「ポリシー貫くって時々すごくハード」はじまりへの旅 fall0さんの映画レビュー(感想・評価)
ポリシー貫くって時々すごくハード
すごく好み。作品のテーマとしてある「"ふつう"と"自分のポリシー"の折り合いに悩む人間」「自省という在り方」の描き方が好き。あと、色合いがオシャレ。
チョムスキーとか毛沢東主義とかエスペラント語とか焚き火の回りで読んでた本(タイトル一個も覚えてない…)とか権利章典とか、彼らの価値観の裏づけになる小ネタがいっぱいあったんだけど、私はどれも碌に知らないので、その辺をわかってたらもっと楽しめる範囲が広がったと思う。
回想でしか登場しない、母・レスリーは、森から出てふつうに子供を育てるべきか、森に篭って自分たちが大事だと思う事を徹底的に習得させるべきか、その間で苦しんでたのだろうなと思う。
ベンもレスリーも無思考な右倣えが嫌いで、ふつうに暮らすのも苦痛だし正しいとも思えない、けれど一方で完全に世間と切り離されて生きる事はとても難しい。子供にとっては強い肉体と深い洞察を育む環境は素晴らしいけど、選択肢を狭めてもいる。
ベンの教育方針は民主的とも独裁的とも取れるし、良いとも悪いとも取れる。
レスリーの死因や性知識や、高度な物理学や哲学のように、大人が"まだ早いから"と子供から遠ざけるような情報でもストレートに与える点は、自由と議論を尊ぶ立派な父親のように見える。そうかと思えば、コーラを"毒の水"と誤魔化したり、ふつうのお祝いをよく知らないレリアンにクリスマスがチョムスキーの誕生日に勝る理由を説明させて議論を装った異論の叩き潰しをしたり、独裁的な側面もある。
中盤で「ロリータ」を読んでいるキーラの感想は、ベンにも当てはまるなと思う。間違いなく深い愛情はあるけど、判断力の無い子供を偏った世界に切り離してる。一方で、ふつうの育て方なら本当にそれは子供の権利を侵害していないのかっていう疑問も頭をよぎる。資本主義やキリスト教やその他膨大なふつうを押し付けて、それ以外の生き方を否定するのだとしたら、それだって子供の選択肢を奪っている。森に子供を隔離する親も褒められたものじゃないけど、娘の希望を無視してキリスト教式の葬儀を強行するような親も、難しい事柄は子供から隠して権利章典も碌に学ばせられない親も、どれも省みるべき点はある。
ベンがただの毒親では終わらなかったのは、自省が出来たところ。ボウやレリアンから反発を受けて、ヴェスパに怪我をさせて、レスリーの苦悩を手紙から読み取って、自分の在り方を問い直せた。ベンが今までを否定した事で、子供は再び選択の機会を得、自発的にやりたい方へ進むことができた。科学が宗教と違う点は、科学に「絶対」が無く常に自己否定の可能性を内包してる点だと聞いたことがある。ベンは科学と論理の立場で、家族の自由を確立したんだなと思う。
キャッシュ家ほど極端な例は珍しいけど、世間一般と自分との距離の取り方で悩むって、多くの人が直面している事だと思う。何もかも右倣えは窮屈で仕方ないけど、世間から指図を受けない世界へと完全に引籠もるのも難しい。思春期に「普通ってなんですか?!!!?!??!??」ってキレたことあるし、正直今でもそう思う時ある。火葬がいいって言ってるのに、自分以外の人間や下手したら顔も知らない赤の他人から、キリスト教の土葬が幸せって決めつけられて押し付けられる。議論の余地もなく。こんなの屈辱以外の何物でも無い。葬式に超オシャレなヒッピースタイルで乗り込むシーンとか、墓を掘り返すシーンとか、トイレに遺灰を流すシーンとか、粛々とロックで、観ていてとても良い気分だった。
キャッシュ家が大変なのはこれからだな、と思った。森から出て、人に交わるようになった子供達やベンは、"自分の哲学"と"世間一般のふつう"の間で、折り合いをつけなきゃいけない。ボウが言ったように「本で読んだ事以外何も知らない」状態で、未知の"ふつう"と適切な距離感で付き合わなきゃならない。でも、サバイバルと学問で身についた基礎力で、なんとかなるんだろうなと思わせるラストシーンだった。