最愛の子のレビュー・感想・評価
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子どもの父、母、その再婚相手、誘拐犯の妻、その妻をサポートする弁護士、子供の保護施設の所長、家族会の会長、 それぞれの立場に愛憎や葛藤があって、 見ていてつらい瞬間がある。
動画配信で映画「最愛の子」を見た。
劇場公開日:2016年1月16日
2014年製作/130分/G/中国・香港合作
原題:親愛的 Dearest
配給:ハピネット、ビターズ・エンド
黄渤
郝蕾
趙薇
張毅
張雨綺
佟大為
張国強
黄建新
余皚磊
陳可辛監督
2007年、4歳の時に広東省深圳市で人身売買組織に誘拐され山東省で保護された孫卓と、懸賞金を出して探し続け、2021年、18歳に成長した息子と再会を果たした父・孫海洋の実話を基にしている。
黄渤と郝蕾の元夫婦は、少しの時間目を離した間に、
3歳の息子を誘拐されてしまった。
子どもを誘拐された父兄の家族会にも入会し、
父は息子を探し続けたが見つからない。
3年が過ぎたある日、情報を元に訪れた村に息子がいた。
やっと取り戻した我が子だが、
父のことも母のことも覚えていない。
誘拐犯はすでに病気で他界。
その残された妻は、保護された子どもを取り戻そうと奔走する。
子どもの父、母、その再婚相手、誘拐犯の妻、その妻をサポートする弁護士、子供の保護施設の所長、家族会の会長、
それぞれの立場に愛憎や葛藤があって、
見ていてつらい瞬間がある。
また胸が熱くなり、涙する場面もある。
誘拐犯の妻を演じたのが趙薇だということは映画を見終わってから知った。
大物監督(陳可辛)が撮った風格がある。
これはとてもいい物語だった。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
珍しくいい映画
両面から見た切ない映画。久しぶりに中国映画で感動した。香川照之似のお父さんとこじるり似のお母さんがいいね。
苹果に出ていたdongdawe懂大卫も久しぶりに見たわ〜
事実に基づいた映画とはいえ、よく中国当局の放映許可が出たね〜。
ドキュメント風で辛くもある。
色々な意味で見ていて切なくなる、子供を誘拐された親子、誘拐した親子の愛が描かれており、出演者皆子供までもが熱演。
とても見応がある作品で、個人的に好きだが、最後近くで妊娠の話で纏めるのはいかがなものか。
中国香港合作作品。
秀作だが重い!
①突然我が子を拐われた生みの親達の驚愕・悲嘆・苦しみは察して余りあるし、一方育ての親であるリーにしても3年間手塩に掛けて育ててきた子供を突然奪われた驚愕・悲嘆・苦しみは同等だと言える。そこがこの映画の画く不条理さの極みであろう。②主要人物は言ってみれば全て被害者である。子供の誘拐という犯罪で人生が狂わされ、また拭い去りがたい傷を負わされてしまった。誘拐犯が悪いのは当たり前だし、それを生み出し
辛い。辛すぎ。
取り返した我が子を抱いて畑の中を走る走る走る走る···
村中の人間が総出でそれを追いかける、追う追う追う追う···
誘拐の多発。一人っ子政策の歪みの中で 大都会から我が子を取り返しに来た父親母親を農民たちが農具を手に手に追撃するシーンは余りに容赦なくて執拗に見えた。
つまり、
この村のあの小さな兄妹は“街からさらって来た子“なのだと村民全員は知っていたからなのだろうなぁ。
都会者への怒りや国政への抵抗を、あの長いシーンで感じました。
サンザシと自らの体を手土産に貧しい農村から出てきた素朴な農婦へのあの無慈悲なラストシーンには、こちらまで打ちのめされて立ち上がれなくなる。
辛すぎだよ・・・
中国だからこそあり得そうな話。
悲しい…。
一人っ子政策のため、男の子が生まれなかった母親は、子孫繁栄のために娘を隠して拾ってきた男の子を育てるのですね…。
拾い子だとばかり思い育ててきた母親でしたが、実際は夫が誘拐して連れてきた子供だったという事実が切ないです。
世間から責められ、突然息子を奪われ身も心もボロボロになる母の姿が可哀想でした。
し
それでも、犯罪者の妻だったことは事実。遣る瀬無い怒りと悲しみで胸がいっぱいになりました。
子供を連れ去られた両親の必死の捜索が身を結び、再会ことは喜ばしいことです。
無知の極み
あまりに愚かなことに、かわいそうを通り越して、あっけにとられてしまった。
愛情は動物である限り芽生えるものだけど、動物と人間の違いは、理性があること。いくら必要だからといって赤ちゃんを盗むなんて許せない。こんなことで一生を不意にしてしまった親たちの悲しみが辛すぎて、腹立たしくなってしまった。
中国の抱える闇?切ない
養子じゃなくて、さらってきた子供を育てるなんて、こんな恐ろしいことが、社会問題として存在することに深い闇を感じる。被害者の会とか、辛すぎる。それでもって、主人公となるのが、さらってきた子供を育てていた女性の方で、彼女の子供への愛情とかって、わからなくはないけどややこしい。子供は一番の被害者であるし、その次はやはり実の親でしょう。それだけ罪深い犯罪ということ。
子供に罪はないのだから
離婚した夫が親権を持つ三歳の男の子がさらわれる。
別れた妻は再婚していたが、元夫と協力して必死に子供を探す。
そして三年後に見つかるのだが、子供は覚えておらず、養母を慕う。
子供は前年に死んだ夫がさらってきたのだが、養母には知らされていなかった。
最後にモデルとなった親や子供たちが登場、法律では解決できない問題がとても切実に迫ってくる。
ヴィッキー
ピーターチャンが主戦場にしてた香港を離れて、隣の本土深圳を撮ると、わざと垢くさくしてるのか、やたらダサい。画面がとかじゃなくて、俳優の選び方とか、衣装とか、まぁわざと洗練させないことで、実際洗練されてない本土のリアルを見せるというか。にしては、鍬持った村中の農民たちから追いかけ回されたり変な誇張挟んでくるし。なんかわざと農村部の垢抜けない感じを焚きつけてくるので、乗れない。ヴィッキーチャオが垢抜けない格好をして農村のおばさんを演じるっていうのが、話の全てで、ラストの出演者と元ネタの邂逅の際の普段の垢くさくないヴィッキーチャオとリアル農民のおばさんが抱擁する欺瞞というか、違和感だけが面白い。誘拐された側の母親は菊地凛子を丸くした感じ。
ギンレイホール こっちはまだ見れたかな 映画としては普通 なんかカ...
ギンレイホール
こっちはまだ見れたかな
映画としては普通
なんかカタルシスがなかったね
作りは普通だけど変わった構成の映画だ
ポンポンのDNA鑑定結果は結局一致してるのか
誘拐されるのは可哀想だし
人身売買がなくなってほしい
社会派
社会と個人を抉り出す
冒頭部分から快作の期待。
絡まり合う配電コードは、一人ひとりの生の現れ。
そしてそれは国の政策に弄ばれる人の姿。
人の崇高な愛という感情も、社会制度の中でしか語られない。語ることをゆるさえれない。その社会では、母であることもまた、強制された社会的通念だ。
ビッキー・チャオにハオ・レイ。
彼女らが演じたのは、母性という言葉では片付けられない、一人一人の生と性の慟哭であったかもしれない。
幸せを望みながら、誰も幸せになれないなんて。
誘拐事件が解決してメデタシメデタシ、ではない!
あれ?
ついこの間、同じような感想言ってなかったっけ?
まあ、いいか。
中盤から、舞台が反転するように、主軸が入れ替わる妙には脱帽。
リー・ホンチン(和泉雅子に見えてしかたないが)の迫真の演技に、はじめ鬱陶しく思えながらも、その一途な思いにほだされだしたところで、ラストの衝撃が待っている。
ええ??そのラストって、残酷すぎやしないか??
だけど、だからこそ過酷な現実と向き合っているリアル感があった。
むしろ今は、あの強烈なインパクトを放つラストこそ、傑作の評価の土台となっていると思う。
誘拐後の3年目の今、この事件にかかわった誰もが、幸せにはなれない、っていうのが残酷で仕方がない。
無自覚だった悪意に気づいてしまったのか
2009年7月、場所は香港に接する深圳(シンセン)。
路地中でネットカフェを営むティエン(ホアン・ボー)は妻ジュアン(ハオ・レイ)と離婚し、3歳の息子ポンポンを育てている。
ある日、ティエンが目を離した隙にポンポンは友だちと近くの空き地にローラースケートをする人々を見に行ったあと、何者かに誘拐されてしまう。
ティエンとジュアンは必死でポンポンの行方を探すが・・・というハナシ。
3年後、山間部の農村でリー・ホンチン(ヴィッキー・チャオ)という未亡人に育てられていることを突き止め、奪い返しにいくあたりまでは、ティエンの捜索活動が中心で物語の幅は狭い。
途中、貧困のために育てられなくなった自分の息子をポンポンと偽る男性や、偽の情報でティエンがかけた懸賞金を奪い取ろうとする輩などが登場して、中国社会の行き詰まりをスリリングに描いていくが、このあたりまでは普通のサスペンス映画と変わらない。
(変わらないが、非常によく出来ている)
しかし、この直線的な構図の映画が、中盤から別の様相を呈していきます。
ポンポンを育てていたホンチンのもとには、もうひとり娘がいるのである。
ホンチンの言によると、1年前に亡くなった彼女の夫との間に子を生すことはなく、ホンチンは不妊症と思われた。
そのため、夫は深圳の女にポンポンを産ませ、連れ帰ったと。
さらに、出稼ぎ先の工事現場に捨てられていた娘を拾って帰った、というのである。
ポンポンについては、証拠の監視カメラ映像もあって夫による誘拐と決定され、ティエンのもとに返されるが、娘のついては養育を認めてほしいと訴えだす、というもの。
この展開にはビックリした。
単なる誘拐事件のハナシではなく、ピーター・チャン監督はどこへ観客を導こうとしているのかがわからなくなってしまいました。
しかし、監督の意図は、この後に立ちあがってくる様々な人々のエピソードを並行して描くことで、現在の中国をまるっと描こうとしていることがわかってきます。
すなわち、
娘だけでも取り戻そうとするホンチンのハナシ、
ティエンに協力していた児童誘拐被害者の会を主催する夫婦のハナシ、
ティエンと離婚した後、新たな夫と再婚してたジュアンの家庭内不和のハナシ、
さらに、ホンチンに協力する若手弁護士(彼には認知症を患った母親がいる)のハナシなど。
ほかにも、ホンチンの夫が娘を拾ったのを目撃した農村からの出稼ぎ労働者のハナシなども加えていい。
この現代中国をまるっと描こうとするのは、ジャ・ジャンクー監督の『罪の手ざわり』に似ているが、描き方はこちらの映画の方が優れている。
しかし、しかしながら・・・
後半、観つづけているうちに、どことなく居心地が悪くなってしまった。
映画が面白い、つまらないというのとは全然異なるこの居心地の悪さはなんなのだろうか・・・
すごく、気になった。
観つづけていくうちに気づいた。
前半の直線的構図の中で登場した「明らかに悪意を持った人」がいないのである。
ティエンはもちろん、ジュアンもホンチンにも、そのほか誰もが皆、「明確な悪意はない」のである。
映画のエンディングにかかわってくる先に記した農村からの出稼ぎ労働者にしても、である。
悪意があった(認識していた)のは、この複雑な物語を進める契機をつくったホンチンの夫だけで、彼はすでに死亡してる。
いわば「悪意の不在」なのである。
いや「不在」そうではなく、周囲に満ち満ちている悪意に「無自覚」なだけなのかもしれない。
この「悪意に無自覚」というのが、ピーター・チャン監督の意図したところだとするならば、この映画、観ていて居心地が悪くなって当然だろう。
そして、最後に泣き崩れるホンチンは、歓びのなかでその悪意に気づいてしまった・・・
このときの彼女の感情の複雑さ、遣る瀬無さはいかほどだったろうか。
この後が観てみたいと思った。
<追記>
映画のエンドクレジットとともに、この映画のもとになった事件の当事者たちのその後の映像が流れます。
ここから窺い知るに、真偽のほどはわかりませんが、実際の事件とこの映画で描かれたラストとは違ったものだったのだろうと思いました。
物事の二面性
監督は喜びと悲しみの立場を非常に上手に描いている。そして、見るものをどちらの立場にも130分で置き換えさせてしまう、作品。実話を基にしたとあり、最後に実際の人物と役者があって話しているところなど見ると、役者全員がフィクションの中にも溶け込んでいるように見えた。
中国の闇と複雑な家族問題を描き切った良作
中国では年間20万人の子供が誘拐されているとのこと。今作は実話を元に描かれていることもあり、子を持つ親の立場が重なり胸が強く締め付けられました。誰が主役なのか?観る前はは誘拐された父親と思っていましたが、実は育ての母親なんですね。その意外性が観た後の充実感を更に高めます。
少林拳
2016 年劇場17本目。
実話を元にしていると、最後に初めて知った。
客観的に観るとそれぞれが身勝手でエゴイストに感じるが、実際に子どもが急にいなくなったらあんなもんじゃなく冷静じゃいられなくなるんだろうな。
と、未婚で当然子どももいない私は想像するしかなかった。
誰も悪くないのに、みんなの感情が痛々しくて切ない。
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