溺れるナイフのレビュー・感想・評価
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出演陣は悪くないのだが……
小松菜奈、菅田将暉はどちらも好きな俳優。重岡大毅の演技は今回初めて見たが、良い意味でジャニーズらしくないルックや佇まいが好ましいと思った。 でも、これはこの作品に限った問題ではないけど、もう二十代半ばにもなろうかという菅田君が冒頭で中三を演じる時点で、「ああ……(嘆息)」となってしまった。せめてハイティーンの俳優を使うとか、十代の頃と大人になってからを別の俳優にするとか、ほかに選択肢はなかったのか。 映像的にも、いくつか印象的なショットもあるのに、編集のリズムが良くない。音楽も、統一感のない選曲で、四六時中鳴っている感じがしたし、PVみたいな演出のシークエンスも個人的には響かなかった。 全体的に、個々の豊かな資質や価値のあるリソースがうまく連動せず、ちぐはぐなままで、もったいない。山戸結希監督のオリジナル脚本で次回作を観たい。
原作漫画に興味が沸きました
原作漫画を先に知っていたら、きっとこんな高評価にはならなかったでしょう。 今作はテンポが良くて観ていて飽きませんでした。おかげで途中で眠くなりませんでした。ストーリーはミステリアスで神秘的で程よく難しく、景色も出演者も美しく、カメラワークも良かったです。恋愛部分も程よくじれったくて、コウ(菅田将暉)を好きな夏芽(小松菜奈)を応援しながら観たので、ラストは嬉し涙が出そうになるほど感動しました。
菅田将暉と小松菜奈がおいかけっこしてるだけ
せっかく良い音楽、豪華な俳優陣、綺麗なロケ地で撮ってる映画なのに終始菅田将暉と小松菜奈が追いかけっこしてたり、コウを追いかけてという素晴らしい楽曲が全く合わないシーンに使われていたりと残念でした。予告を見て面白そうと思いましたが結局、雰囲気だけの映画でした。
夏芽が試写会で見たもの
この作品に仕込ませてある「神」という概念は場所を示し、コウの宿命を示している。 コウは神を感じることができる。現代でいうスピリチュアルな感覚を持つ。その感覚に従い、研ぎ澄まそうとする。それは、この地の神に選ばれたことを意味している。 そこに現れた夏芽 海から出て夏芽に駆け寄る。 「会ってしまったのう」 この言葉は後半の回想場面で明らかになる。コウには夏芽が「光って見えた」 「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」 コウの形容しがたい雰囲気と立ち居振る舞い そして突然海の中に突き落とされる。 このことが夏芽の中の何かを刺激し始め、気づけばいつもコウの背中を追いかけていた。 「私、あの子に勝ちたくて、この仕事受けた」 撮影中のカメラマンに石をぶつけるコウ 逃げたコウを夏芽は追いかけるが、決して掴まえられない。悔しさが全身を覆うとき、カメラマンが夢中でシャッターを切った。 「もっと遠くに行ける」 コウも夏芽に言う。 「遠くに行けるのがお前の力じゃ」 もしかしたらコウは、早くから夏芽の光輝く場所に気づいていて、異常者との出来事は夏芽に出された試練ではなく、コウに出された試練だったのかもしれない。 コウは夏芽といる時間が長くなればなるほど、その研ぎ澄まされた神の声によって、彼女を解放しなければならないと指示され続けていたのかもしれない。 コウにとってナイフは、守ることができなかった悔しさと無力感の裏返しだと思っていた。不良グループとの付き合いや喧嘩に明け暮れる毎日によって、研ぎ澄ました感覚を消したかったのかもしれないと思っていた。しかしコウは神に選ばれし者、消すことなどできないこともわかっていた。 「また(もう)顔見せんといてくれ」と言って投げたナイフには、自分自身の宿命を受け入れるしかないという意味があったのだろう。 夏芽にとってそのナイフは、「遠くに行く」自分の力を信じて突き進めという意味があったのだろう。 コウにとって自分の宿命を切りたかった象徴がナイフだ。 夏芽がナイフを受取ったことで、このナイフは事実上使用済みになったと考える。 夏芽は予定通り上京しなければならないのだ。 この作品を考察するにあたり、2つの観点があるように思った。 日本神話と単なる物語だ。 しかしこの作品がモチーフにしているのは、夏芽とコウだけだろう。カナには明確な役割が与えられているので、もしかしたら神話の中に登場しているのかもしれない。 さて、 この二人の神が浮雲の地に降り立った。 まるでケミカルリアクションを見ているようだった。 菅田将暉くんと小松菜奈ちゃんの演技の根幹にある感覚の根源が反応している風にしか思えなかった。 これが芸術的爆発なのかもしれない。 Wikiで見れば原作は漫画のようで、つまりこの二人は漫画を地でやってのけたということだろう。 漫画は漫画だが、漫画を作るものはそもそもそこに情熱の存在を確信している。二人はその世界観を自分自身の根源から表現したのだろう。 この二人と比較すると、もちろんそれもまた演技だが、夏芽と大友のカップルが普通にしか見えない。 逆に言えばその使い分けもまたすごい。 夏芽がコウと一緒にいる時に見せるケミカルリアクションと大友といる時に見せる普通の女子高生。 この女子高生のときの夏芽は、コウと別れていたので普通だったのだろう。中学の時、魚を届けに来た大友との会話では、夏芽はそばにコウがいるようにフワフワとしている。この掴まえようのないフワフワ感が本来の夏芽の通常モードなのだろう。今の状況にとても満足している。 中学の大友はその感性に引き寄せられるように動いているものの、フワフワと動く彼女に付いて行けない。 「浮雲」という地名にある神事と火祭りと「神」 この地に生まれ、それを守る責務を負うコウは、物理的移動のできない宿命。 変えられない「運命」 それに対し、 有名写真家に「夏芽ちゃんはもっと遠くに行ける」と教えられた彼女は、この地で「何か」を掴み、そしてこの地から出ていかなければならない運命、宿命を担う。 15歳の二人は、 若さゆえ、自分自身をさらけ出して叫ぶことができるし、全力で輝きたい衝動がある。しかし彼らはそのままで「誇り高かった」のだ。 自分をさらけ出すことができ、自分に嘘をつかないこと これができるものは極めて稀だろう。 夏芽は東京でモデルをした経験で、嘘だらけの芸能界にある本当の芸の光の存在を垣間見た。または感じ取ったのかもしれない。極々稀にいる有名カメラマンのような人の言う嘘のない言葉。 「それ」になれば、そこに嘘がないことがわかる。作為で作ることのできない「作品」が生まれる。でもどうしたらいいのかわからないまま、親に言われるがまま浮雲へと移住した。 夏芽は、浮雲の地で立ち入り禁止区域の中の海に身を委ねているコウと出会う。 神聖な場所 立入禁止 神のいる場所 夏芽の心の芯を見抜いたコウ 見抜かれた夏芽は言葉も出ない 「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」 彼の言葉に夏芽は唯一この町で心を惹かれるものに出会った。 それがコウという人物 夏芽は自分の感情を口に出す。 「私が欲しているのは、この体を貫く閃光」 この閃光の正体を見極め、その力でさらに輝ける存在になる実感を掴むことが夏芽がこの地ですべきことなのだろう。 さて、 カナとはいったい何者だろう? カナはちょくちょく夏芽に話しかけるが、その多くはコウについてだ。 カナは「噓つき」だ。カナはずっと以前からコウのことが好きだ。 しかし、そのコウとピッタリなのは誰が見ても夏芽。 カナは二人を取り持ちながら、隙を窺っている。絶えず様子を見ているのだ。 そして、 コウに与えられた使命は、夏芽が自分の力を見出し、それを信じ、もっと遠くに行く後押しをすること。 そのために、 物語には事件が起きる。 異常者の登場 「お爺さんが倒れた」 カナは目撃者 コウは車を追いかけ夏芽を助けようとするが、石で打たれ倒れる。駆け付けた仲間らが異常者を取り押さえるが、コウの中には自分で助けることができなかった悔しさと無力さでいっぱいになる。 自分自身が許せないコウは夏芽と別れた。そして同時にこれが神からの指示だということを理解する。 この時もうほぼ夏芽の機は熟していた。 それを受け入れられないでいるのは、コウだった。 抜け殻のように高校生活を過ごす夏芽。夏芽がカナの言葉を生理的に嫌うのは、カナが持っている使命に対する嫌悪感だろうか。 やがて夏芽は大友と付き合い始めるが、有名カメラマンが「君ならもっと遠くに行けると思ったけど。もう二度とこないよ」 夏芽にとってSNSの誹謗中傷などさほど気にならないが、自分自身の感性を否定されるのは我慢できなかった。しかしそれは当たっているのだ。自分の中に光を失ってしまったことを完全に見透かされた。 夏芽は川岸まで走って転げ落ちながら泣き、神社に行って祈った。 「普通の幸せ」 「私の神様、もう一度会えませんか?」 神が差し出したものは「コウ」だった。あの事件の意味はコウには理解されたが、夏芽には大きな喪失以外何もなかった。 神様は面倒くさい。 神はもう一押しをコウに託すのだ。 さて、 溺れるナイフ この意味は何だろう? 何度も登場する海のシーンも川のシーンも、溺れる気配すらない。 異常者が自殺するときに使ったナイフ。 異常者は二人を引き裂いた象徴。 ナイフはコウから夏芽に渡された時すでに役割を終えている。 しかし夏芽とコウの中にある「あいつの呪い」は消さなければならない。 このシーンは非常に幻想的に描かれている。おそらくこのシーンには「神」が介入している。 時間差はあるが、コウの舞う日の神神楽によって既に呪いなど解かれている。 また、神の視座から見れば、呪いなどなく、すでにすべてが解決しているが、二人の中に取り残された澱のような「アイツ」の感覚は取り除かなければならない。 夏芽は「殺して」と叫び、コウは無言でそれに答える。 そこに割って入ったのが「カナ」だ。彼女は最初から神によって仕込まれていたのかもしれない。 二人は、アイツを殺してしまわなければ呪いは残ってしまうと思い込んでいるが、カナによってその罪の意識は最小限となる。 ナイフは自決に使われたが、人を殺傷するものの存在こそ人を溺れさせるものだと作者は言いたいのかもしれない。 自分の力を信用せず、武器などのアイテムによって目的を達成しようとする人間社会。それを使い不良たちに偉ぶって見せても、虚しいだけだ。 自分自身を受け入れ、心の方位磁針に従って歩くだけでいいのだ。 受賞後の試写会で、夏芽の目に見えたのは、コウと一緒に過ごしたことだった。それは彼女にとって永遠に心に残る出来事で、この場に立てた原動力だ。そこにあるのはどこまでも伸びやかな自分自身の体を貫く閃光そのものだった。
運命の人とこの人とならきっと幸せになれるだろうなぁと思う人 どちら...
運命の人とこの人とならきっと幸せになれるだろうなぁと思う人 どちらを選択するか、すごい運命の分かれ道 自分の人生に責任を持って生きていかなくちゃなぁと思う 人生は選択の繰り返しだから 最後にあぁこれでよかったと思えるように後悔なく生きよう
何より惹かれ合う過程の描き方が雑
絶対に中学生には見えない主人公の二人 途中から高校生にはなるが、その違和感が最後まで消えなかった。 主人公だけではない。 周りの同年代の少女の荒み方も年相応でないように思える。 同種の犯行への嫌悪感が一番強い時期のはずなのに、面白がっている。 大人っぽく見えるがまだ幼い少女と、尖った言動ばかりの危うい少年。 その組み合わせでないとこの物語は成り立たない。 ・途中に出てくる写真家も 付け焼刃的な雑な作りで胡散臭すぎて少し引く。 プロらしくないカメラ(ライカ?にしても、単焦点1本で撮影は無謀)、 レフもなく、満足にスタッフもいない。 ・定期的に誘ってくる芸能プロダクションも嘘っぽい。 タイミングも 火中なら、まだ分からなくもないが、沈静化後とは…。 ・上白石が扮する少女が 主人公の危機を知らせる際の行動も不自然。 助けを呼ぶための緊急の知らせだと思ったら、こういう危ない奴が来たから 「行くな」って…。助けに間に合うように知らせに行っといて… チグハグ過ぎる。 ・ストーカーは多くの事件が物語る通り、相手を傷つけることはあっても、 自殺したりはしない。 主人公二人の周りの描写が雑なせいで、ニセモノ感が増している。 特にラストシーンはシーンに至る過程も シーン自体も 嘘くさい。
なんだか安っぽい
原作も役者も悪くないはずなのに なぜか安っぽい。 小松菜奈の透明感、菅田将暉のミステリアスな雰囲気が生かされた映像ではありました。 展開もびっくりするぐらい早く、 物語としては面白くないです。 ジョージ朝倉の描いた、 未熟で危うい10代、ではありません。 溺れるナイフは映画ではなく漫画を読みましょう。 これは小松菜奈と菅田将暉の馴れ初め映像作品です。
小松菜奈の横顔。以上。
撮影と演出の一つ一つがいちいちシネフィル的な映画だった。広島弁に酷似した方言や広能・大友といった人名は深作欣二『仁義なき戦い』を、島に伝わる伝統的な祭事は柳町光男『火まつり』を、水辺での鬱陶しいほどのロングショットはテオ・アンゲロプロスを、アッパーさがかえって切なさを引き立てるラストシーンのif世界描写は本作の一年ほど前に本邦で公開されたディミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』をそれぞれ強く想起させる。しかし監督の知略の上に踊る映画史は自我を欠いた傀儡のようであり、どこまでいっても「賢い」以上の感慨を喚起しない。固有の文脈を紡ぐことのない不毛なパッチワークぶりを、俺はありったけの皮肉と揶揄を込めながら「サブカル的」と形容しよう。 音楽の引用に関しても大森靖子、tofubeatsというチョイスの浅薄さが目に余る。そのうえ彼らの強烈な自意識を正面から扱い切ることは避け、ナヨナヨしたしょぼいカバーでお茶を濁すという狡猾ぶり。脚本に関しても、素朴でご都合主義的な少女漫画的物語を敷設しておきながら最後の15分で梯子を外してサブカルの牙城に引きこもるという監督の身勝手な作家性に閉口した。菅田将暉、小松菜奈というミーハーな撒き餌に釣られた若者を知性でポカンとさせてやろうという下卑た戦略が見え透ける。監督などという職業を目指そうとする以上、強烈な自意識は必須の条件だが、作品の出来はその自意識の運用の巧拙に大きく左右される。本作のように明らかに受け手を知性によって欺こうという意図の見える映画はかなり最悪な部類に入るといえる。バカだけに焦点を絞って上から嘲笑するの、マジで悪しきサブカル知識人ムーブすぎる。 ただ、それらすべての不快さを補って余りあるほどに美しい小松菜奈の横顔。これに尽きる。InstagramやVOGUEで見かける正面静止画の彼女も確かに美しいが、やはり動いているところを真横から捉えたショットでこそ彼女の美しさは最高潮を迎える。横顔の立体性に美しさを見出してしまうあたりに俺の内に巣食う悪しき白人至上主義が露呈していることは否定できないものの、そこに「白人的」という褒辞には収まりきらない東洋的な美が顕れていることもまた事実だ。小松菜奈の横顔の美しさを見出し、それを最大化したという点において本作は無条件に肯定されるべきだろう。マジで今をときめく女優の中で小松菜奈より美しい女優っていないと思う。あまつさえ後の伴侶となる菅田将暉を粗暴なボーイフレンド役として据えるというファインプレー。『ディストラクション・ベイビーズ』と並んで二大「すだなな」フェチ映画だといえる。 演者にそこまで視点を絞らない俺にとっては、演者がいいという一点だけで大幅に加点したくなる映画というのはそうそう出てこないので、そういう意味では稀有な一本だった。
CM向きかな・・・
映像は綺麗だが作為的。物語の骨格はつたない‼️走らせる、水に落とす、自転車で2人乗り・・・余りのベタさかげんに観てて恥ずかしくなる。女の子がこうして貰いたいが満載のムック本。絵柄ありきの唐突の展開は監督の勘違いが原因か・・・画面の作り方のうまさが随所に見受けられるだけに辛い😢🌊
黒髪ロングに透き通るような白い肌を独特な美しさをもつ小松菜奈が広大...
黒髪ロングに透き通るような白い肌を独特な美しさをもつ小松菜奈が広大な空と海によく映えていた。 こうちゃんの何に夏芽はそんなに夢中になっているのかが正直よくわからなかった。 音楽、映像の撮り方が少し独特で色濃いエモさが際立っていて、このような雰囲気が好きな人は好きなんだろうなと思った(私はそんなでもない)。 正直よくわからないというか曖昧なところも多かったけど、一度夏に観てみたかったので、観れて良かった。
雰囲気として観るべき^ ^
溺れるナイフはほんとに内容よくわからない!けど雰囲気が最高に良いから何度でも観たくなる!そんな映画があってもいいんじゃない? 出演してるひとみんな好きなんだよな〜 映像と音声もとてもよく考えられていて、そういうところがこの雰囲気の良さに繋がってるんだと思う。たぶん。 賛否両論あるとおもうけど私は好きー!
なつめがきれい。
所々に出てくるCGに萎えてしまうが 菅田将暉と小松菜奈が美しくて、気にならなくなる。 10代の恋ってこんなだったなと、若い頃を思い出した。 おばちゃんになった今、大友くんのほうがいいじゃないと思ってしまう。 終盤のシーンがちょっとよくわからなくて、 結局、変質者は自殺してしまったの? あれは、妄想?
えろと美の暴力
キャスト、演出は良かったと思う。 私にはちょっと話がむずくて考察読んで理解した。 菅田将暉と小松菜奈美しすぎる、現実離れしてる。 重岡と萌音ちゃんも良い味出てた。←2人怒らせたら怖いタイプだね ちょっと映画監督?カメラマン?プロデューサー?がキモくて見るに堪えないシーンあったけどまぁいーや 一言で言うとえろ!!!!と美の暴力!!
ロケ地と映像はOK! ちょっとひねりを利かせた恋愛青春群像劇。
邦画にありがちな見ちゃおれないような赤面映画かと思いきや意外に観させられた。 まずロケ地の魅力と映像の良さが安定要因となり、そのベースの上で主演二人が〝若い”演技力を十分発揮。 変な例えだがほろ苦さと塩味が強めで甘さ控えめのチョコクッキーのような味わい。 事件の結末という点で落ちがよく分からなかったが、まぁいいかと。笑 投降後に調べてみますよ。
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