「それぞれの正義感が、真相を歪めてしまう。」ニュースの真相 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
それぞれの正義感が、真相を歪めてしまう。
丁度アメリカ大統領選のキャンペーン中に観た映画で、なんとなく「大統領選が終わってからレビューを書こうかな?」なんて思っていたけど、大統領選が終わったら尚更どう描くべきか悩んでしまった。シンプルに、映画の感想だけ書こう。
ニュース番組の敏腕女性プロデューサーが、ブッシュ元大統領の軍事経歴詐称を暴こうとした報道の有様が描かれたこの映画。主人公のメアリー・メープルは、ブッシュ大統領の軍事経歴詐称を暴こうとするあまり、重大かつ致命的なミスを犯してしまう。わずかな不注意か勇み足だったかもしれないそれは、ジャーナリズムにとっては致命的な「証拠の捏造」。物語はその致命的なミスが引き起こす顛末が克明に描き出される。この映画では、実際のところ何が正しかったかという点は曖昧にしている。それはジャーナリズム的には「逃げ」のように思うが、映画として観る分としては、不十分な裏付けのまま報道してしまったことに対する責任と、メアリーの体内に流れるジャーナリストとしてのプライドが常に対峙し、衝突し合うようなシーンの連続にサスペンスが生じて悪くはなかったかなと思う。
日本でも、この映画に近しいことがよく起こる。何か大きな事件やスキャンダルが報じられた後、それを騒ぎ立てる喧騒の中、いつしか論点が別のものにすり替わり、その本質を逃してしまうことが。彼女らの報道は確かに不十分なものであったことは間違いなく、責任は追及されてしかるべきなのだが、それを指摘する有識者やブロガーたちの声によって、議論は完全に彼女たちを裁くことに注視してしまい、本来議論されるべきブッシュの軍事経歴詐称問題は脇に追いやられ、ブッシュの経歴よりもタイプライターの書式がより精査されるという捻じれを見せる。メアリーが証拠不十分な報道をしたこととその尻拭いの手段は、報道の送り手としての間違った正義感としか言いようがないが、一方で報道の論点をずらして本質を闇に葬ってしまったのは、報道の受け手側(「世論」という何よりも巨大な組織)の間違った正義感だったとも言えるわけで、終盤に弁護士団の前でメアリーが発したセリフは強く印象に残った(それが正と取るか否と取るかは別として)。
この映画の場合、何しろケイト・ブランシェットが素晴らしいので、ついつい彼女に気持ちが入ってしまう。あらゆる役柄を演じられる大女優だが、知的で凛としたイメージのある女優なので、こういった社会派のドラマで芯の強い女性像を演じさせた時の凄味や迫力が違う。同時に、その裏面に隠された脆さにシフトした瞬間の絶妙の表情まで引き出せる。ファンとしては、彼女の演技だけでもう満足感たっぷりだ。もう惚れ惚れする。この映画は、きっとアメリカ本国の人が見ると、それぞれの政治的な思想やら何やらが混じってしまって、立場によって見え方が大きく変わってきそうだ。もしかしたら、アメリカ以外の国の人が見た方が、より客観的に冷静に観られるかもしれない。僕はこの映画、ジャーナリズムのあり方を描くひとつの作品として十分に楽しめたし、ジャーナリズムの受け手の一人として、ひとつ教訓として記憶しておきたい映画だった。