ハイ・ライズのレビュー・感想・評価
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自宅(CS放送)で鑑賞。ベルギー・英合作。原作は『クラッュ('96)』、『コンクリート・アイランド(未映像化)』と共に“テクノロジー三部作”と呼ばれ、中学時代に読んだ憶えがあれど、殆ど内容を失念してた。新築の高層マンション、階層の上下がその儘ヒエラルキーとなるユニークな設定。先進的に描かれてたI.レヴィンの『硝子の塔('93)』とは対照的に、本作は'70年代風のどこか懐かしいレトロな雰囲気が漂っており、テイストは双璧を成す。堕落と退廃で階級や規律が崩壊する様は好みが分かれ、観る者を選ぶ。65/100点。
・ロンドンから北へ2マイルの郊外に位置する40階建ての高層マンションには、15階に1フロアをぶち抜いた巨大スーパーマーケットが、30階にはスポーツジムにプール、スパ迄を完備し、外出する事無く生活が賄える“夢の楽園”をコンセプトに建立され、最終的に全五棟の建設が予定された第一弾分譲物件が物語の舞台。住民は20階辺りを境に上階に住むアッパーとそれより下層──地上に近い層に居を構えた貧困に苦しむダウナー、更に殆ど触れられる事の無いノンポリな中層と云う三階級に分断され、物語が展開する。
・徐々に秩序やモラルが失墜し、社会性が解体され、やがてコミュニティ自体が壊滅状態に向かうデカダンスな展開は、如何にもブラックな英国風の諧謔性に富んでいる。狂気に支配された混沌とエログロ満載の描写、説明を削ぎ落とした展開、不快感を伴う内容等とは裏腹に画面の色調や登場するガジェット、ファッション等、意図的に原作が書かれた'75年当時の未来主義を思わせる前衛的な味付けがなされている(SFであり乍ら、インターネットや携帯電話、iPad等は登場しない)。
・主人公T.ヒドルストン演じる“ロバート・ラング”生理学部精神科医の教え子で部下であり乍ら最上層に当たる39階に住む研修医“マンロー”のA.プリューが脳腫瘍の診断を苦に投身自殺を遂げる際のスローモーションを含めた描写は、グロテスクな描写が横行する本作内でも取分け耽美的に描かれ、深い印象を残し、特筆に値する。
・本作を万人受けするとは云い難い失敗作と切り捨てる某批評家によると、本篇内の八割以上のシーンにおいて常に画面内の誰かが喫煙していると云う。
・ラストには英国の下院に相当する庶民院におけるM.サッチャーによる'76年11月24日のラジオ放送されたスピーチが使用されている。ただパーキングに駐車されたシーンで写し出されるナンバープレートには、'01年以降に採用された新しいフォントが用いられており、時代設定として大きな齟齬を来している。
・“ヘレン・ワイルダー”役のE.モスが演じるに当り最も苦労したのは、米国人故の米国風アクセントを説得力ある英国風の発音に矯正する事であったとインタビューで答えている。
・製作のJ.トーマスによると、'75年に彼が初めて本作の映像化権を獲得した際、N.ローグを監督に予定していたらしい。'79年にN.ローグとP.メイヤーズバーグがシナリオを完成させるが没になり、'09年初頭にV.ナタリ監督が再度脚色、'10年後半にR.スタンリーがこれに加わり、リライトを施したが映像化には至らず、その後、A.ジャンプが脚本を完成させた。実に原作出版から本作完成迄には40年以上の歳月が要され、映像化不可能と云われた所以である。
・鑑賞日:2018年2月9日(金)
なんとも微妙 設定が面白そうだったので観たのだが、崩壊していくのも...
なんとも微妙
設定が面白そうだったので観たのだが、崩壊していくのもよくわからないし(それも狙いか?)人物が誰がどいつでどういう人なんだが分からないので訳分からんままである。
後半は崩壊していくさまがカオスでもはやついてはいけない。(まあそれはそれで見逃せない感じ)
崩壊しても自分たちの小さな地位を守ろうとしている愚かな者たちを描いているのかもしれんが物語がグダグダで分からなかった。
もしかしたら事前知識や他の人の感想を見れば視点が変わり面白いのかもなぁ
久々に見て後悔した映画
見どころはトムヒドロストンのイケメンぶりだけ、タワーマンションのマウンティングと言う事だがむかしの貴族のコスプレにバブル紳士並みの金持ち描写。おまけに電気止まっただけで暴動起きてなかで原始人みたいな生活始める。さっさと外でろやって感じ。もっとネチネチした陰湿なマウンティングかと思ったら全然無し。現実のタワマンの方がよっぽど怖い気がする。
なんでそのオチ?
予告、物語の序盤をみる限り、これはいろんなあっと驚くオチが考えられるなと思ったが、中盤以降はうーん、なんか色んなひとに脚本に口を出された感じでまとまりがない(原作は小説?)。エロを入れましょう。暴力を入れましょう。的な感じで、これらの過激表現が追加されたけど、物語の本筋に絡まってる感じせず、また伏線の回収不足だと思った。
あと、登場人物が多く、見分けがつかなくてより物語が複雑に感じた。主人公と、ダイハードの人と、妊婦はわかるけど。他は…貴族に扮するパーティで誰が誰だかわからない状況で人物紹介があったり、奥さんと女優も同じような容姿で見分けられないし。
最後の資本主義がどーたらこーたらも必要か??観た人の不満を解消するために追加したのかもしれないが、分かる人だけわかればいいよ的なスタンスで済ました方がまだ潔い。
良いところは、スーツ、シャツを格好良く着るには、体を鍛えなきゃ意味がないと思わせてくれるところくらい。あとおっぱいが観れる、かな。
ちなみに見ながら想像したオチは、順に、主人公の妄想説(実はパーティにも言ってなければ階層文化もない。姉と何かある?)。住人が実は囚人説。住人が実はシミュレータゲームの登場人物(シムシティ的な)。実は建物が違った説。(富裕層と主人公の住んでいる建物が同じように見えて実は隣の建物の話でエレベータのつながりが曖昧なのものそのせい)あの子が建物から脱出するために混乱をばらまいた説。
そしてビルが残る
タワーマンションを舞台にした寓話。閉塞した共同体は澱み腐敗していく。
マンションのルールを維持しようとする富裕層(保守派)。
マンションのルールに反抗する下位層(リベラル)。
両者の抗争が始まる。
下位層のワイルダーは、富裕層やビルの設計者を倒せば、システムは変わると思っている。
しかしビルの設計者(自分がこの世界を作り君臨していると思っている)すらも、システムの一部でしかなく代替可能。倒したところで何も変わらない。新たなグループ(女性グループ)にワイルダーも倒されてしまう。
結局抗争で皆潰れ、残ったのはマンションビルだけ。
ビルにとっては、腐敗や抗争すらも人を入れ替えるためのカンフル剤でしかない。マンションビルは二棟目、三棟目と建ち続け新たな入居者を迎えるだろうという暗示で映画は終わる。
ビル=システム(資本主義とかいろいろ)の象徴なんだろうけども。
格差対立を描いた映画というよりは、それらすべてを飲み込み続いていくシステムを描いた映画なんだろうなと思う。人は朽ちてもシステムは残る。
主人公のラングは、ビル=システムに同化しようとする(ビルと同じペンキを自分に塗ったりする)。そして最後まで生き残る。
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システムへの疑義って、今さらな感じはするんだよな。自分で書いてても厨二臭くて恥ずかしいというか。
だけども敢えて今、青臭い話を真っ向から撮ったその蛮勇、嫌いじゃない。むしろ好き。面白い映画だったなと思う。
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個人的に惜しかったなと感じたのは。
映像が説明的すぎちゃう気が。保守=ビクトリア朝の格好、リベラル=60年代ヒッピー風とか。
もうちょっとネットリとした「腐敗の官能」を感じさせてくれたらと思った。『クラッシュ(1996)』みたいな。
ビルの硬質な色気はあったと思う(建物の遠景がカッコいい)。
ペンキを死守するワケ
アイコニックで社会主義的でディストピアなハイライズは見るものをドラッグのトリップ状態に陥れるような不可解で奇妙なストーリー。分かろう分かろうと必死になってしがみつけば、たちまち駐車場まで真っ逆さまに落下する。
階級ごとに分けられたタワーマンションはスノーピアサーが如く各コミュニティーが立ち入らずに暮らしているが、インフラの供給不足と不公平によりその均衡はめちゃめちゃになる。その問題はまた他の問題を生み、喧嘩を見た男女が仲裁に入ることはより事を大きくすると言うように、事はどんどん取り返しのつかない方向に広がっていく。
そんな中でも主人公は周りに目をくれず同じ生活を繰り返し(というよりは見ないようにしていた)上の階のはぐれものの少年とだけ接触しながら自律を保っていた。
デモが起きる各階を無視して、主人公はスーパーでペンキを買う。壁中を空と同じ水色で塗りたくり、自分にもそれを撒き散らす。初め壁にあった彼女との写真は、上の階の女にすでに剥がされてしまっていた。自分のリズム(ジムのマシーン)、自分の色を持つことで、彼は何にも流されず存在して入られたのだと思う。
結果タワーはフェミニストに支配されたが彼は加担するわけでもなく存在し続け、隣のタワーの住人を招き入れることを考えて終わる。
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