「村山聖と羽生善治」聖の青春 Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
村山聖と羽生善治
とても丁寧に作られた映画で、そのことには大変好感を持った。そして、何よりも村山聖さんの病とその中での闘いという事実の重さが有り、泣かされる映画でもあった。主演俳優二人も、熱心に研究したのであろう村山さんおよび羽生さんに、そっくりの動きを自分のものにしていて、感心させられた。
しかしながら、将棋指しとしての羽生善治と村山聖のプロデビュー時からのファンであった人間としては、二人の関係性の理解に関しては大きな不満が残った。映画の中では、村山は羽生にまるで片思いをしているやに描かれているが、安易な理解、若しくは少し観客の理解度を見くびっている様に思われて残念であった。
羽生は、村山を棋士として、自分とは異なるレベルの将棋の天才と捉えていたのは事実である。また、村山さんは年下なのに少年時代から羽生先生と呼び、才能溢れる同世代の中でも唯一絶対の尊敬すべき将棋を指せる棋士と見なしていたことは、交流あった棋士の証言から十分に判明していることである。
二人は、同世代で奇跡の様に存在した天才棋士同士なのであり、本当の意味での自分の棋譜の価値、凄さをを分かり合えた、唯一の存在なのである。村山聖は自分の棋譜をとても大切に考え、死期を知って出版を友人に依頼していた。その魂を込めた名局譜を他ならぬ羽生善治が解説している事実を、2人の関係性の理解のベースにして欲しかった。天才は孤独な存在であるのが常である。ただ、幸いなことに青春時代、二人にはもう一人の天才が存在した。そのことの素晴らしさ幸せを、村山聖は噛み締めていたと想像する。最大のライバルで倒すべき目標でもあった羽生善治こそが、命を削って産みだした自分の将棋の最大の理解者であろことを、村山聖は強く思っていたと推測する。だからこそ、羽生善治は村山聖にとって、きっと特別な存在なのである。
> 村山聖は自分の棋譜をとても大切に考え、死期を知って出版を友人に依頼していた。その魂を込めた名局譜を他ならぬ羽生善治が解説している事実を
へええ、そうなんですね。すごい