「自分にはこの十字架を背負えるのだろうか?」十字架(2015) Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
自分にはこの十字架を背負えるのだろうか?
本作は重松清氏の吉川英治文学賞受賞作が原作の映画化と言う。
この作品の様に、多くの読者ファンや、ベストセラーとなった作品の映画化は、その本来の持ち味を如何に活かしつつ、映像でしか伝えられないメッセージをその作品の中にどう込めてゆくのかが、映像作家の大きな課題となると思う。
特にイジメが原因で、自殺をした少年の遺族と、そのクラスメート達のその後人生をテーマにしたお話はデリケート過ぎるのだ。
問題のイジメのシーン等は文学と違い、映像で表現するには、何処まで、どの様に描く事で、イジメを受けていた少年の苦悩がピークに達して、死を自ら選択するまでに至ったのか?その点をリアルに映像として見せなければ嘘っぽい映像になると言う、難しさが有ると思う。
本当に話題性が有る半面、映画化にあたり監督初め、俳優陣には非常に苦労が伴う作品で有っただろうと思う。
この作品は実際に同年代の学生さん達には、勿論観て色々考えて貰いたい作品だと思うし、その親御さん達にも必見の作品だと思うが、よくよく考えてみると、今の日本(日本ばかりではない)では、イジメが存在しているのは、本当に学校だけなのだろうか?と考えると、会社でも芸能界でも、政治家達を見ていても、人と人が多く集まる集団の中では必ず派閥が起こり、人の集まる社会ではイジメが存在するのも事実だ。
いや、むしろ、今の一般社会ではイジメは何処でも存在する事を子供達に自覚させ、その上でイジメに負けない生き方を教えていかなければいけないようにさえ、思うのだ。
ある意味、今の時代を生きると言う事自体が、競争社会と言う人の足を引っ張り生き残りを図るサバイバルゲーム社会と言ってもおかしくないと思う。
人の集う処では、そのグループや枠組みから外れる者、或いは枠組みに入れて貰えない者等が有り、イジメは決して子供達だけの世界に限った現実ではない。
その様な意味に於いて、本作は家族揃って、或いは学校で課外授業としてみんなで観ても良い作品だと思う。
しかし、それにしても学校でのイジメは、小学高学年から、中学高校生ともなれば、分別も出来る年頃とは言っても、未だ大人に成りきれない子供なのだ。やはり大人の立場で有る教員が生徒の日常にもっと責任を持って指導する事が望まれる。とは言うものの、共働き等で忙しい現実の親が自分の子供を他者に任せてしまうところにも大きな原因が有る訳だ。
結局事件が起こってからでは、誰かが傷つけば、その傷を負った人間に関わる総ての人が何かしらの影響を受け、その結果苦しみの十字架を長年背負う事になるわけだ。
出来る事ならば、生きている人生の中で余計な十字架を背負う羽目にならないよう、日頃から周りの人との関係を少しでも良いものにしてゆく努力をする事が、自己の人生を豊かに築いてゆくことになるのだろう。
余計な十字架を背負いながら生きるそのために、足腰の筋力を鍛える事ではなく、未然に十字架を作らない工夫を、日々の生活に取り入れたいと、そんな思いの残る映画だった。
主人公真田祐を演じた小出恵介の中学生はダブルキャストにして欲しかった。最初のシーンでは担任の教師に見間違えるもの。自殺したフジジュンの弟はダブルキャストなのだから、小出君もダブルキャストで演じた方がよりリアルで自然になるのは言うまでもない。フジジュンの弟を演じた葉山奨之の芝居にも今後期待したい! そしてフジジュンの両親を演じた永瀬正敏と富田靖子良かった!決して観て楽しい作品ではないけれど、多くの人にとって観る価値の有る作品だと思う!