「人間の本質」ダーク・プレイス R41さんの映画レビュー(感想・評価)
人間の本質
2016年の作品
原作小説の邦題は「冥闇」 ダークプレイス
小説は未読だが、主人公の問題と過去とそれを解決してゆく過程が見事に描かれている。
この物語は過去のすべてのことが解決しており、余白が少ないように感じるが、最後に示されたベンとリビーの「赦し」(許すこと)が着地点であり、当初からそれを貫いたベンに対し、今、過去を辿ってようやくそこに行き着いたリビーの過程の中に、とても大きな余白を感じることができる。
リビーは過去に甘んじ、誰かが書いた自叙伝の売り上げで生計を立てていたが、いつまでも1冊の本が売れ続けるはずはなく、生活の困窮とお金の問題が目前に迫る。
そしてこの物語の面白い設定が、「殺人クラブ」
実際に起きた未解決の事件を本格的に調査するグループ
ここからの資金提供と、膨大な捜査資料によって、ベンは犯人じゃないと考える「殺人クラブ」
リビーは当初からベンが犯人だと疑わない。
ここが「人生の盲点」であり、クラブメンバーのライルが話した「人は誰もが嘘をつく」というこの物語の核心でもある。
リビーは思い出したくもない事件を問われるのが我慢できない。
メンバーの「嘘つき女」という声に激しく反応した。
反応 この「反応」こそ、人が隠していることに対する反射
リビーは自分の証言と実際に見聞きしたことの齟齬があることを、最初から認識していた。
リビーの嘘 「犯人はベン」
自分でもこの証言をした理由がわからない。
それ故、なおさらその証言こそが正しいと自分に言い聞かせなければならない。
それが崩れてしまえば、リビーの中にある過去すべてが「嘘」になり、崩れ去ってしまう恐怖がある。
幼い頃感じたベンに対する想い
それは決していいものではなく、女の子にいたずらしたとか、悪魔崇拝者だとか、多感な時期の若気の至りというのか、友人たちの影響をすぐに受けてしまうことなどが、長男ベンの人間像を、リビーが勝手に思い描いていたのだろう。
ベンのことに被さるように起きたのが、住民局による土地の差し押さえだった。
リビーは父ラナーの人間像も理解していたのだろう。
離婚後お金のにおいを嗅ぎつけて母からお金をせびることや暴力を振るう行為をみて、漠然と父とベンを重ねていたのだろう。
この思い込みによって、またミッシェルの言動によってリビーの中にベンという人物像が出来上がっていった。
このことが、一家殺害事件の犯人はベンだという証言となった。
「そう決めた」のだ。
さて、
この物語のテーマは「嘘」になるだろうか?
そこから「許すこと」とはいったいどんなことなのかを、視聴者に深く考えさせるように作られている。
一見二重に見えるテーマは、物語そのものの面白さと、視聴者自身が抱えている「嘘」について考えさせることができるだろうかという「試み」になっている。
視聴者がそこにたどり着いてくれれば、原作者や映画製作者は万歳となるのだろう。
この 「許し」「赦し」との違いは、
「許す(ゆるす)」は未来への許可、相手の行為や申し出を「聞き入れる」「許可する」意味合いが強く、一方の「赦す(ゆるす)」は過去への免責、すでに犯した罪や失敗を「咎めない」「刑罰や義務を免除する」意味合いが強いです、ということだ。
ベンは「許し」リビーは「赦し」たのだろう。
ベンは何故何者かが母を殺したのかわからないが、ミシェルを殺したディオンドラ、彼女よりもお腹の娘を守るために「嘘」をついた。
ベンという変わり者が信じたのは、神ではなく、悪魔でもなく、おそらくディオンドラでさえなかったが、自分の子供が生まれてくる事実だけは信じることができたのだろう。
ベンのベッドの下にあった女児の服 母はそれを見て小児性愛者だと誤解した。
家族の中でもベンは浮いた存在になってしまっていた。
レッテル
ボランティアの美術教室 クリシーは密かにベンのことが好きだった。
妬み 妄想 でっちあげ これが独り歩きしながら「盛られ」、うわさが広がった。
そして、
事件の真相の設定は非常によくできていた。
様々なことが重なるというのは恐ろしいものだ。
そして、貧困というのも恐ろしいものだ。
「現在」のリビーは、その貧困の中にいたが、ベンはそれを「お前も牢獄の中にいる」と読み解いた。
リビーが作り上げた妄想
それを真実だと疑わない妄想
「殺人クラブ」の情報や助けを得て、彼女は事件の真相を知った。
現在のディオンドラと娘クリスタル
二人の狂気と、かつてのリビー自身は同じだと気づいたのだろう。
警察から逃げて行方不明になっているクリスタルを、ベンは探しに行くという。
クリスタルを訴えないと言ったリビーに、ベンは「赦し」という奇跡が起きたことを知ったのだろう。
自分を閉じ込めている牢獄
ここから出る手法こそ「赦し」であり、その奇跡は誰もが「いつでも」行うことができる。
この物語を通して、作家と製作者が伝えたかったことがそれなのかなと感じた。
許すことを決めて28年間それを貫いたベン
28年間居場所を誰かに嗅ぎつけられるのではないかと恐れながら生きていたディオンドラ
リビーもまた、勝手に作り上げたベンという人物像から逃れられないでいた。
釈放されたベンは、クリスタルという娘にもこの奇跡の起こし方を伝授するため歩き始めたのだろう。
なかなか素晴らしい作品だった。