「ラストは「救い」「解放」という解釈はどうか?」或る終焉 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストは「救い」「解放」という解釈はどうか?
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効果音も音楽もなく、淡々とエンドロールまでいく。抑揚のないシーンの連続は、ラストの衝撃を何倍にもして観客にぶっつけてくるための布石だったのか。
そのラストは、幇助の「報い」なのか?と思った。
しかし、原題を見て考えが変わった。
英語が苦手の僕が、原題『chronic』とはどうゆう意味か?と調べてみると、「慢性的な」とか「持病」とか出てきた。それは誰の?と想像してみると、主人公デビット自身なのではないか!と思えた。
甲斐甲斐しく献身的な仕事をして患者に信頼されるデビッド。それは傍目には仕事熱心に見え、たまには過剰にも思え、セクハラの疑いさえ持たれる。そんな熱心なデビッドだからこそ、患者の過去(例えば建築家の業績)を知ることで患者の人生に寄り添おうとしているのか、と思っていた。しかし、実はデビッド自身が患者の内面に入っていきたいために率先してしていたことなのだ。
そうなると、デビットが介護していた患者たちがデビッドを必要としていたのではなくて、デビッド自身こそがデビッドを必要としている人を必要としていた、のではないか?と思えてならない。
つまり、「慢性的に」自分を頼る終末期の患者を求め続けていたのだと。息子の死が遠因で(どうも手助けしたらしいが)。ある意味、依存症ともいえるのではないか。
ならば、患者の姪が話をしたいと申し出るのを無下に断るのもわかるし、セクハラを疑われても会わせてくれと頼むのもわかる。最後の患者の願いをはじめは断るのも、またひとり自分から去っていくのが忍びないからと思えるのだ。
もし、人間の死が神の意志ならば、やはりラストは「報い」ではなく、「救い」「解放」なのかもしれない。
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