「人間の邪悪は野獣もてこずる」美女と野獣 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の邪悪は野獣もてこずる
ディズニーがアニメで有名にした名作だとはなんとなく知っていて、アニメの美女と野獣の一枚の絵のようなものはみたことがあったが、実写版で初めて観てしまった。ミュージカルが織り込まれているが、それをミュージカルと言うのだろうか。全部が歌ではないが。昨年の公開だとは、どこで漏れたのか、私の記憶に無かった。愛のない暴力的な位の高い男が、その罰として野獣に変えられてしまった。お互いに愛を知る人と出会うと人間に戻るという魔法だった。薔薇の花の最後の一枚が散ると永遠に人間に戻れなくなる。召使たちは食器に変えられたりしていたが、話したり動くことが出来た。ちょっとぼおっとしていたら話が進んでしまっていて、なぜか一人の若い女が野獣に変えられた男たちの住む城に入り込んだ。食器たちが、この女こそ呪いをかけられた自分たちを人間に戻すことのできる、すなわち野獣と愛し合えばそうできる女だと感じて、女をもてなす。これがアニメでなくても表現できてしまう時代になってしまったCGの凄さが見て取れる。もし美女と野獣が結ばれる結末なのだとしたら、食器たちの女へのもてなしは、祝福の儀式のようなものであって、周囲というか、社会と言っても良いが、そうした背景に結婚への祝福があれば、結婚へつながっていくのだろう。現在の日本は社会の多くが、男女の結びつきに絶望している。野獣も女をみた最初は人間で無くなってしまったこともあって、絶望的だった。女は複数のオオカミに自らを防衛しようとするほど勇気があったが、危機一髪の時に野獣が現れ、オオカミたちと格闘して女を救った。
そして気絶した。この物語では、男の姿が野獣であっても、命を助けてくれたものとしての女の気持ちがあった。なぜ野獣は女を助けたのかというのもある。その二人とは別に、女と結婚を望む、
がさつなガストンという男が出るが、これがひどい男で、女の父親が言うことを聞いてくれないので、オオカミに食われてしまえと木に縛って道に放っておいてしまう。これでは父親も女もガストンとは結婚するもんかと察知しているわけである。脇役には善人もいれば悪人もいるが、ここでは悪役であった。物語によっては善人の脇役が主役の男女二人が結ばれるサポートをしたりする。この物語では食器たちであろう。食器たちは女と結婚しようというわけではないが、人間に戻れるきっかけにはなる。食器たちの愛が自らも人間に戻り、愛を教えてくれているのかも知れない。社会が結婚を祝福するならば結婚は増えるだろう。ガストンたち対食器たちになるが、邪悪な人間のほうが、
野獣よりも怖いのかというようなところを垣間見せているのだろうか。ガストンが悪者だと知った男が、カップのおばさんを助けて味方になるところは爽快であった。強欲な人間の男こそ形は人間でも野獣だったんだな。キリスト教の復活のような影響があるんだろうか。それでもカタルシスな感じだった。個人的にはキスシーンはないほうが良いと思ってしまっている人が私なのだが、西洋的なラストだった。愛は勝ち、戻るのだった。