スポットライト 世紀のスクープのレビュー・感想・評価
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僕は『善き日本人』にはなりたくない。
『グローブ』と言う報道カンパニーが『タイムズ』に合併吸収されるようだ。それで、大幅に人間のリストラが必要との事。敵はインターネットとあり。
さて、AIが普及すると、残ったこの人たちは何をやるんだろう。それが現在の状況だが、この時期は『会社としての報道機関の合併吸収』が問題になった。言うまでもなく、情報の偏りである。さて、AIとなると。
さて
『奴らは捕食者なんだ』と言う台詞が50分に出て来る。例えが良くない。この言葉を平たく取れば、教会が一つの食物連鎖のオーガニゼーションと解釈されてしまうが。それで良いのだろうか?自ずと『結論』はカトリック教会への『宗教的な弾圧』になる。
さて、
この問題はカトリック教会の体質の問題(だけ)ではない。
虐待や性的な虐待は色々な社会環境で起こっている。そして、家族の中で表沙汰にならないバイオレンスもある。
さて見方を変えると
『春を売る仕事』を合法化する国まである。この事実が、個別の問題としてではないく、その組織全体つまり、国を変えなければ駄目だと考えられないだろうか。
さて、一番大きな組織であるアメリカ合衆国は変わったのだろうか?
ちなみに、あのクー・クラックス・クランはカトリック教会ではないく、カトリック教会と敵対する組織だったと理解すべきだ。
昨年、ローマ教皇がカナダへ訪問して、同化政策に伴うネイティブアメリカンへの虐待を謝罪している。ネイティブアメリカンをカトリックに改宗させる事を大義名分として、子供を6000人以上、虐待死させている。
勿論、この映画の中では語られない。
彼らは知能指数が高い高学歴者ゆえに知らないわけがない。多分『善きドイツ人』なのだろう。
原題 Spotlight
製作年 2015年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2016年4月15日
上映時間 128分
映倫区分 G
恐ろしい現実が題材
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神父が子供達を虐待してるという話があった。
雑誌の編集長に新しい人が就き、それを真剣に調べ始める。
すると出るわ出るわ、ボストンで90名くらいの神父に疑惑が。
被害者は表に出たがらない等の問題もあったが、
正義感に燃えるチームメンバーが一生懸命に調査。
記者の友人である弁護士も、過去のもみ消しを告白。
結局最も大事だったのは、枢機卿が知ってたかどうかで、
知ってながらもみ消してたことが明らかになった。
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米国テロの頃にボストンで実際にあった話らしい。
これを機に、別の何百の都市でも同じ問題が判明。
神父の6%が小児性愛の問題を起こしてたんだとか。
そんな恐ろしいことがわずか20年前の時代にあったとは!
それにより自殺した子供も多いらしい。
明らかになって良かったが、かなり根深そうな問題よな。
映画としてはテンポも良く、記者たちの情熱が感じられた。
劇場でなくTVで見たが、それでも結構面白く感じられたな。
感想。考えたこと。
被害者は被害にあったことを知られたくない。
もちろん勇気を出して訴える被害者もいる。
訴えた時得られるのは、その場の謝罪とお金。でも欲しいのはそれだけじゃない。加害者を追求して捕まえて欲しいはず。
他人が動くには関心を持ってもらうには、被害者の人数が必要で、たくさんの人が被害に遭っているとわかると凶悪犯だと感じて動いてくれる。
でも一件でもひどい事件のはずだ。
数のインパクトが必要なのか。
他人の心を揺さぶるには何件も必要なのか。
現在でも変わっていないと思う。某タレント事務所の話と同じで勇気を出した人がいたのに、何人もいたのに大事にはならなかった。昔は価値観が違ったとか言うけど、今もそうでしょう。一人被害者が出ても関心は薄い。
一件の事件を見た時、性被害はどこかではよくある話だと。真新しい事件じゃないとみんな思っているのかな。でもそれってたくさん被害者がいるって、どこにでもいるって知ってるってことじゃないのか。一件でも見逃したらいけないはずなのに、まだまだ甘い法律と私たちの認識。
子供のときは気づかなかったことを大人になって気づくと、それは遅くてどうにもならなくて何も解消されない。そういうこともある…。
大人でわかってるとき被害に遭っても、絶対告発しないといけないわけじゃない。
社会が味方だと思えないし訴えてもそれ相応のものになるのか…。
派手さは全く無いが、とても良い映画であった。地道な調査を行なっていった彼ら記者たちこそヒーロー
トム・マッカーシー 監督による2015年製作(128分/G)のアメリカ映画。
原題:Spotlight、配給:ロングライド。
米国で8年前に作られた映画だが、まさに今日本ではジャニーズ事務所の問題が取り沙汰されており、goodタイミングな映画であった。
この映画は、とんでもない神父がいただけで終わらせていけない、再発の防止のためには
カトリック教会の組織ぐるみでの隠微の証拠を示さねばいけないということで、新聞記者たちが頑張った物語。ボストンの地元新聞Globeの記者たちがカッコ良い、特に他社を意識し少しでも早く報道したい部下を冷静に抑えるウオルター・ロビンソンを演じたマイケル・キートンが。そして、米国の報道状況を羨ましく感じてしまった。
一方日本では文春がスクープしたが、日本の新聞やテレビはどこも、ジャニーズ事務所自体の関与や責任を追求する様な調査報道姿勢は見せず、ただジャニーズ個人の問題にして、風化を待っている様にも思えてしまう。英国BBCは特集番組を作ったのに。日本にはまともなジャーナリズムは存在しないのか?
この映画がとても良く、アカデミー賞(作品賞及び脚本賞)というかたちで米国で評価されただけに、日本の現状を悲しく感じてしまった。ジャニーズ性加害を含めて多くの被害者が、会見を外国特派員協会で行う理由が、悲しいことだが、良くわかってしまう。新聞社の良心や報道姿勢が、信用・信頼されていない。
まともな調査的?報道は、日本では週刊誌と外資報道機関に期待するしかないのか?
監督トム・マッカーシー、製作マイケル・シュガー、 スティーブ・ゴリン 、ニコール・ロックリン 、ブライ・パゴン・ファウスト、製作総指揮ジェフ・スコール 、ジョナサン・キング、 ピエール・オミダイ、ア マイケル・ベダーマン 、バード・ドロス 、トム・オーテンバーグ 、ピーター・ローソン 、ザビエル・マーチャンド、脚本ジョシュ・シンガー 、トム・マッカーシー。
撮影マサノブ・タカヤナギ、美術スティーブン・H・カーター、衣装ウェンディ・チャック、編集トム・マカードル、音楽ハワード・ショア。
出演
マーク・ラファロマイク・レゼンデス、マイケル・キートンウォルター・“ロビー”・ロビンソン、レイチェル・マクアダムスサーシャ・ファイファー、リーブ・シュレイバーマーティ・バロン、ジョン・スラッテリーベン・ブラッドリー・Jr.、ブライアン・ダーシー・ジェームズマット・キャロル、スタンリー・トゥッチ、ビリー・クラダップ、ジェイミー・シェリダン。
事件の真相を追う姿がリアル
記者達が地道に取材を重ね、事件の真相が明らかになっていく。
マイケル・キートンの抑えた演技、レイチェル・マクアダムスの魅力が光っていた。
紙面で、当事者の話や詳しい情報を知る事が出来るのは、記者の皆さんの真摯な思いと地道な努力の積み重ねのお陰だと改めて感じました。
BS日テレを録画にて鑑賞 (字幕版)
ジャーナリズムの真髄
日本人にはわかりづらいけど、教会と言うのは欧米人にとって大変神聖なものであり
生活にも非常に密着していて、しかも、厳かな存在である。
そんな信者を裏切るような教会組織の裏に潜む児童虐待と言う悪に淡々と追っていく記者たち。ここで犠牲になっているのは貧困や家庭に問題にある子供達がターゲットになっていることを突き止めていく。明るみに出たとしても、示談にて解決金で済まさせれてきた。
編集長の最後の言葉「我々はいつも闇の中を手探りで歩いている。そこに光が差して初めて間違った道だとわかる」と言う言葉が印象的。
女性記者の信心深いおばあちゃんが暴露記事を読むシーンもよくできている。
記事を見た被害者からの鳴り止まぬ電話。
更なる被害者を出さないために、困難を乗り越えて巨大組織の悪に立ち向かって行く。
これこそが真のジャーナリズムではないだろうか。
すごく大きな山場とかはないけど、じわじわくる感じで好きな作品。 久...
すごく大きな山場とかはないけど、じわじわくる感じで好きな作品。
久しぶりに鑑賞。(改めて観ると、バロンほぼ何にもしてない…!)
記者の住む家の近くに現場があって、自身にも子供がいて…のシーンは短めだけどこちらにも緊張が走る。一気に身近なものになる…。自分がその宗教だったら、自分や家族が教会に通っていたらとゾッとする。
虐待シーンは一切ないが、それが想像をかきたてる。
ほかのレビューで、「教会側の目線や意見がないのはどうなのか」という意見を見て確かにと思った。
が、被害者がいたことは事実だし、記事にはあった体かもしれず、そこも自身の想像で補完すればよい話だと思った。
聖域の暗部に挑む!
第88回アカデミー賞作品賞・脚本賞受賞作。
Huluで鑑賞(字幕)。
実話ベースのため、派手な展開やアクションは無く淡々としているにも関わらず、記者たちが教会の暗部に肉薄していく様が非常にスリリングで、手に汗握りました。
神父による性的虐待と教会が行った組織ぐるみの隠蔽…
敬虔なカトリック信者が大多数を占めるアメリカと云う国においては、神を信じるが故に教会がそんなことをするはずが無い、と云う先入観が蔓延っていたのだと思います。
大勢の認識に風穴を開け、真実に光を当てる作業はどれほどの困難を伴ったことだろうか…。全てを隠蔽し事件を葬り去って来た教会組織の壁はめちゃくちゃ分厚かっただろうし、泣き寝入りするしか無かった被害者たちが語る残酷な経験に真摯に耳を傾けた取材にしても、被害者に心を開いてもらうには相当な時間が必要だったのではないかと想像しました。
誰もが尻込みする絶対的権力に果敢に挑み、隠されていた真実を詳らかにして、世間の風向きを変えたボストン・グローブ紙「スポットライト」チームの記者魂に感動しました。
渋い役者さんたち
渋い役者さんたちが揃って、大スクープをものにしていく。
腐敗した教会組織を追い詰める目的と他社に先を越されないための限られた人数での行動。
正義感と功名心のバランスもうまく表現していたと思う。
闇の中に光が射し込むとその一点から光は広がる。
その現象を題名が現しているし、最後の鳴り止まない電話も象徴している。
その一点を獲るための記者たちの努力というものが胸に来る。
みんな名優たちだね、素晴らしい映画を見せてもらった。
見方を問われる作品。
カトリック系私立に長年通っていたので、この手の話は元々聞いた事があった。
善悪を教わる専門の組織だからこそ、敬う対象でもあり、神に最も近い聖職者の悪事。
淡々と情報収集を続け、徐々に裏が取れていく。
秘密裏に動く新聞記者4人のチーム、各々がなすべきことをフル稼働でこなしているが、過度なチーム!という励まし合いなどなくても信頼関係がしっかり構築されているのが良かった。
聖職者達による小児性愛の隠蔽は、確かに司教区や皇教が組織的に行なっている。
だが、ボストンという街を背景に、沢山の犠牲少年少女たちが出ている状況を、教会だけではなく、街全体=自分達も見て見ぬ振りしているのではないか?これは他人事ではないごく身近に起こっていた事なのに。これを突きつけてくる作品。
カトリックという宗教が当然のように根付いている地域にとって、教会に行き司祭の話を聞いて育つのは習慣であり、教会に携わらずに成長するものは少ない。
作品中に出てくる、地域の野球チームのようなもの。
しかも教会は、人々が心を通わせ共感し支え合い、同じ気持ちを抱く、心の交流の場、憩いの場、許しの場でもある。
誰もが成長し別々の職に就き様々な人生を歩むが、自らの軌跡の中にある、教会を、司祭を、あえて否定し糾弾するのは心理的にも辛い事。同じ街で生まれ育ってきた仲間の人々を否定し、その街に根付く過去を否定するのともニアイコール。
新しく違う街から来たユダヤ系トップだからこそ、目についた事件、大ごとにするのを厭わない姿勢。
それによそ者意識を抱く者もいる中で、真実を大切に報道する責務は同じ仲間、と記者各々が新しいトップを受け入れていた。
記者それぞれも、他人事ではなくこの件を身近に感じショックを受けながらも、記事に向けて調査を進めていく。小さな火種があった時に報じるチャンスを眠らせてしまっていた者、司祭達の弁護を親友がしていた者、子供達も通る近所に司祭のケアセンターがある者、教会に通い続ける祖母に事実を知らせなければならない者。
それぞれが街に住んでいる以上なにかしらこの一件に関わっていて、街に思い入れがあるほど、ショックも大きく、自責の念にも駆られる。
記事の後も同じ街で生きていかないといけない記者達にとって、大スクープの記事を街に投下することは、その後の人生、人間関係にも大きなヒビを入れかねない、生きづらくなる可能性もある出来事だっただろう。でも、全員が被害者の目線を向いて、真実を追求して、記事を公開する方向で奔走していく。誰も抜け駆けや出世を狙うなどの行動のブレがない。
私生活を犠牲にしながらも、真摯に事実に向き合う姿勢にとても好感を持てた。
では司祭達が根っからの悪党かというとそうではなく、禁欲の教えを厳格に守ろうとする聖職者だからこそ、歪みが生じて、身近で大ごとになりにくい少年少女にしわ寄せが行ってしまう。中には司祭自身が被害者だった者もいる。若くから聖職者として勤め、複雑で綺麗ごとだけではいられない思惑が交錯する現実の中に身を置いていなければ、精神年齢が12-13歳のまま成長が止まっていたとしても不思議ではないだろう。まだ司祭自体が大人になっていないから心の綺麗な説法をできるのかもしれないが、身体面の欲求を理性でコントロールできないのではかなり問題。
その問題司祭が、全員の6%にも登るというのだから、これはカトリックという宗教のあり方の根幹を揺るがす大問題。トップが隠蔽に励むのも当たり前だろう。
一方で、記事の事実収集に駆け回っている頃、9.11テロが起こり、多くの人々が教会を必要としていたこともまた事実。
非常に大きな問題だが、だからといってカトリックや宗教そのものを悪とは言い切れず、教会が街に、多くの人々に多大な貢献もしているという、こみいった問題。
ある種、組織の縮図とも言えるカトリックの組織体系。
第三者を入れない閉ざされた組織のあり方、内部の人間だけでは何十年かかってもまず変えられないだろう。
記事を読んだ人々が、記事をきっかけに見て見ぬ振りをやめ、能動的に更なる情報提供を行ったように、この作品を突きつけられた鑑賞者達も、これ以上の子供が被害に合わぬよう、子供を守りながらの信仰のあり方を模索していく義務があると感じた。
ボストンだからこその衝撃
ボストンという街は、アメリカの中でも歴史のある方で、嘗ては「ニューイングランドの首都」と呼ばれていたほど、ヨーロッパからの移民が大勢を占め、故にカトリック信者が圧倒的に多い。
そういった環境の中で、司祭、神父の小児虐待の事実、その教会の隠蔽の暴露は、日本でいうと◯◯新聞が信◯町の◯価◯会・・・、この話辞めましょうね。
今まで実話ベースの映画ってあまり面白くなかったから苦手ですが、オスカー脚本賞取っただけあってなかなか面白く観られました。スポットライトメンバーの自宅近くの療養所とか不穏だったから、もう少し脚色しても良かった気もする。
事実とはいえ、これだけカトリック教会と対峙した話をよく映画にしたなと感心。
でも感動したか、というと微妙な話。
ドキュメンタリーに近い。
うん、見応えはあった。ただ、この手の映画をあまり観ていないからだろ...
うん、見応えはあった。ただ、この手の映画をあまり観ていないからだろう、途中で少し眠くなったのと登場人物が多いので誰がどの人か分からなくなることもあった。記者たちの仕事をじっくり描いてあるし、ラストがどうなるのか引き込まれることもあった。
後は他の人の感想を観てから
演出は派手さはないが、適切な塩梅だと確かに思った。
登場人物たちの静かで熱い思い
地味といえば地味かもしれないが、こういう一つ一つの積み重ねで社会が動いているんだ、と思う作品。
特に「今が大事なんだ」と主張する現場記者と「そうではなく、システムを変えなくてはいけないんだ」と主張する部長とのやり取りは必見。
ともすれば単なるありふれた構図にしかならないかもしれないが、自分が浸かっている社会(宗教的意味で )で、自分が被害者になり得たかもしれない、という恐怖感や、この一分一秒に被害者が生まれているのだ、という焦燥感が見えたのもまたよかった。
自分達が思っていたより遥かに多い被害者・加害者が見つかった、しかし公表後はもっと多くの人たちが被害者だったとわかった。
一番最後の字幕で出た数多くの都市の名前、そしてその数以上の被害者たち。
登場人物たちは何を思ったのだろうか。
喜び、安堵、後悔、感謝、怒り・・・色々なものが連想されたし、「アメリカの、宗教の話だけではない」というのが製作側の意図なのかとも思った。
ともかく、いい作品を見せてもらった。
熱血お仕事ムービー
記者という仕事の実態はこうなんだろうか。だとしたら、めっちゃカッコいい(笑)
近頃の芸能スクープで、記者=パパラッチのイメージが勝手についてたけど、スポットライトのチームみたいに、人を救う記者がいることを改めて感じた。
神父による性的虐待、このニュースはいつぞやのテレビで見た気がするけど、そのときはどれだけ卑劣で残忍な行為なのか知らなかった。教会にしか身の拠り所がないようなど子もたちを食い物にするなんて。。。泣
神父=神様か。。。 唯一信じる存在からそんなことをされたら、命を断ってしまう人がいるのも頷けてしまう。。。
中身がとても濃くて、実話と思えないドラマチックな話。ただ、出てくる名前が多くて若干着いていけなかった。もう一回見れば、細かい繋がりもわかってもっと楽しめそう。
よくわからない!!
ただの映画として観るとチームで仕事をしているだけの内容です。内容を捉えようとすると、畳みかけるような台詞回しで何となく凄い事のような気にさせる、まくしたてる作りです。しかし結局どういう事なのか誰も分からないと思います。全くピンと来ないし、何かの目的でわざわざ映画にしたという印象を受けますが、エリザベス女王と法王による大量の子供の人肉食の話題を、児童虐待にすり替えて煙に巻く意図があると思います。オバマの写真で有名なピザゲートや日本でもプチエンジェルが話題になりますが、日本の年間行方不明者数8万人のうち女性は約3万人、警察庁のPDFでも少女の具体的な数は分かりませんが、人身売買からの人肉食などはごく身近にある問題だと思います。
ずっと観たかった
こーゆー映画を観るとジャーナリストに憧れると同時に古くからあるものは、叩けば埃が出てくるということ。
素晴らしい映画だと思う。
また観るかと言われると分からない。
けれど観て心の糧になる、そして社会人として
また明日から頑張って働こうと思える映画でした。
見応えはある
まぁなるほど。見応えはある。ただ出演者が多すぎて筋を追うのが大変。さらにいろいろ疑問は残る。
途中で「いたずらしたよ」って言った元神父(?)さんはレイプされたって言ってたけど、どういうことなのか? 電話だけ出てる心理療法士ってのは、なぜ電話だけ? 途中で電話が切れたのはなぜ? たまたま?
教会は無くなるが信仰は無くならない
カトリックの方が神父は神であるという認識を思っている方がいると初めて知った。吹き替えで見たためその辺の翻訳が少しずれているかもしれないが思ってもみないことだった。
何より9.11のすぐ後に報道になるこれは…
非常に素晴らしい作品
真実を知るのが怖いのではない。信じたことを疑うことが怖いのだ。
つい忘れるが、我々は闇の中を手探りで歩いている。
そこに急に光りが射すと、ようやく間違った道に来たことに気付く。
2001年アメリカ・マサチューセッツ州ボストンの日刊新聞「ボストン・グローブ」のチーム「スポット・ライト」がある事件を調査し、記事にして公表するまでを丁寧に描いています。実話です。
事件というのは、カソリック神父による子供への性的虐待です。
カソリック教会は、事件を知っていながら、問題の神父(複数)を異動させたり、お金で被害者側を黙らせるなどしていた為、この事実が発覚するまで、かなりの年数が経っていました。
結果、とんでもない被害者数になっています。
この事件が発覚しなかった理由は、概ね下記の通りかと思われます。
1)カソリック教会が組織ぐるみで隠蔽していた。
2)殆どの被害者が貧しくお金で黙らせることができた。
そして本作を理解する上で、最も重要なこと。
3)キリスト教徒においての"神"の意味。アメリカ、そしてボストンの地域性(ほぼカソリック)。
が、理由に挙げられると思います。
アメリカの紙幣には「In God We Trust」と印刷されていますよね。
「我々は神を信じる」
これはアメリカ国家の公式なモットーですよね?
この事件が長らく発覚しなかったのは、勿論カソリック教会の腐った体質もありますが、もう一つは「聖職者がそんなことをする筈がない」という、いえ、そんなことを考えることすらできないほどの深い、深い、信仰心を持った人たちが住む国、そして街であったということだと思います。
この"深い信仰心""神"を理解しないと、本作の本当のテーマは汲み取れないように思われます。
例えば、マイケル・キートン演じる"スポット・ライト"チーフのロビーは、一度、この神父による性的虐待を記事にしています。
さらっと、軽く。
しかし、ボストンの地域性に縛られず、カソリック教徒でもない新編集長がマイアミから来て言うんです。
「この事件、もっと掘り下げるべきじゃないか?」
カソリック教徒のロビーは「とんでもなく重大な事件である」という、認識さえなかったんです。これ、上記した3)の理由を証明するエピソードだと思います。
光が、差した瞬間です。
当然こんな地域性ですから、記者達は色んな妨害にあい、事件を取材していくんです。
記者達がノートにメモをとっている姿が、新鮮でした。一つ、一つ、起こった事実を丁寧に書き取っていく。
大人になった被害者が数名、加害者もちらっとしか出て来ません。そして一番印象的なのは、起こった事件の"再現シーン"がないこと。
大人になった被害者への、聞き取り取材シーンのみです。
何故なら再現シーンは"想像"だから。
本作に好感を持ったのは、この点です。
ドラマティックな展開はありません。記者達を過剰にヒロイックに描いてません。寧ろ、ロビーのエピソードから、事件の一端はメディアにも責任があるという主張。
あ、なんだったら善悪とか、正義とかについて、何一つ言及していません。
ただ"事実"をありのままに伝えようとする、記者達の姿を淡々と描いています。
その判断をするのは、記事を読んだ読者。映画を観た、観客。
しかし逆に言うなら、私達は記者を通してしか、事件の全容を知ることができないということですね。
ここは言及せずに、含んでおきます。
ジャーナリズムの意味を、考えさせられる内容でした。
そして個人的に思うのは、本作は邦題のように"世紀のスクープ"を描いた作品でも、記者達の正義感を描いた作品でも、また、おぞましい事件を描いた作品でもないということです。
本作で描かれたのは、"恐怖"です。
聖職者から受けた性的な虐待は、「魂への虐待」と表現されています。
なぜなら、子供達は「神を失った」からです。信仰を失ったからです。
貧しい家の子供達にとって、教会へ行く意味、また"神"に縋る意味は、裕福な家の子より大きい筈です。
彼等は、生きる大きな"支え"を失いました。
その為、被害者達は薬に依存したり、中には自殺された方もいます。
記者達も、神を失いました。
もしかしたら、この事件の記事を読んだ人達も神を失ったかもしれません。
失わなくても、とてつもない"恐怖"を感じた筈です。
「おぞましい事件だ!やべ、こえー!」
でしょうか?
そうじゃないと思います。
本作で描かれてたのは、「世にもおぞましい事件を知る恐怖ではなく、"信じた何かを疑う恐怖"」です。
記者達の戸惑いと恐怖の向こう側に、自分のアイデンティティを根底から叩き壊され跪く人達の姿が見えました。
本当に、怖い映画でした。
やっぱ、映画館で観れば良かった!
アカデミー作品賞の中では、一番好きかもです。
あ、でも。
敢えて苦言を呈すれば、レイチェルの金髪ってあんまり好きじゃない。
あ、本作もマーク・ラファロは良いですが、私の中のベスト・ラファロは日本劇場未公開(DVDは出てるよ)の"それでも、やっぱりパパが好き!"だということを付け加えて、終了します。
※Catholic 日本では公式には「カトリック」と表記します。
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