「キリスト教徒ではないのでピンとこない」ウィッチ 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
キリスト教徒ではないのでピンとこない
ホラー映画は苦手だが、予告が面白そうだったのと魔女ものという題材にも興味があったので観ることにした。
主演の長女トマシンを演じたアニヤ・テイラー=ジョイはアルゼンチン育ちで母語は本来スペイン語らしい。
今年は彼女の出演作品である『スプリット』を先に観ているが、元々は『ウィッチ』が公開されて監督のナイト・シャマランが彼女を気に入って同作に起用したようなので、日本での公開は順番が逆である。
確かに『スプリット』の時よりも本作の方が幼い顔をしている。
(『スプリット』の展開は正直読めた。またブルース・ウィリスが登場した時点で次作で『アンブレイカブル』とコラボすることは容易に察しがついたが、ついにシャマランも自作のユニバース化をし始めたのかといささかうんざりしている。ハリウッドはなんでもかんでもユニバース化するつもりなのか?)
さて本作だが、登場人物が1家族だけで森の中という限られた空間の中で展開されるので、少人数の密室劇に近い印象を受けた。
また筆者がキリスト教徒ではないからなのか、魔女の恐ろしさにもピンと来なければ、森に神聖さは感じこそすれ極度の恐れは感じないのでやはりこちらにも思い至るものがない。
そのため何か起きると自然と犯人探しをしてしまう。前提はホラー映画なのだが、まるでオチのないミステリーを観ているようであった。
見方によっては虐げられたトマシンの心が一連の事件を起こしたと見ることもできるので、犯人はトマシンと言えるかもしれない。
弟のケイレブが何か叫んで死んだシーンでは、そんな急に叫ばれて死なれても…と思ってしまったし、父ちゃんが黒山羊に殺されるシーンでも、唐突に殺された間抜けな親父にしか見えなかったので、怖いというより若干おかしかった。
そもそも黒山羊を恐いと思わないので、山羊がしゃべるシーンも日本で相当売れたと思われる馬の頭の被り物を着けた人間が何か言っているのと同じように見えてしまって、怯えるトマシンにむしろ違和感を感じてしまった。
愛犬が腹を割かれて死んでいるシーンなどもあったが、全体的に視覚に頼り過ぎていて怖さよりも気持ち悪さをより強く感じてしまう。
本作でも描かれているようにキリスト教では女性を明らかに差別していたので、薬草に詳しいなどの自然科学の知識が豊富だったり、科学的知識があったり、そういった女性を醜い男の嫉妬から「魔女」に仕立て上げて処刑していたふしがある。
また密告が奨励されていたので、気に入らない女性も「魔女」の濡れ衣を被せて処刑したようである。
しかも火あぶりの刑は残酷だったらしく、本来は火を焚くと磔にされた人間は上がってくる煙で一酸化炭素中毒を起こして気を失いやがて死ぬところを、生きながら火に焼かれる光景を楽しむためにわざと気を失わないように工夫までするほどだった。
また「魔女」と白状させる拷問も過酷であった。
両の親指を万力で締め上げるのが第一段階、親指の骨が砕けてもみな我慢するらしいが、第二段階は水責めになる。
9リットルもの水を無理矢理飲ませて白状しなければさらに9リットル、それでも白状しなければ全てを吐き出させて同じことを繰り返す。
この拷問方法はその後、欧米各国で活用され、フランスでは1954年から1962年まで続いたアルジェリア独立戦争で、独立を叫ぶアルジェリア人に使用され、最後はギロチンで首を刎ねている。
アメリカはフィリピンの独立派に対して使用した。まず18リットルの水を飲ませて、白状しなければ尋問官が膨れた腹に飛び降りる。また時には海水も使ったため死亡率が高く、公聴会に160人中134人が死亡したという記録まで出されている。
ここまで残酷ではないが最近も水責めはまだ活かされていてグアンタンモ基地でアルカイダを尋問する際に使用されている。
顔にタオルをおいて水をかけて息をできにくくする拷問だが、『ゼロ・ダーク・サーティ』だっただろうか?筆者が観た映画の中にもそのシーンがあったはずである。
また北米大陸に入植した白人はインディアンを殺しまくっているので、そりゃあ森の神様も魔女に姿を変えて復讐するでしょ!自業自得!とも思ってしまう。
すっかり最近では欧米のマスコミの刷り込みのせいで、イスラム教徒というと野蛮で残虐というイメージになってしまったが、歴史的に見れば一番異教徒を殺しているのはキリスト教徒である。
しかも圧倒的で他の追随を許さない。
南北米大陸、オーストラリア、アジアの原住民をどれだけ殺したことか!
十字軍遠征の際もキリスト教徒はイスラム教徒の町に攻め込んで女子供を含めた全住民を殺すなどざらである。しかも殺し方も残虐だったりする。
十字軍は第1回でイスラム教徒の捕虜を全員処刑しているし、第3回でも身代金の不払いを理由にやはり捕虜全員を処刑している。
一方、対するイスラム教徒は名君サラーフ・アッデイーン(サラディン)の時代だったこともあって身代金不払いの捕虜まで全員解放している。
ただこの寛大さを悪用するルノー・ド・シャティヨンというフランス人もいて、解放されてはイスラム隊商を襲うことを繰り返していたので、さすがに怒ったサラディンに手ずから首を刎ねられている。
そして実は現在も冷静に事実に目を向ければ911テロの報復としてイラク・アフガンでどれだけ人を殺したことか、兵器が近代化されているから実感が湧かないだけで数だけ見ればどちらが残虐かは明らかである。
右の頬を叩かれたら左の頬を差し出すどころか、左右の両頬を叩き返した上に両手両足の骨を折るぐらいまでしているように見える。
全編を通してほぼ暗い色調の映像が占めているので、この一家の直面する生活の厳しさはうまく描写されていたが、時折登場する魔女も含めて恐ろしさは全く伝わって来なかった。
またキリスト教徒の偏狭さをデフォルメ化することには成功していたと思う。
今夏はアメリカで山火事が大規模化、長期化する事例が多く発生したが、インディアンは自然に対する知恵があったので、わざと小規模に火事を起こして大規模な山火事を防いでいたようである。
本作のように森を恐れているようでは自然との共存は難しいだろう。
そのように考えれば、本作の最後でトマシンが森の中に入って真の魔女になるのは自然と一体化したとも見えなくもないから不思議だ。
アメリカ人がこれからもアメリカ大陸で生きる以上、いい加減インディアンの知恵に耳を傾けることに気付くべきではないだろうか。