「ラストシーンと日本の映画宣伝について。」或る終焉 ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンと日本の映画宣伝について。
とにかくラストシーンについて、いろいろ思うところがありました。
このレビューの要点なので、早速ネタバレしますけど、
ジョギングをしていた主人公が、いきなり車にハネられて終わるというラストシーンでした。
「ダサい。」
というのが第一印象でした。
“いきなり真横から車にぶつかられてショック”演出は、
『セッション』で見たし、『追憶の森』でも見たばかりです。
流行りなんでしょうか?
仮に流行りじゃなかったとして、
「最後の最後にびっくりさせてやろう。」という意図は、
やっぱりダサいと思います。
また、その後の無音のエンドロールも、『アメリカンスナイパー』に乗っかったような、「この映画を社会問題映画として真面目に考えろよな」っていう、上からな“圧”を感じて、逆にうるさいです。
最後に主人公を殺したのが、例えば劇中の登場人物の誰かであったり、主人公自身の意図という話であれば、「そういう物語」として理解はできるんですけど、
引っかかるのは、ラストシーンで主人公を殺して、罰したのは誰だったかってことです。
それは「偶然の交通事故=神の視座=映画の作り手の主張」ということになると思うんですけど、それがすごく独善的に思えて仕方がありません。
劇中、いろんな人の死や主人公の葛藤を静かに淡々と描いてきただけに、最後の作り手のどや顔のために、僕にとっては映画全体が「いけすかない話」になってしまいました。
また、何がダサいって、この『或る終焉』に対する、日本の宣伝の仕方です。
ポスターの最下段、
「世界を騒然とさせたその“結末”に、あなたの胸は貫かれる」
というキャッチ。
この映画のいちばんダサいところに乗っかってるじゃないですか。
他に観客に訴える要素って見つからなかったんですか?
仮にそれしか観客動員するために訴える要素がなかったとしましょう。
「映画の最後にびっくりする展開がありますからね!」
って映画観る前にお知らせしちゃったら、びっくり半減しませんか?
また予告編のいちばん最後、
「世界を騒然とさせたその“結末”に、あなたは胸を貫かれる」
というキャッチ。
さらにそのバックには交差点の映像ですよ。
「ああ、最後、交通事故で誰か死ぬんだな。」
って、わかっちゃいますよ、観る前に。
良かれと思って「騒然の結末」を煽ってるのかもしれないですけど、
その衝撃がいちばん薄まっちゃうタイプの宣伝なんじゃないですか?
まあ、でも仮に、作り手がそういう宣伝の仕方を望んだのかもしれないと思って、海外版の予告編(「Chronic trailer」で検索)も観てみました。
全然「騒然の結末」なんてアピールしてないことに騒然としましたよ。
ということは、日本の映画の宣伝屋さんが、「日本人の観客には、この騒然の結末くらいしかウリになる要素がないな。じゃあそれで釣っとくか。」って判断したということでしょう?
100万歩譲って、実際そうだったとしますよ。
じゃあでも、その結末がわかっちゃうような予告編にしたらダメじゃないですか?
もうちょっと真面目に映画宣伝を考えてほしいと願います。
もし、このレビューを読まれた映画宣伝関係者の方で、
「うっせーな!映画宣伝業界にもいろいろ事情があるんだよ!知らんくせに勝手なことばっか書くんじゃねー!」
と思われた方がいらっしゃいましたら、是非反論をお待ちしています。
ささやかではありますが、『無人島キネマ』という映画ブログとPodcastを運営しておりますので、「なんでこういうことになっちゃうのか」「日本の映画宣伝においてどんな問題や障害があるのか」など、お聞かせ頂けましたら、誠実に映画ファンの方々に伝えていきたいと思います。