語は達也がいい所持っていって深雪との兄弟愛を見せつけられてって鉄板の展開でしたがテレビ版ではなかなか見れない真由美や十文字の活躍が少しだけど見れたのは良かったな。
九亜達はあの後どうなるのかな?
またどこが登場する日が来るんだろうか?
成長した彼女たちも何処かで見てみたい!
いきなりだと無理
「一見さんお断り状態の『さすおに』映画だが説明台詞の応酬になるよりは、潔くて個人的は悪くないと思う」
第2期テレビシリーズの一話を見て、劇場版を未見だったのを思い出し配信サービスにて鑑賞。
ちなみに原作はほとんど未読で第1期テレビシリーズは放送時に見て楽しんだ範囲の浅めのファンです。
一見さんお断り状態で、いきなり劇場用の映画として観ると、冒頭の簡単な世界観の説明のみで、物語が進み戸惑うが、馴染み客以外にサービスしない振り切った作りで、説明台詞の応酬になるよりは潔くて個人的はアリで悪くないと思う。
第1期テレビシリーズから製作会社が変わった影響も少ない様子で、今回の劇場版は、原作者のオリジナル脚本なので、お馴染みの登場人物の設定や描写にブレがなく、後半の戦闘シーンを含めて主役の達也の超人的活躍とお約束の「さすおに」部分も含め安心して見られる。
それとテレビ版には無い主要女性キャラの水着姿やお風呂のサービスショットが、前半の見せ場?だと思う。(ほのかの露出狂スレスレ私服はやりすぎだと思うが)
全体的には、独特なテンポ感と間合いでストーリー展開の起伏に乏しくて戦闘シーンなどの見せ場をもう少し盛ってほしい出来だが、主役の兄妹である達也と深雪が日常場面で、食事の支度をしていると達也がさりげなく手伝ったり、座る時に椅子を引いたりなど、お互いを思いやる心情や行動を割と丹念に描写しているので、達也の無敵で超人的活躍の原動力でもある大事な要素きちんと押さえていると思う。
懸念だったテレビシリーズ未登場のキャラであるアンジェリーナが突然現れて主要な役回りを演じたりするが、空港でのやり取りや作戦会議での振る舞いで何となく天然ボケの性格や軍人としての有能な部分が感じとれるので、初見でも想像出来る範囲に描かれている。
気になるところは、テレビ版もだが、日付や場所が表記されるが、特に緊張感やサスペンスを形成される訳でもないので必要なのか疑問。日付や場所の表記は原作にもあるが・・
達也がバカンスをしている島から2度も離れて軍の基地に行って戻るところを描写しているが、変化や事件も起きず省略しても問題ない部分。
生体兵器として実験的扱いを受けている魔法少女を8人も敵地に救助に行くのに対したプランも立てずに行くのはあまりにも雑な展開。
船の停泊している港まで車ぐらい準備して脱出するのが、普通なのに何故か徒歩で逃げる場面があり唖然とした。
レオとエリカの活躍も中途半端で、アクションシーンにもアニメ特有の動きや見せ方の工夫が足りない印象。
など色々と設定や展開にツッコミどころも多い作品ですが、やたらと泣き叫んだり激高してキレたりして敵に勝つアニメが多い中、冷静に淡々と実力やロジックを駆使して戦う主人公達也の活躍は安心して楽しめるので、テレビシリーズも含めお気に入りです。
春休みに世界を救う!
TVシリーズしか知りません。
原作ファン向けの内容ですね。
1エピソードの映像化と言った感じでしょうか?
知らないキャラなども「そういうものか」として受け取れば気にもならず普通に楽しめました。
バカンスに訪れた島に、偶々非人道的な研究をしている軍事施設があり、偶々同じ島にバカンスに来ていた元生徒会長が居て、偶々現場に居合わせた体育会系の先輩もいて、施設を破壊命令を受けた軍人が知り合いで、偶々知り合った女の子から助けを求められ「じゃあ何とかしよう」。で何とかしようとしたら軍事衛星が墜ちてきそうだ!それも何とかしよう。んで何とかなっておしまい。
片手間で世界を救う主人公!
ギャグですね。!
意図したご都合主義が却って潔いし、面白い。
終始ダース・ベイダーのコスプレして行動する主人公。しかし潜入・破壊工作しか活動しない為、戦闘シーンが無い(脇役キャラは戦う)のでちょっと物足りない。
リーナって誰!?(笑)
実写よりアニメの方が時代を反映している?
先に断っておくとテレビ版は全く観ていない。
プロットに関してずば抜けて感心したわけではないが、こんな作品が流行っているのかといささか驚いた。
冒頭にこの作品世界の説明が入る。
時は西暦21世紀末の2090年代、優れた魔法使いをどれだけ持つかが一国の軍事力を象徴し、それが世界の軍事バランスを左右し、核兵器の完全なる代替として魔法使いが存在しているという。
話が進むにつれて判明するのは日本はすでに国防軍を保持していること。そして、あまつさえ主人公たちが劇中北米軍の「スターズ」なる魔法使い特殊部隊と交戦する。
核兵器の代替兵力を各国が保有しているなら互いに牽制しあって膠着状態におちいり結局のところ戦争が起きないのが本来であるツッコミはさておき、現在の日本とはかけ離れて普通に軍事体制が敷かれていることに驚いた。
おそらく憲法九条のしばりはない。
原作はライトノベルらしいが、アニメーション化されてこの作品が人気を博し新たに完全新作として本作ができあがっていることにさらに驚く。
男女を問わず若い世代で安倍政権の支持率が一番高いのも、この作品が一定数に支持されていることを考えればうなずける。
逆に考えればこういうアニメに普段から触れている若い世代だからこそ安倍政権の支持率が高いのか?それとも単に失業率が改善されているから高いだけなのか?
いずれにしろ一部ではなく多くの人々の眉間に皺を寄せさせるには十分な内容だが、映画館には若い人しかいなかった。
筆者は中年であるが、上映時間帯も夕方であったせいか中年ですら見かけなかったように思う。
高齢者と若者の間に立つ中年として筆者が両者を比較すると何を受け入れ何を受け入れないかに隔絶したものを感じる。
昔からアニメの世界ではガンダムをはじめとして戦争ものが腐るほど描かれてきたが、筆者が見知っているのは、世界観はあくまでもぼかされていたり敵が異星人であったり隠喩として日本とどこかの国が戦っているように取れなくもない程度の作品である。
これほど露骨に各国が国益で衝突する世界を描かれているのは知らない。
劇中過去(おそらくテレビ版本編)に主人公たちが大亜連合の侵略を退けているらしい会話がちらっと出てくるが、もうだいたいどこが敵なのか想像がつく。
読んでいないので詳しくは知らないがマンガの『テラフォーマーズ』も現在の日本の安保体制を踏まえて作品が創られていると聞く。
先日観た『トランスフォーマー 最後の騎士王』においてオスプレイが終盤で大活躍していたが、この作品にも当たり前のように登場する。
同じテレビという媒体がからんでいるのに、テレビのニュースと比較して全く別の世界がここに存在している。
おそらく今日本のエンタメの世界においては優秀な人材の多くは最先端であるアニメやゲーム業界に集まっているのだろうが、まだまだ旧態依然とした実写邦画界とはやはり大きなへだたりを感じる。
この作品の好悪は別にしてこの作品が売れるということは、それだけ緊迫した社会情勢を若者が無意識に感じ取っている証拠なのかもしれない。
海軍所属の調整体なる強化人間かクローン人間のようなキャラクターが登場するが、そのシリーズ名が「わたつみ」(=海神)である。
江戸時代の下級娼婦の蔑称である「綿摘」の意味も込められているのだとか…二重の細かい設定…いやはや恐れ入る。
それから三点、外国人からすると日本のアニメキャラクターは日本人には見えず白人に見えるらしいが、筆者はこの作品における北米人と日本人の外見上の区別が全くできなかった。
また冒頭の水着カットと中盤の入浴シーンはサービスカットなのだろうが、全く必然性を感じなかったしそもそもエロさを感じない。
主人公の司馬兄妹の極度のブラコン描写にも正直戸惑う。悪しからず。
ライトノベルの原作者であり本作の脚本を担当した佐島勤氏は年齢などを非公開にしているらしいが、筆者と同じ中年なのかそれとももっと若い世代なのかとても興味をそそられた。
そして最後の最後、エンドロールの終わりで監督が女性であったことに驚かされたことも付記しておく。
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