劇場公開日 2016年9月17日

「制作側の意欲がビンビンと伝わってくる作品でした」映画 聲の形 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5制作側の意欲がビンビンと伝わってくる作品でした

2016年9月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

幸せ

すごい。なにがって、このいじめをテーマにした漫画を映画にしようとした意欲がすごい。「君の名は」の成功のすぐ後だけにそれに便乗したかのような向きもあるが、むしろ、公開が逆であったとしたら、その風潮は逆であったかもしれない。それほど、この映画の力はすごい。
アニメならではの表現(バッテンで心理描写を表現するなんて絶妙だ)も駆使するし、風景のひとつひとつ(季節や川や鯉だけでなく、遠近やボカシも含め)が心情表現に一役買っている。引き込まれっぱなしだった。

そりゃあ初めは石田は悪い。だけど、子供って残酷な生き物なんです。放置すれば、どんどんエスカレートするんです。だって、それが人生を歩き始めたばかりの経験の少ない子供なんですから。
だからこそ、周りの大人がよく見てあげていることが肝心なのに。たとえば、硝子のおばあちゃんのように。硝子のお母さんは、硝子の障碍を我が罪として背負い、その反動で硝子に厳しくなっていたのはわかる。その根底にあるものは愛なのだから責める気はもちろんない。島田にしても植野にしても川井も佐原も、まだ幼い子供だった。僕が責めたいのは、担任の先生だ。校長(か?)が硝子の転校を告げたとき、担任は石田を名指しした。つまり、担任はそれを以前から知っていて放置していたのだ。コノヤロウと思った。むしろ事態を改善できなかった責任こそあれ、石田をヤリ玉にあげるのは筋違いなのだよ。気配りのできないあんな担任のクラスに入ったことが残念でしかたがない。
ともあれ、それは過ぎたこと。
場面場面で、「お前ならどうする?」と突きつけられるようで、ヒリヒリする。お前がこのときの硝子なら?、お前がこのときの石田なら?、お前がこのときの植野なら?、、そのときそのとき、まるでナイフで脅されているかのように突き付けてくる。
正解なんてでない。せめて、人を傷つけることのないように、と気遣うことしかできない。あ、石田はそうして、自分を抑え、殻をつくるようになっていたのだろうか?、孤独になってからの石田の優しさに見える行動は、人との接触を避けたいだけの態度だったのか?
だからこそ、最後のあの晴れ晴れとした表情が、よかったじゃないか、と声をかけたくなってくるのかもしれない。

栗太郎