「喪失感の先にあるもの」雨の日は会えない、晴れた日は君を想う 玉川上水の亀さんの映画レビュー(感想・評価)
喪失感の先にあるもの
「ナイトクローラー」での凄みのある演技で観客を魅了したジェイク・ギレンホールの主演最新作は、昨年公開された西川美和監督の「永い言い訳」を彷彿させる。
まず主人公の設定が、妻を交通事故で突然亡くしたにも拘らず、悲しみが無くて涙も一滴も出ないこと。
そして、ある事で知り合った親子との交流を通して主人公に変化が訪れること。
更に、妻が残していたもので心の硬い殻が割れて、埋もれていた感情や気持ちが表に出ていくところ。
ただ、衣笠幸夫と本作の主人公デイヴィス・ミッチェルは、本当の気持ちに辿り着くまでのアプローチが違う。
会社の上司で義父でもあるフィル・イーストマンの「心の修理も車の修理も同じことだ。隅々まで点検して、組み立て直すんだ」という言葉を契機に、恰も“答え”を見付けようとしているみたいに、自分の身の回りにあるものを次々と分解、または破壊していく。
本作の原題“Demolition”は主人公のこの行為からきている。
それでは邦題の「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」は何を意味するのか?
本作は、デイヴィスがこの少し抽象的な言葉に辿り着くまでの心の旅を描いている。
ジェイク・ギレンホールは複雑な人物を演じることが多いように思うが、それは、どのような役柄でも現実離れさせず、我々に共感を呼び起こさせる確かな演技力があるからなのだと思う。
そして、この男の心の旅を見守り、手を差し伸べるシングルマザーのカレン・モレノをナオミ・ワッツが、同様に喪失感から再起しようとする義父のフィルをクリス・クーパーが演じていて、作品に彩りやアクセントを付けている。
主人公が破壊の果てに見出したものは何だったのか?
冬の長いトンネルを抜けて、春の光に包まれたようなラストが心に残ります。