リリーのすべてのレビュー・感想・評価
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SFチック
実話だけど、リリーにしろ、妻にしろ、あまりに数奇な運命で、まるでSFのようだと思った。
夫がだんだん異生物になっていくのを戸惑いながらも献身的に支える妻、その過程でお互いに苦しみながら、本当の自分とは何なのか、本当の自分の気持ちとは何なのか、模索していく、というか。
キャロルと連続で上映されてるところ、もしかしたらLGBT運動の盛り上がりがきてるのかな?(もちろん前からだけど、最近特に)
近いうち、オカマを馬鹿にしたテレビ番組が前時代的で不謹慎だと言われる世の中になるんだろう。
性転換手術がとても危険なものだということは、概要を聞いただけでもわかる。それを世界ではじめてやった人がどこかにはいるんだろうと思ってはいたけど、こういう感じだったのね、って思った。
ストーリーとしては、リリーが主人公というより、妻が主人公の話という感じ。「あなたが妻の立場ならどうしますか?」と突きつけられているよう。
リリーにとって、自分の本来の性を取り戻すことは、他の全て、文字通り命さえも犠牲にしてでも、成し遂げたいことだった。それを受け入れることができますか?という。
性器の形成になぜそこまでこだわるのか、正直よく分からないと思ったが、仮に自分に生まれつき性器がなかったら…と想像したら、確かに手術してでもそれが欲しい、と切望するかも、と思った。
追記
実際のリリーの手術は映画とはだいぶ違ったよう。
手術は全部で5回やっていて、最後の手術の3ヶ月後に死亡している。ゲルダが看取ったということもない。
卵巣と子宮の移植を試みていて、卵巣は拒絶反応で除去、子宮も拒絶反応を起こし、それが原因で死亡している。
子供を産める身体になると、リリーも医者も本気で思っていたということか。
放射線治療のシーンでも思ったけど、ほんのすこし前の時代の医学ってのはこんなに遅れてたんだね、って思った。
ゲルダの実際の絵
www.all-art.org/art_20th_century/wegener1.html
uk.arken.dk/exhibition/gerda_wegener/
レズビアンの絵がメインだったみたい(?)
これを見ると、ゲルダとリリーの関係って実際はどうだったのか? 随分印象が変わる…。
エディ・レッドメインの凄さを改めて知った作品。
「リリーのすべて」字幕版で鑑賞。
観に行く前は、全く興味がなかったんですが、主演のエディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を受賞したと知り、興味を持ったので、鑑賞しました。(^^)
風景画家・アイナーは、肖像画家の妻・ゲルダに女性モデルの代役をやってくれないかと頼まれ、それをきっかけに、自身の内側に潜む女性の存在を意識する。それ以来、「リリー」という名前で女性として過ごす時間が増えていき、心と身体が一致しない現実を葛藤する。
妻であるゲルダは、そんな夫に対して戸惑うのですが、次第に理解を深めていくというストーリー。
ん~複雑な映画でした。
どのように描くのか少し不安があったんですが、エディ・レッドメインの演技が抜群に良い。
どこが凄いのかというと、全てですかね。
全裸になって局部を隠して、女性の仕草や歩き方など、様々なことを学ぶところなど、途中からホンモノの女性に見えてきました。こりゃ~男優賞を受賞するハズです!
あと、妻のゲルダが可哀想でした。
自分の夫が男性から女性になるというんですから、戸惑います。ですが、リリーに対してだんだんと理解を深めていきます。アリシア・ビカンダーの演技もとても素晴らしかった!
医者から精神病扱いされたり、暴漢に襲われたり、様々な苦難を乗り越えるリリーの姿がなかなか良かったです。
リリーは、最後、念願だった完璧な女性の姿になり、亡くなります。
ラストのシーンで、ゲルダのスカーフが風に乗って、飛んでいく所が美しかったですし、感動しました。
本来の自分
リリーがリリー本来の姿になっていくことは、ゲルダにとって1番辛いこと。愛する夫の身体が他の女になってしまうということがどれだけ辛いか初めて知ったような気がした。それでもアイナーを愛し、同じようにリリーを理解し大切にする彼女の姿に何度も涙した。
エディレッドメインの演技は本当に女性になりたいリリーにしか見えず、リアリティが逆にこの物語を残酷に悲しくさせた。それに対比するアールヌーボーの装飾がより一層美しい。
汽車で2人が別れるシーンはなんともいえず、悲しく、胸をえぐられた。
そして性別適合手術を受けるということの重みやつらさ、そしてどれだけの彼、彼女たちの望みなのかというとことが痛いくらい知れた。
心情の揺れ動きに、2時間泣きっぱなし
初めて性別適合手術を受けた方の伝記小説が原作の『リリーのすべて』。
アイナーが自分の中の「女性」に気付く過程、それを受け入れられるようになるまでの妻・ゲルダの葛藤を、1920年代の美しいヨーロッパの風景と共に非常に繊細に描いた作品です。
本当にエディ・レッドメインもさることながら、アカデミー賞助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデルの演技も非常に心に迫るものがありました。
おそらく、この映画のあらすじなどには、「夫が女性となるのを受け止めた妻の話」のような文言もあったかと思いますが、そんなあっさりと受け入れられたわけではありません。
愛し合う夫婦として6年一緒にいるのに、夫のことを愛しているのに、彼は「彼女」に変貌しようとしている。違う男性とキスしている場面を目撃した衝撃や「愛する夫」が消えてなくなる様子は、夫を愛しているからこそ、ゲルダは簡単に受け止めることができないのです。
「妻のことを愛しているけれど、心は女」だと主張するアイナー。「愛する夫が別の女性になろうとする姿」を目のあたりにしつつも、ゲルダはアイナーを愛している。これほど、つらく切ない愛があったでしょうか。
そうした2人の気持ちに、見ている方も涙涙涙。アイナーとゲルダが泣くたびに、こちらも泣く。
初めから「リリー」が存在しないからこそ、アイナーとゲルダの感情が手に取るようにわかってしまいます。上映中は終始、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえていました。
「トランスジェンダー」という言葉がにわかに日々のニュースでも聞くようになった今、改めてその問題に真摯に向き合った映画だと思います。
1920年代は、きっと今ほどトランスジェンダーに寛容的であったわけではないはず。差別や偏見もあったでしょう。
トランスジェンダーを抱えている人はどういう気持ちなのか、そして私たちはどうするべきなのかを窺い知るのに、この映画はきっとよいきっかけとなるはずです。
そして、絵画のように美しいラストシーンは、きっと群を抜いて美しい締めくくりでしょう。リリーのストールが飛ぶ画が非常に印象的でした。思い出しても泣ける。
余談ですが、エディ・レッドメインが本当に美しかった…!そして、一物がちらっと映ったときは、この映画の中で一番凝視しました(笑)。
そんな意味でも、レッドメインファンの方にはこの映画は必見かもしれません。
とてもいい映画だった、 2人の演技が上手すぎる。 自分はそういう者...
とてもいい映画だった、
2人の演技が上手すぎる。
自分はそういう者ではないけど、性っていうのは決して極端に女男と決まるものじゃなくて、とても曖昧で複雑なものなんだなと実感出来た。
神様が女に作ってその間違いを医者が治した。
なんて素敵な表現なんだ。
ただ邦題はリリーのすべて
これは残念。『the danish girl』
の方がとても深い意味があってほんとにそのままでいいのに。
前半から泣き通しの映画
いままでで一番泣いた映画かもしれない。周りの人もすすり泣きが凄かったです。
実話だと聞いていて、テーマも気になってたので、ネットで少し調べてから映画館に行きました。知った上で観ていると、特に後半の方は余計な情報を全て排除していて、非常に辛く切ない中でもまとまりを感じました。
エディ・レッドメインの演技もさすがのもの。エディも周りも凄いから、リリーがどんどん女性に見えてきました。
しかし、特に後半苦しもがき、悟った様子が「博士と彼女のセオリー」の博士そのもので、もっと別の面も見せて欲しいと感じました。
エディ・レッドメイン、入神の演技、必見の作品。
この映画は「同性愛」の映画ではなく、「二重人格」に関する作品です。主人公の男性の中に「リリー」という女性が存在していて、夫婦生活を続けていくうちに、次第に「リリー」の存在が大きくなって、遂には当時、危険であった性転換手術を決意する、というのが大まかな筋です。
最近、日本でもLGBTに関してもマスコミがさかんに取り上げ、ゲイのタレントが活躍したり、女性同士の結婚式の様子も放送されています。私はこのようなタレントが活躍したり、その種の報道がなされるたびに「果たして大々的に報道される価値のあるソースなのか?」と思っていました。マスコミ全体がLGBTの人たちを全力で応援しているという嘘くさい風潮に辟易していました。そういう訳で、映画を観終わった後に涙が込み上げてきたのには我ながら驚きでした。今年は14,5本の新作映画を見ているのですが、レビューを書く気になるような映画には出会えませんでした。「ディーパンの闘い」や「ヘイトフル・エイト」のような面白い映画もあるにはありましたが、とてもレビューを書く気にはなれませんでした。しかし、この映画は違います。エディ・レッドメインの入神の演技、そして、レッドメインの役を補完するアリシア・ヴィキャンデルの演技、共に素晴らしいものがありました。レッドメインはアカデミー賞を逃しましたが、オスカーなど軽く超えています。
最後の暗転には唖然としましたが・・・。
人間は平等だ、などということばは嘘です。人間は多様性に富んでいて、そのことについて人間は寛容でなくてはならない、というのが本当のところでしょう。
それにしても、久々にいい映画を観ました。
涙には心を浄化させる作用があるのです。
自己の魂を解放しようともだえ苦しむ姿に感動
1930年に世界で初めて性転換手術を受けたデンマーク人画家のアイナー べルナーの伝記映画。
同性愛が犯罪と見なされていた時代に、アイナー べルナーは、手術を受けリリー エルビーと改名しパスポートも所持した。映画の原作は、デビッド エバーズショフの同名の小説。2015年ヴェネチア国際映画祭で初めて上映され、トロント国際映画祭でスぺシャル プレゼンテーションとして上映された。
主演したレッドメインは、昨年「博士と彼女のセオリー」(THE THEORY OF EVERYTHING)でオスカー主演男優賞を受賞したが、受賞の檀上で、「この受賞を切っ掛けに、筋委縮側索硬化症(ALS)という難病への人々の理解が広まることを願う」とスピーチした。今回この映画で再び彼が、オスカー主演男優賞候補となったので、感想を聞かれて、「話題になったことが契機になってLGBTへの人々の知識が普及し、理解が深まることを願う。主人公は自分に正直な勇気ある人です。」と言っている。
性的マイノリテイーを示す、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと、性同一障害を含むトランスジェンダー(性別越境者)を言う。トランスジェンダーは一般的には、生まれたときに与えられたジェンダーに対して適合できず、それを否定して自身のジェンダーを選ぶ人を指す。外科的手術やホルモン療法する人も含まれる。これ以外に、インターセックスと言い男性性器と女性性器の両方の特徴と器官(小さなペニスまたは大きなクリトリス)をもって生まれてくる人も少なくない。インターセックスを含めてLGBTIという場合もあり、たくさんのバリエーションがあって、人々の嗜好によって10人10様、性の形も、愛の形も多様だ。この映画では、トランスジェンダーで女性になった画家が、常識を打ち破って、自分の魂を解放しようと苦しみもがいた心の軌跡が描かれている。
監督のトム ホッパーは、「レ ミゼラブル」でエデイ レッドメインを起用したが、今回の脚本を読んで、すぐ彼のことを思い浮かべたという。エディは学校劇でシェイクスピアの「十二夜」で、ビオラの役(男装した女性)を演じたことがある。主役がエディに決まるまで、二コル キッドマン、シャーリーズ セロン、グウィネス パルトロー、ユマ サ-マン、マリオン コーテイヤールなども候補に挙がったという。 今回、非トランスジェンダーのエディがこの役を演じたことで、一部のトランスジェンダーのアクテイビストから批判が出ていると報道された。LGBTをテーマに扱うことが、いかにセンシテイッブなことかを裏付けている。
ストーリーは
1926年、デンマーク コペンハーゲン。
アイナー ベイナーとその妻ゲルダは、コペンハーゲン芸術学校で共に学び、ゲルダが18、アイナーが22歳のときに結婚した。子供はなく結婚してから、すでに6年も経つが、とても仲の良い夫婦だ。アイナーは、若き風景画家として評価され、注目をあびていた。彼の描くポプラの並木、湖に映る木々と光、海岸と太陽などのモチーフは、彼の生まれて育った田舎の風景だった。一方のゲルダは肖像画家として、客の依頼に応じて絵を描く。画商が求めるものを画家が描かなければ生活が成り立たない。
ある日の事。絵の完成が遅れていて依頼者から催促されているバレリーナの絵をゲルダは、仕上げなければならなかった。モデルの踊り子が約束の時間に来ないことに業を煮やしたゲルダは、夫のアイナーに、バレリーナの足の部分のモデルになってくれるように頼みこむ。アイナーは、妻に言われるまま絹のストッキングとビーズで飾られた靴を履き、チュチュを身に着けてポーズをとる。やわらかな絹のストッキングの感触、美しい靴、軽やかなチュチュの香しさ。
アイナーの中に眠っていた何かが、突然、稼働し始める。この日を境に、アイナーは次々と女性の服や化粧品を手にする。ゲルダは遊び感覚で、アイナーを女装させては、そのエロチックな姿を絵にした。ゲルダが描いた女装のアイナーの絵は、評判が良く、画商にまるごこ引き取ってもらえるようになった。二人で仲好く女性同士になって、外出もするようになった。二人は、自由を求めてパリに移住する。はじめは、女性の服に身を包んで男達に見つめられたり、誘われたりすることに喜びを感じるようになったアイナーは、次第に女性化していき、妻の肉体的要求に応えられなくなる。こんなはずではなかった。「夫を私に帰してちょうだい。」と泣いて訴えるギルダを前にして、アイナーは、「毎朝、今日はアイナーで居ようと思う。」 しかし彼の決意は長くは続かない。自分に正直であろうとすると、女性の自分しか考えられない。二人の苦悩は続く。アイナーは、何人もの医者のドアをたたくが、精神病者として扱われ、怪しげなラジウム療法や、電気ショックを受け、果てには強制入院させられそうになって、窓から脱出する事態にまで追われる。思い余ったギルダは、アイナーの幼友達ハンスを訪ねる。ハンスは昔、「アイナーにキスをしたことがあった。」ほど仲が良かった。そのハンスをアイナーは、美しく女装して待っていた。それを見て哀しみと苛立ちをみせるゲルダに、ハンスは何もしてやることもできない。
遂に1930年、どうしても女性の体になって子供を産みたいという夢をもったアイナーは、ドイツで性転換手術を受ける。段階的に、まずテスティクル除去と卵巣移植を受ける。術後、回復して次の手術を待つ間アイナーはゲルダがどんなに強く勧めても、絵を描くことをせず、ゲルダのモデルを続け、デパートで売り子になって女たちとの交流を楽しんだ。アイナーは、リリー エルべと改名して、ゲルダとの離婚も成立した。そして、翌年再び、リリーは手術を受け、念願の子宮が移植された。しかし、3か月後に移植臓器拒否反応と感染症を併発してリリー エルべは亡くなる。ゲルダは最後までリリーを支える。
というお話。
こんな難しい役をエディ レッドメインがどう演じるかが、見所。彼は、女性の体になるために極端に体重を減らした。インタビューで、「簡単だよ。朝食を普通に食べて、お昼はちょっとだけにするだけのことさ。」と言っている。 晩メシ抜きで数か月、、。背広姿を横から見ると本当に痩せて細い。彼がバレエスタジオの大きな鏡の前で全裸になるシーンは圧巻。去年アカデミー主演男優賞を取ったとき、ステファン ホーキンス教授になりきるために、彼の家に泊まりこんで、体の動きや表情を何か月も観察したという努力型の役者。体の線が細く、愛くるしい顔、アイドル ビジュアル系、ジュノンボーイと思いきや、なかなかどうしてシェイクスピアを舞台でしっかり学んだ本格派のイギリス人役者なのだ。
バレエのコスチュームを身に着けたことを契機に、自分が本当に望んでいた美の世界ののめり込んでいく姿が、順を追ってわかりやすく、スクリーンの中で語られていく。
映画の始めの頃は、昼夜なく仲睦まじく愛し合い、度重なるセックスをコミュニケーションにしていた仲良し夫婦だったのに、アイナーが女性に目覚めて男として全く反応しなくなってしまったことに、二人してショックを受けるシーンは哀しい。画面いっぱいに顔が大写しになる場面が多いが、、二人が徐々に変化していく様子が、とてもよく表情で表現されている。
ギルダを演じたアリシア べーカンデールが全身全力で夫を愛し、夫の信念を支持して、最後まで看取る、パワフルな妻を演じて素晴らしい。初めて見る女優さんだが、ハリウッドと違ってヨーロッパにはまだ、こんな良い女優がいることがわかった。
アイナー(リリー)の幼友達ハンスは、いわばこの世で最初にアイナーの女性性を感じとった男、として出てくる。彼は、アイナーのこともギルダのことも、しっかり支えるすごく「良い人」役。本当にホロリとするほど良い人ぶりを見せてくれるので、すっかり虜になりそうだ。金髪のオールバックで、美しい青い目はいつも伏し目がち、体がでかいのに威圧感を感じさせない美しい立ち姿、紳士の代表選手みたい。
最後のシーンがとても印象深い。結構長い映画で、ラストシーンなんかない方が良いような映画とか、取って付けたような説教臭いラストシーンとか、どっかで何度も見たことがあるような、お決まりのハッピーエンドとか、ちょっと考え過ぎのラストシーンとかが多くて閉口していた。でもこの映画の最後のシーンは、とてもとてもとても美しい。アイナーの絵の世界を、自然の描写で再現してみせてくれた。見ているだけでアイナーの美的世界に身も心も引きずり込まれそうだ。きっとこのラストシーンは長い事忘れることができずに、記憶に残ることだろう。
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