「パンク先生のアートセラピー」ニーゼと光のアトリエ kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
パンク先生のアートセラピー
ニーゼ先生がなんとも偉大。1940年代の保守的な男性社会で潰されずにやり抜くには、あれくらい凄まじい信念が不可欠なのだろうと痛感しました。まったくブレない。
1940年代に、『ブラジル×女性精神科医×ユング派』って相当パンクでオルタナティヴだったと思う。そんなパンク先生だからこそ、革命が起こせたのかもしれない。
ニーゼ先生は徹底してアトリエを『自由であれる場』であれるよう死守した。クライエントたちは絵を描くが、ニーゼをはじめアトリエのスタッフたちは彼らを抑制せず、教えず、心のままの状態をキープすることに務める。その結果、クライエントたちがその人のままであれるようになるため、精神が安定していく。
(クライエントだけでなく、男性看護師まで角が取れていくのがスゴい…けどあの場に居続ければ絶対ああいう風に変化する)
やがて絵も形を成していき、それはクライエントたちの内面な統合がなされていくことを表している。
自由に表現することこそ、セラピューティックである、とニーゼは確信していたのだと思います。その背景にあるものは、ユングの理論と人間ひとりひとりを尊重する姿勢ではないでしょうか。
そして考えさせられたことは、治療という概念。
ニーゼ以外の主流派ドクターたちは、治療を
『患者が落ち着いた状態』
と定義している。
当時、統合失調症は不治の病と考えられていたためである。
一方、ニーゼたちは
『クライエントがより生き生きと生きられるようにするプロセス』
と捉えているように感じました。
主流派ドクターたちが『統合失調症患者はモノではなく人』と理解するにはもう少し時間が必要だったようです。薬の開発もこの10年後くらいですしね。
現在では、統合失調症の治療薬も出来て治療可能になり、人権意識も育成されてデイケアとかも盛んになったので、『生き生きと寛解を目指す』ことがトータルな治療というイメージになっていると思います。
ニーゼ先生のような先人が道を切り開いたからこそ、心身の治療という概念が作られていったのだな、としみじみ実感した次第です。