「エンタメに徹した共産主義者」トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
エンタメに徹した共産主義者
トランボの脚本からイデオロギーは感じない。それに驚嘆する。ハリウッドに敵視されるほどの思想をもっているなら作品にそれがあらわれてしかるべきだからだ。ところがトランボの書いたのはすべて完全なエンタメで、しかもゴーストで書いたのが二度もオスカーを獲るほど天才だった。トランボの脚本は才能にあふれていたがイデオロギーはいっさい漏れ出なかった。ローマの休日に共産主義を感じますか?
このことをわかりやすくするために逆の例を言うと新聞記者を書いた某記者にはイデオロギーはあったが才能はなかった。いやイデオロギーなんてものもなくて自己顕示欲だけがあった。だが映画新聞記者は賞をとったので某記者のようなごろつきリベラルの地位を向上させてしまった。日本映画界自体がリベラルがつくってリベラルがほめそやす構造をしているからだ。キネマ旬報系のお百姓さんたちが年度ごとに集まって荒井晴彦がベストで山崎貴がワーストというリストをつくっては悦にひたっているのが日本映画界。ぜんぜんいらない。とっとと滅んでしまえ。
ただし映画トランボは操作的であるとも批判されている。批判がでるだけでもさすがハリウッドである。あんだけばかな内容だったにもかかわらず映画新聞記者を公的に批判しているやつはいなかった。知ってのとおり新聞記者は政府が内緒で細菌兵器つくってまんがなという超弩級与太話なんだがそれを日本中がほめた。繰り返すがリベラルがつくってリベラルがほめるそれが日本映画界だからだ。
操作的であるとする批評家の言及は、共産党がたんなる野党のように見えてしまうこととブラックリストに載った者が全員無実のように見えること。
トランボは事実上マルクス・レーニン主義を根底とするスターリンや金日成を含むソ連式共産主義の支持者だった。共産主義は基調的に暴力革命を辞さない姿勢を是としている。むろん日本共産党もそうだ。だったら警戒はまぬがれず、やみくもに迫害されたわけではない。それが映画では不当な弾劾をうけたような見え方をしていると指摘された。
ただなぜトランボの脚本人生がドラマチックだったのかといえば赤狩りの真っ盛りだったからだ。映画はたしかに操作的で、トランボの陥った悲運に同情的である。とはいえ赤狩りという特殊状況下にあったことをかんがみるとトランボに同情せざるをえない。
この事情をつきぬけるのがトランボの才能だった。トランボは作家としての能力をすべてエンタメに転化していた。繰り返すが、それに驚嘆した。
たとえば日本で思想をもった人を想像してみたとき、彼/彼女はエンタメをつくれますか?たとえばフェミニズム。しおりさんは自身の体験をエンタメにできましたか?だれでもいい、リベラルなやつをつかまえてきて、彼/彼女はその思想がいっさい漏れ出ないエンタメをつくることができますか。・・・。日本人にはそれが難しく、概して日本の思想家活動家は思いを物語にトランスフォームすることができない。日本の思想家活動家にローマの休日が書けますか?つまりトランボは天才脚本家なだけでなく、ものごとを分けて考える分割思考力があった。
たとえば映画に出てくるトランボの仲間で癌で亡くなるアーレン(Louis C.K.演)は架空の人物だそうだが、かれは自身の共産思想を作品「エイリアンと農夫」に投映させた。エイリアンが労働者の権利を語り、資本主義の病理と中産階級の慢心を説く・・・。これじゃ俺まで赤狩り公聴会に召喚されちまう──と、B級映画製作会社キングブラザーズのジョングッドマン演を怒らせた。
つまり凡人の思想家活動家が脚本を書けばそうなる。考え方の土台となる共産思想が物語にもにじみでてくる。それがトランボにはなかった、そのことに驚嘆したという話。
そんなトランボにも自らの思想を投映したやりたい映画があってそれが原作脚本監督をしたジョニーは戦場へ行った(1971)だが、それ以外は個をおしころして受注作品や恋愛や西部劇をかきまくった。ウィキをみたらフランクキャプラのIt's a Wonderful Life(1946)にも初稿参画していたしパピヨンもトランボが書いた。
つまり、この全体像のなにがすごいのかというと、内情を知らない我々から見えることに過ぎないが、彼の人生には共産主義らしき左翼的あるいはリベラル的な行動がなかった。逆に言えばなぜ共産主義を標榜していたんだろう。なぜそれを主張する必要があったのだろう。共産主義的なことをしないのに。
今(2025年2月)アメリカには赤狩りのような粛清が敷かれている。推進しているのはトランプ大統領とイーロンマスクだ。トランプは就任早々大統領令に署名しまくって国土から不法移民を、女性競技からLGBTQを追い出した。先日マスクは何百兆円という不透明なお金の使い方をしていたUSAIDという海外支援団体を鶴の一声で解体させた。コラボの何百倍もの規模で公金をちゅうちゅうする第三セクターを一瞬でなきものにしたということだ。
そういうことをがんがん実践するトランプやマスクはひでえのか?と・ん・で・も・な・い。庶民にとってみたらLGBTQも意図不明なNPOもたんなる利権にすぎない。リベラルや多様性を掲げる意識高い系は「差別だあ」と叫んでお金儲けをしている活動家、我田引水事業主にすぎない。
わたしたちが今のアメリカに見ているのは有言実行という日本ではSFになってしまった言葉の実演なのである。
すなわちトランボはラストのアメリカ脚本家組合ローレル賞の受賞スピーチにおいていわれなき迫害をうけたこと、結果的にダイアンレイン演じる妻やエルファニング演じる娘たちに苦渋を強いたことを観衆に向かって泣訴するのだが、そりゃアメリカのせいというよりはあなたが共産主義者だったからだろう。
でもトランボはローマの休日やオールウェイズや数々のいい話を書いて庶民を楽しませた天才だったのでそれらが許容できる──そんな話だった、と個人的にはとらえた。
カークダグラス役もジョンウェイン役も似ていなかったがエドワードGロビンソン役のマイケルスタールバーグは似ていたと思う。苦み走った顔付きでいろんな白黒映画で見た記憶がある。
imdb7.4、RottenTomatoes75%と79%。