太陽の蓋のレビュー・感想・評価
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11年目の"3月11日"に本作を観る。
Amazon Prime Videoで鑑賞(2016年公開版)。
東日本大震災発生から始まった5日間の出来事を、緊迫のドキュメンタリー・タッチで描き出した本作。当時の政府の閣僚たちを実名で登場させ、あの時に何が起こっていたのかに鋭く迫り、リアリティーを追求した作風に引き込まれました。
あの日から11年目となる今日―2022年3月11日。
本作を観ながら、当時のことをいろいろ思い出しました。
十年一昔、とはよく言ったものですが、あの時感じた不安や恐怖は、今でもはっきりと覚えています。あんなことは二度と繰り返されて欲しく無いと、強く感じました。
「人はすぐに忘れるもんだ…」。
だからこそ絶対に、忘れてはならない。風化させない…
あの日あの時、この国が滅びの淵に立たされ、今も尚、その可能性を抱えて続けていると云うことを…
[余談]
「Fukushima 50」と比較しながら観ると大変興味深い…
政府や東電の描き方が全く異なっていました。同作の場合、エンタメ大作として政府や東電側を徹底的に"悪"とせざるを得なかった事情があったのかもしれないなと思いました。
総理の決断とは・・
Fukushima 50は現場が舞台だったが本作は官邸の対応について記者の目を借りて追っている。
内容的には当時の状況をなぞっているだけに思えましたが、怖いのはまさに天災や事故の風化ですからその意味で映画を作られたことに意義があり感謝します。
製作者の橘民義氏は民主党のシンパだからか政治家は実名です、また管首相の汚名を雪ぎたい意図もあったのでしょう、東電本店への乗り込みなどの経緯にスポットをあてています。
事故は確かに自然災害が主因だが対応の不備が被害を拡大した点では人災であろう。
劇中でも4号機の燃料プールに水があったのはたまたまと言っていたが、水は原子炉ウェル(炉の上部の空間)からでプールとの仕切りが水素爆発で壊れたから流れ込めたのだが炉内の隔壁工事が予定通りに進められていたら当日は原子炉ウェルの水抜きがされていたらしい、更に建屋が損壊したことで屋上から不足分の注水ができ最悪の事態を免れた。これだけ運に恵まれたのはまさに奇跡と言ってもいいでしょう。この偶然が無かったら関東から東日本一帯は死地となっていただろう。
班目原子力安全委員長は「事故を経験したとはいえ、現実的に原発が無いと資源のない日本経済は回らない、リスクはあるが、必要悪だと今も思っている」と日経新聞に答えている。
事故について確率論を持ち出す人もいるが万一の場合、不可逆的且つ甚大な被害を起こす事案には確率論は適用してはいけないことを肝に銘ずるべきですね。
政治家が専門知識に疎いのは致し方ないが補佐すべき専門家がこの体たらくでは末恐ろしい、先の政権でも学術会議のメンバー選定に恣意的なバイアスを掛けていたようだが都合の良い御用学者ばかりではいざと言うとき役に立ちません。異常気象に地震や噴火にパンデミックと不安材料は山積なのですからサポート体制は総点検して欲しいものです。
現時点で最高の311映画です
私は福島県伊達市に住んで、福島市で働いていて311に遭遇しました。現在は家族で「自主避難」、移住して札幌で生活しています。それ以前には双葉町で高校教師として生活していた事もあります。
だから、作中に登場する地元住民の心情も「イチF」従業員青年の心構えも、事故発生直後で地元にこそ情報が届かなかったいら立ちも、よくぞそこまで調べて描いてくれた、と感じました。
また作中に登場する、ネットで必死に情報を探す別の人物の姿は私自身と重なりました。
事故発生以来、相当な手間と暇とカネをかけて原発事故発生直後の状況を調べ、集めてきました。
政府事故調報告書、国会事故調報告書、東電報告書、民間事故調報告書、東電テレビ会議記録などの公開された記録報告。海外で書かれたものの翻訳物。当時の政府内外の政治家やメディア関係者の著作や講演。避難指示で避難した知人からの情報。テレビの各種情報やドキュメンタリー番組。週2回の統合本部記者会見記録。
そして、元生徒が事故原発で働き続けているという情報や映像。(某テレビ番組で、原発に取材に入ったタレントが元生徒に話しかけている所を見つけた時は、思わず目頭が熱くなりました。)
この映画が描いている官邸の混乱具合と、被災現地住民の混乱具合は、かなり事実に近いものです。地元住民の混乱は実際にはもっと過酷だったのですが。
官邸のマスコミの無力感も、ほぼ事実通りだったと思われます。
この映画の評価を下げる材料にはなりませんが、この映画でさえ描けなかった情報の偏りが、事故発生直後の日本にはありました。
テレビ局や新聞局、芸能関係者には、2011年3月12日時点で遠距離避難が推奨されたり、命令されたりしたことです。
この事実は、このままいけばおそらく闇に葬られます。
けれどこの映画のような、可能な限り事実に迫ろうとするものを作ろうとする努力を続ける人がいれば、いずれは明るみに出せるかもしれません。
この映画の最後で語られるように。
今も日本での原発事故は終わっていません。
首の皮一枚、偶然にこれまでの生活が続いているように思えているだけだから。
人間がコントロールできないものを
そもそもこんなエネルギーを使おうとした人間のエゴがこの作品には多数描かれている。
それをあまりセンセーショナル過ぎず、オーバーにも表現せず、比較的淡々と流れているのは多分、俳優陣の抑えた演技によるところが影響しているのだろう。そして数人の人以外は無名に近いキャスティングが起因である。袴田吉彦・三田村邦彦位がよく知る名前で、主役の北村有起哉に至っては、父親が有名な二世ということを始めて知った位だ。
この辺が悩みどころで、確かに今流行りの俳優をキャスティングすることで話題性をつかむことは、この映画の意義的には大事なことであるのは、この作品のテーマそのものが国民にとって必要なことだからであり、しかしその俳優陣を使えば、テーマそのものがぼやけてしまう危険性も孕む。本当に難しいバランスなのだろう。
でも、やはり、もう少しキャスティング、考えてもよかったのかもね。
結局、人間なんてどんな頭がよくても、どんな高学歴でも、自然の前では直ぐに馬脚を現わす。全てが滑稽な、皮肉が充分織込まれている作品だ。
そして、福島は未だに非常事態宣言が解かれていない…
あの時、全ての建屋が爆発していれば、なんていう悪い冗談が現実として起こりえる、いや今も可能性がある、そんな日本なのだ。
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