ロスト・イン・マンハッタン 人生をもう一度のレビュー・感想・評価
全4件を表示
狙いがぼけている作品
エピソードに決め手がないのがイタい。羅列するだけなので追って観ていると、あれ?なにもなかったな、となる。施設で最初に会う失礼な若者、おしゃべりな黒人、空き缶集めの女ホームレス、気づけば全部登場しただけで消えている。過去も、頭の傷も、ピアノが弾けるのも、さわりだけで発展させていない。
まあ、失敗してそうなっているのではなく狙いなんだろうけど。これを観た人がどう採るかですかね。
ラストは心底軽蔑しながら父との繋がりを断つことができない娘の姿でしめている。これは、たぶんそうかな。人はさまざまだから一概には言えなくとも個人的に理解できなくはない。ここにこの作品の感慨はあった。
しかしトータルでいうと、狙いがぼけている作品という感じで、いいも悪いもあんまり言いようがない。リチャードギア(ホームレスイメージからほど遠い)の振り幅が成功してるのか失敗してるのか、それさえわからない。。
風景に収まる
どこに出ていても控えめなので主演をさがすひとがいる。
ドニーダーコのとき惹かれて以来コンスタントにクレジットがある。
だが、どの映画も脇でサッといなくなる。
がっつりの主演はないのか。
ジェナマローンはそんな女優だと思う。
顔立ちに気品があり幼さが残っている。
広い額と結んだときの口元にadorableがあらわれる。
だが役はスラッティなのが多い。
ぜんぜん脱ぎ惜しまない。
ほんとは演技派である。
ギアの浮浪者で語り草になった映画だが、老いと都市の砂漠──その茫漠に、ぽつんとジェナマローンがいる。
奔放に生きているが、懸命に生きてきた。
批評家と一般、評価がいちじるしく乖離した映画だった。
ジョージとマギー、どちらが気の毒なのか──。
家庭を放擲した男の末路として、日本では低評価に覆われた。
海外では、総じてギアの熱演が加算されている。
映画を見渡すと、やはりジェナマローンに寄せてしまう。
かれの路上生活にもっと、やむを得ないような事情が欲しかった。
アルコールに逃げない向上心が欲しかった。
加えてジェナマローンは庇護欲求をかきたてる女優だった。
映画のなかで彼女は女色と潤いを、オアシスのようにたたえている──わけである。
全編ロケで路上生活者と間違えられた逸話があった。
窓越し──のように、越しかロングでカメラを据える。
スターがすこしの違和感もなく下層に馴染んでいる。
演技というより監修や外見やロケがかれを下層たらしめていると思う。
邦題は誤謬。人生をもう一度──そんなこと一ミリも述べていない。
(Sreet Retreat)というプログラムに参加している。ホー...
(Sreet Retreat)というプログラムに参加している。ホームレスの一番望むことは人として扱ってほしいということだ。サンフランシスコのテンダーロインのホームレスは年々増えて行っているように思う。若い高校生風の人々が多くなってきた。この人たちと『普通の会話』をする。例えば、かっこいいシャツ着てるねとか。天気がいいねとかいう話から始まる会話。
このプロジェクトでこの映画の主人公のような人と会った。
ホームレスの主人公ジョージ(リチャード ギア)はアンヘドニアという精神疾患で、人生に無関心、やる気なし。ただ、缶ビールをのむことに快感を覚えているだけ。ニューヨークマンハッタンは人々が忙しく通り過ぎて行って、彼に(一般的にホームレスに)注意を払おうともせず(例外はある)、関心も示さない。人々はあたかも自分のことだけに関心があるようだ。ジョージも他のホームレスに関心がないが、数人のホームレスがジョージにやっと口を聞く。ジョージは、身分証明書も住所も出生証明書もないから、州からの援助はもらうことができない。
ホームレスのなかで一番、社会から人として扱われていな立場にある。
全4件を表示