「人が人を思う機会がもっとあればいいですね」十字架(2015) 突貫小僧さんの映画レビュー(感想・評価)
人が人を思う機会がもっとあればいいですね
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最近は、気分が萎える映画とのめぐり逢いが多い。
小出の中学生役は無理がある。しかし、自分の息子とサッカーをしているうち息子が
フジジュンにオーバーラップする場面が終盤にある。小出がそこで夕日を眺めながら、肩を震わせて涙を
流す所があるのだが、あの時の裕の感情を芝居で見せることが出来るのは、たぶん、小出しかいないだろう
と思った。っていうか私が涙した所だから。
今回の作品で気になった場面がある。永瀬が「最近、やっとおいしいお茶がいれられるようになってねぇ…。」と言う場面????この男は、実は家のことも家族のことも無関心だったのではないだろうか?生前の息子が何に悩み、なにに苦しみ、なにを思って生きてきたのか?一番知ろうともせずに生きてきたのは自分ではないかと。気づいたのではないだろうか。だから家の庭の木をチェンソーで切り倒すというよからぬ行動にでたのではないか?
意味もないのに。この映画は「一人の少年の自殺」によって、いじめ意外で彼と関わった人間たちの後悔や反省がずっしり描かれている。
ラスト、フジジュンの「あこがれ」であった小出さんが永瀬へ手紙を書く自信を持てるようになった時点で
終わる。このような自殺は、これからも終わらないであろう。結局自分のことしか考えない自己中心的な人間が増えているからだ。生活指導教師が、教壇に立って言ったことは、亡くなった生徒を思って?自分の立場を考えて?学校のイメージを考えて?ますます人が人を思う機会が薄れつつあるから。
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