「ひとも家族も脆く壊れやすい」虹蛇と眠る女 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ひとも家族も脆く壊れやすい
舞台は、オーストラリアの砂漠地帯にある100戸程度の小さな町。
マシュー(ジョセフ・ファインズ)とキャサリン(ニコール・キッドマン)の夫妻は、15歳の娘リリー、弟のトミーとともに、最近越してきた。
かつて暮らしていた街で、リリーが学校教師とただならぬ仲になったことが原因で、逃げ出した格好だ。
越してきた町は狭くて娯楽も乏しく、子どもたちは町に馴染めない。
ストレスからか、トミーは夜な夜な部屋を抜け出し、近所を歩き回ったりしている。
ある夜、リリーもトミーとともに、夜、自室を抜け出し、朝になっても帰らなかった・・・というハナシ。
ミステリーならば、子どもふたりが姿を消したのは事故なのか事件なのか、その動機は何なのかが興味の焦点になるし、まぁ、日本タイトルからはそんな映画だろうなぁ、と期待する。
しかし、そんなところに関心を抱いていると、この映画、非常につまらなくなってしまう。
たしかに、ふたりの子どもが姿を消したのは謎めいているが、判ってしまえば、それはありきたりのことだった。
なぁんだ、どんでん返しみたいのはないのか、と拍子抜けしてしまうようなことなのだ。
じゃぁ、この映画の見どころはどこかというと、それは、ひとも家族も脆く壊れやすく、壊れていくさまは恐ろしい、ということ描いていく。
この町に引っ越してくる以前から、(子どもの眼からみると)壊れているマシューとキャサリンの仲。
子どもたちの失踪を機に、ふたりは、仲が壊れるだけでなく、人格さえも壊れてしまう。
ふたりとも情緒不安定になり、マシューは暴力的になり、キャサリンは性的不安定なっていく。
その崩壊力は、子どもたちを捜索の中心となる警官のレイ(ヒューゴ・ウィーヴィング)にも及び、彼とアボリジニの恋人コリーンとの仲にも亀裂が入る。
この壊れていくさまを、ニコール・キッドマンもジョセフ・ファインズもリアリティをもって表現しており、鋭く胸に突き刺さる。
特に、行方不明の子どもを案ずるあまり、アボリジニの虹蛇の伝承にまですがらざるを得なくなってしまうキャサリンには、ニコール・キッドマンの体当たりの演技もあって驚かされる。
ラスト、マシューとキャサリンは少なからず互いを理解するのではあるが、すべてを受け容れたわけでもなく、この落としどころも、また現実的だと感じました。