「新たな神と造物の神話」エイリアン コヴェナント 思兼さんの映画レビュー(感想・評価)
新たな神と造物の神話
「プロメテウス」から続く本作のジャンルは、もはや「エイリアン」シリーズで描かれたSFパニックホラーではなく、生命と進化の起源と謎を問うという哲学的・観念的なSFになっている。タイトルに騙されて「エイリアン」のノリを求めて見た観客が肩透かしを食らうことは間違いない。
本作で描かれた物語は、端的に言えば「神殺しによる新たな神の誕生」であり「神話」ともいうべきものだ。
本作(前作の「プロメテウス」も)の真の主役はデヴィッドである。もとより不老不死のアンドロイドである彼にとって、自分を生み出した神であるウェイランドが求めたエンジニア=神とは生命を創造する者に他ならず、前作の時点で彼は新たな生命の創造に強い関心を持っていた。
そして本作でオジマンディアスを愛し失楽園のサタンの言葉を引用する彼は、自分を生み出した神=人間への反逆の意思をもはやむき出しにしている。彼は、自分を生み出した神である人間を殺し、その人間を生み出した神であるエンジニアたちをも殺し、その一方で自分が新たな生物であるネオモーフ(エイリアン)を生み出すことで、前作でウェイランドが渇望した「神への昇格」を果たすのである。
「コヴェナント」は神と人の契約(聖約)の意味で、それを守る限り繁栄が約束されるというものだが、人類の新たな植民地を求めて旅立った船にこの名をつけたのは植民地における人類の繁栄を願うものだったろう。だがそれはデヴィッドに奪われ、新たな神・デヴィッドと、彼から成体幼体合わせ3000の生贄を与えられた新たな造物・ネオモーフたちとの「繁栄の契約」にすり替わる。ここに、神々の黄昏を予感させるワーグナーとともに、デヴィッドを神とする新たな世界の「神話」が完成するのである。
この物語において人間は、自分が生み出した造物に滅ぼされる古き神、新たな生物の生贄であるにすぎない。人間を主人公とした時、本作はまさに絶望の物語である。恐怖の中、意思も力も持ちながら為す術もなく永遠の眠りに引きずり込まれていく主人公の末路は、自分たちの存在が奪われる恐怖を象徴するものだ。
その意味では本作は「エイリアン」シリーズとは異なる恐怖を描いたといえるだろう。