「主張に異論はないが、評価は出来ない。」未来を花束にして 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
主張に異論はないが、評価は出来ない。
女性に政治的判断は出来ないと決めつけられ、参政権を持たなかった時代。女性にも参政権を!と立ち上がった女性たちの姿を描いている。
彼女たちが本来有して然るべき権利を求めることに対しては何の異論もないし、彼女たちの活動があったから、女性の参政が進んだというのはおそらく事実であるのだろうと思う。けれども、テーマはあまりにもデリケートで、少し慎重にならなければならない部分もある。何故なら彼女たちのやり方はかなり過激で、謂わばテロリズムだからだ。
映画は彼女たちのおかげで女性が参政権を得たと疑わず、彼女たちの過激な活動に対し、勇敢だと手放しに評価している様子がある。彼女たちの行動をまるごと認めてしまえば、世界に蔓延る悲惨なテロ行為も正当化されてしまう。映画はそこら辺に対してとても無配慮で、「あれではテロと同等だ」という批判を恐れてか「平和的な交渉を長年続けた末の行動だ」という言い訳のような一文を冒頭で入れてくるあたりもひどく無神経だと思う。
当然の権利を求めるために女がここまで身を犠牲にしなければならないことの不条理を説くでもなく、
正しいことを全うする為に、過激派として活動を起こすことの危うい正義感を観客に問い質すでもなく、
もともとは強い思想があったわけでもなかった主人公が、徐々にその過激な活動家へと移ろっていくその姿に、一人の女としての生き方の葛藤を投影する・・・でもなく、
映画はひたすら、当然の権利を求めて数々の犠牲を払ったその姿に英雄を見ている。
テロリズムまがいの彼女たちの行動と、しかし彼女たちの胸の内にある信念の正当性とのバランスをきちんと取らなければ、この映画の題材は極めてデリケートであるが故、その真意が伝わりにくい場合がある。その点の考察が実に甘く、思慮が足りないとしか言いようがなかった。
当時の女性たちの中にも、彼女たちの活動を訝しく見ていた者はいただろう。「波風を立ててくれるな」と思う女もいれば、「そんなことをすれば逆効果だ」と思っていた女もいただろう。そういう第三者的な視点がこの映画は非常に弱い。メリル・ストリープ扮するリーダー的女性の娘が、母親の活動に対し批判的だと言う興味深いエピソードが一瞬語られるが、ここを伸ばせば、もう少し彼女たちの活動に対して冷静な目を向ける余地が出て奥行きと多面性が見えたかもしれない。しかし映画はそこまでの考察に興味を持たない。彼女たちにあまりに接近し、同調し過ぎたように思えた。
私は、忘れ物を取りに別荘に戻ったためにテロに巻き込まれた人の存在を忘れないし、自殺行為に巻き込まれて死んでしまった競走馬のこともなかったことにはしない。だから彼女たちの行動を正しいとは決して言わないつもり。
とは言え、だ。先人がここまでしなければ得ることの出来なかった一票という権利。その権利が我々には当たり前に与えられているのに、その権利を行使しないことは、なんて愚かで不躾なことなのだろう、と改めて思う。政治をアテにできないのだとしても、いやだからこそ尚更。