「隣り合わせの死と折り合いをつけるのは難しい」或る終焉 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
隣り合わせの死と折り合いをつけるのは難しい
観終わっても、少々心が動揺していた作品です。
終末期の患者ばかりを看護しているデヴィッド(ティム・ロス)。
彼は患者に寄り添いながら、黙々と看護を行っている。
黙々と、といったら語弊があるか。
そんな彼には、別れた妻マーサ(ロビン・バートレット)と娘ナディア(サラ・サザーランド)がいる。
長らく行き来のなかった三人であるが、ある事件(濡れ衣といってもいいのだが)を契機に再び出逢うことになった・・・
というハナシで、話が進むうちに、離婚した原因もわかるようになってくる。
94分という短い尺であるが、そのほとんどがデヴィッドが行う看護の様子が淡々と描かれるのみで、観ていてツライ。
特に、冒頭に描かれる末期エイズ女性を看護する様子は、患者を演じている女優さんがあまりにも痩せさらばえており、かなり衝撃的だった。
映画の面白さ(この言い方でいいのかどうか)のひとつは、デヴィッドの過去が徐々にわかってくるあたりにあるのだが、もっと関心を惹かれたのは、彼の日常におけるバランスの取り様。
常に、死と最も近いところにいるデヴィッドは、患者との関係性に嘘を持ち込みながら、バランスを保っている。
例えば、最初に描かれる末期エイズ患者との関係。
葬儀のあと立ち寄ったバーで、彼はたまたま同席した女性に対して、「妻が死んだ」と告げる。
また、ふたりめの脳梗塞を患った男性患者との際は、患者の弟だと偽って、患者が設計した家屋の内覧に出かけたりする。
ここいらあたりの描写が興味深い。
患者を知って、寄り添うために、患者の身内を装っているのではなく、「実と虚」を混在させることで「生と死」のはざまでのバランスを取っているようにみえるのだ。
生と死のはざま=看護生活、
虚(死に近づいていく)=患者の身内を装う行為、とみるならば、
実(生そのもの)=繰り返し描かれるランニングシーン、なのだろう。
こういう図式があるから、衝撃と謳われるラストがあるのかもしれない。
デヴィッドの過去には、重篤な小児癌だった幼い息子の死がある。
自ら手を下したとされているが、延命治療を自らの手で拒否したのかもしれない。
どちらでもいい。
バランスを取るため行っている「患者の身内を装う行為」は、妻と娘のもとに戻ったときには取れないのである。
そのために、彼はバランスを崩してしまい、三人目の患者の自殺ほう助という行為におよび、ひいては、衝撃のラストに繋がる。
実(生)の世界が、虚(死)へと一気に転換するラスト。
なるほど。
書いているうちに、少なからず心の動揺がおさまったような気がしました。