「トランボさん、これもあなたが書いたの?!」トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
トランボさん、これもあなたが書いたの?!
「ローマの休日」という作品が、もし存在しなかったら、映画の歴史は書き換わったに違いない。
オードリー・ヘップバーンは、グレゴリー・ペックとローマの街をスクーターで駆け抜けていただろうか?
二人のラブストーリーをスクリーンで観る。その感動と楽しみを、僕たちは永遠に失ったかもしれない。その危険は十分にあった。
なぜなら、この脚本を実際に書いたのは「ダルトン・トランボ」という共産主義者だったからだ。
脚本は公開当時、別人の名前が使われた。
やがてオードリー・ヘップバーンは、この作品でアカデミー賞に輝き「世界の恋人」とまで賞賛される大スターとなる。
しかし、彼女を受賞に導いた、当の脚本家の名前は永く秘密にされたのだ。
お話は、1950年代のアメリカ。
いわゆるマッカーシズム、赤狩りが始まったころ。
すでに脚本家として成功を収めていたトランボ。
彼も赤狩りの標的にされてしまった。
その迫害は家族にまで及ぶ。
難を逃れるため、自宅を売却し、移り住んだ先でも「アカ」への偏見、いやがらせは厳しい。
議会に証人喚問され、証言を拒否すると「議会侮辱罪」に問われる。
ハリウッドの第一線で活躍していた、著名な脚本家は、共産主義者というだけで、その活動の場を奪われ、監獄送りとなる。
監獄に入るシーンは印象的だ。
素っ裸で尻の穴まで看守に「検閲」されるのである。
これが、つい60年前まで、本当にアメリカで行われていた実態なのだ。
ただ、このシーンで一つの救いは、トランボを罪人に仕立て上げた人物も、のちに脱税で告発され、ちゃんと監獄送りになる、という点である。
悪い事をしたやつには容赦しない。
どんな地位と名誉を持った人物でもブタ箱に放り込む。
そういう「正義」を実現しようとする姿勢がアメリカにはある。
ちなみにアメリカという「国家」は「自由」と「正義」を旗印に掲げたとき、それ以上の価値観が存在しない、ある種の「全体主義国家」になると僕は見ている。
これは極めて注目すべき特性である。
「自由と正義」は「人の命より重い」ことを容認するのである。
結果として、それがどれほどの人命を奪おうとも、アメリカは何度でも間違いを繰り返す。歴史を見る限り、アメリカはそういう国家である、と僕は思う。
本作を観る前、予告編では、ずいぶん、テンポよく進むストーリーなのかな、と思っていたが、意外にも重厚で、緻密な構成を持つ作品に仕上がっている。
この辺りは監督の演出のさじ加減なのだろう。
共産党員たちを目の敵にする、コラムニストの意地悪おばさん役にヘレン・ミレン。
アカデミー賞女優として、深みと味わいのある、惚れ惚れするほどの「悪役」の演技をみせている。
主人公トランボを演じたブライアン・クランストンのウィットに富んだ演技スタイル、その人物造形は見事だ。
ときに気難しくなる脚本家を支える、奥さん役のダイアン・レインがこれまたいいなぁ~。
トランボは一人で闘っていたのではなかった。
迫害への痛みに耐え、なんとか仕事を廻そうとする脚本家仲間たち。
そしてなにより、トランボには愛すべき家族がいた。
仕事中毒とも言えるトランボと、年頃の娘との、ぎくしゃくしたやりとりも、映画の中では微笑ましいエピソードに思える。
なお、アクの強い映画製作者、フランク・キングを演じるのがジョン・グッドマン。
このキャスティングは絶妙!
デンゼル・ワシントン主演の「フライト」でも、クスリの密売人を実に怪しく演じきった。
映画製作者フランクにとって、何より大事なのは、ずばり「金儲け」なのだ。
仕事ができる環境を求めていたトランボと脚本家仲間たち。
超一流の脚本家が、いまなら破格の安値で雇える!
お互いの利害が合致し、フランクとトランボたちは、こっそり手を結ぶ。
「アカの連中」が書いた脚本でも、映画がヒットして銭がバカスカ儲かりゃ「それでOK」と開き直るフランク。
「アメリカの理想を守るための映画同盟」(いかにも、うっとおしい名前ですな)は、「アカたち」を弾圧するのが三度の飯より大好き。
情報網を駆使して、彼らが活動しそうなところを見つけ出してゆく。
強欲の映画製作者、フランクの元にも捜査の手が伸びる。
「彼ら”アカたち”と取引すると、あなたの会社もどうなるか知りませんよ」と脅しをかける。
しかし、脅した相手が悪かった。
金儲けのためなら人殺しでも構わない、というぐらい肝っ玉の据わった人物に、挑発をかけてしまったのだ。
「てめぇ~、誰に向かってモノを言ってる! 舐めんじゃねぇ~!」
このフランクの怒りに暴れ狂うシーンは、むしろ本作において痛快である。
観ているこっちも「赤狩り同盟、ざまあみろ」という心境になる。
本作はかつて、自由と正義を守る国を標榜する、アメリカという国家が、映画界や映画人たちに、どのような迫害を加えてきたかを明らかにする。
もちろんご承知のように、チャップリンでさえ、赤狩りの対象となり、石を投げつけられるように、国外追放されてしまった。
アメリカという不思議な国家の振る舞いや、その闇の部分については、もっと掘り下げ、問題提起することもできるだろう。
本作では、その辺り、映画の終盤、ソフトランディングさせているような印象を受ける。
ただ、自身の名前を伏せてまで、映画脚本を書き続けた、ダルトン・トランボという人物がいたこと。その事実と生き様を知るだけでも本作を観る価値はある。
トランボの脚本家としての桁外れの才能と、映画への熱情に改めて脱帽せざるをえない。