ダゲレオタイプの女のレビュー・感想・評価
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後半、妖しさや怖さが減速していく
世界最古の写真撮影技法(ダゲレオタイプ)を用いて娘の写真を撮り続けているステファン(オリヴィエ・グルメ)。
高齢の助手に代わって採用されたのがジャン(タハール・ラヒム)。
被写体になる娘マリー(コンスタンス・ルソー)は、撮影の都度、長時間にわたり器具に固定を強いられている。
ジャンは写真撮影にも魅入られるが、マリーにも思いを寄せていく。
そして、ステファンは、かつてのモデル=妻のことが忘れらないでいた・・・
という設定の物語は、写真という「時の停まった女性」に魅入られる妖しい怪談である。
前半は素晴らしい。
これまでの黒沢監督以上に、美術や画面の印影が冴えている。
そして、ゆっくりと意味ありげに動くカメラも、また、傑作誕生を思わせる。
しかしながら、後半になって、その妖しさは失速していく。
事故で死んだと思われたマリーが息を吹き返し、ジャンと暮らし始めるあたりから、闇は消え、物語も破綻していく。
まぁ、息を吹き返したマリーが実は幽霊で・・・といったことが物語の(ひいては映画の)破綻ではない。
ダゲレオタイプという写真撮影方法が、後半ほとんど活かされておらず、そこのことで物語の説得力を欠いていくことに由来するのだろう。
写真、それも等身大の銀板写真によって永遠の命を得ることと、幽霊として現れることの関連性がわからない。
いや、わかるんだけれど、妖しくない。魅力的でない。
なんだか、1足す1は2みたいな、幼稚な算数みたいにしかみえない。
たぶん、後半、あまりにも娘の登場シーンが多すぎ、かつ明るい日常で世俗的すぎて、なんだかなぁ、なのである。
西洋における幽霊は、闇に潜むものでないにしても、である。
後半、あまりに語りすぎて、それが怖くもなければ、美しくもないという結果になったのかもしれない。
これはエンディングも同じで、あまりに見せすぎ、芝居しすぎで、説明しすぎ。
もっとさらりと締めくくった方が、怖さや美しさや切なさがあらわせたのではありますまいか。
131分の尺だが、少なくとも20分ぐらい(欲を言えば40分ぐらい)詰めて、小品に仕立て上げた方が良かったかもしれない。
黒澤清作品としては、平凡な出来。
ラジカルな映画ですが----
蓮實先生の一番弟子の面目躍如たる問題作であるのは間違いない作品かな?
虚と実の狭間に漂う映画とは何か?
カメラは何を型取り掬い上げるのか?
そのテーマにこれまで以上にダイレクトに挑んだ身振りは素直に感動しました。
またラストショットがエンジンキーを掛けた所で暗転してのエンドはさすがだと感じいりました。
でも,やはり面白くないのです。
虚と実で二者択一すれば、やはり実にものたりなさを感じるからでしょうか。
どこで撮ろうと黒沢清は黒沢清である幸福
ホラー、ラブストーリー、サスペンスといったジャンルを行き来しつつ、最終的な感触は幽霊奇譚といったところか。
屋敷を吹き抜ける風に揺らめく白いカーテンとビニール。闇に浮かび上がるコンスタンス・ルソー。『叫』葉月里緒奈/『トウキョウソナタ』井之脇海/『リアル』綾瀬はるか/『岸辺の旅』小松政夫らのアクションを彷彿とさせるシーンなどいくつもの黒沢清的モチーフを経て、紛れもなく黒沢清でありながら観たことのない映画へと誘われている。ついにスクリーンプロセスでない車の疾走が。
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