FAKE : 映画評論・批評
2016年5月24日更新
2016年6月4日よりユーロスペースほかにてロードショー
「佐村河内守」とは何者?映画の仕掛けた迷路に迷い込む、刺激と驚きの怪作
佐村河内守という人のことはよく知らないし、例のゴーストライター騒動以前に流行っていたCDを買ったわけでもないので特に不利益を被ったことはない。ただ事件のあらましや佐村河内氏、新垣隆氏のキャラクターがあまりにも面白く、「これはハリウッドだったら即映画化だな」と思ったのを覚えている。
ところが劇映画になるより先に、佐村河内氏そのひとが出演するドキュメンタリー映画ができてしまった。監督は「A」「A2」でオウム真理教内部に潜入取材した森達也である。
森監督は大方の予想に反して「ゴーストライター騒動の真相」を解き明かそうとはしない。佐村河内氏とその妻(と猫)が暮らすマンションに足しげく通い、騒動以降、蟄居の状態でひっそりと暮らそうとしている夫妻の姿を映像に収めていくのだ。
しかしあれだけの騒動を起こした張本人の毎日がただ平穏であるわけがない。取材の記者や出演を依頼するテレビマンが次々と自宅を訪れ、一方でやたらと人気者になった新垣氏の姿がテレビや雑誌を通して目に入ってくる。それを悲し気に見つめる佐村河内氏と、来客のためにケーキとお茶を用意する妻。なんだこれは? われわれが知る怪しさ満点のあの人物とはなにかが違わないか?
とはいえ怪しくないわけでは決していない。奇行スレスレの佐村河内氏の挙動も、決まり事のように登場するケーキすらも怪しさを増すばかり。ただしわれわれが勝手に思い込んでいた怪人はそこにはいない。イメージとの大きな隔たりに違和感を覚え、戸惑い、つい「一体この人は何者なのだ」と凝視してしまう。ここまでくれば、この映画の仕掛けた迷路にまんまとはまり込んだと言っていい。
タイトルが「FAKE」であるように、この映画自体も「FAKE」なのかも知れないし、そもそもが「佐村河内守」自体が虚像の権化である。しかし画面の中では確実にパワフルなドラマが浮かび上がる。それは「裏切られた」という思いを抱える男の姿だったり、苦境に立ち向かう夫婦のラブストーリーだったり、「ラスト衝撃の12分」と言われているとんでもないクライマックスだったりする。
「これはドキュメンタリーなのか?」という問いの答えはない。ただ、誰もが抱える下世話なゴシップ欲へのやたらと面白い返答であり、感動的なメロドラマであり、エキサイティングな音楽映画でもある。われわれは森監督が生み出したこの得体のしれない怪作を、自分なりに呑み込んでみるしかないのだ。
(村山章)