「我が子を愛して」最愛の子 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
我が子を愛して
人身売買組織に幼い息子を誘拐された元夫婦。
2007年に中国・深圳で起きた事件が基。
主演のヴィッキー・チャオが誘拐された息子の母親を演じ、探し続け、遂に見つけ出すも、幼かった息子は実の両親の事を覚えておらず、育ての親を本当の親と思い、実の両親は苦悩する…。
てっきりそんな話だと思っていた。
確かにそうではあるが、いい意味で違ってもいた。
前半は実の両親側から。
母親が元夫に息子を預けに来る。追い掛けて来る息子に気付くも、気付かないフリして…。
この時、息子は姿を消す。母親はこの時の事をずっと後悔する…。
自分たちと同じ子供が行方不明になった親たちによる“探す会”に参加。
誘拐は世界各国の問題だが、人口が多い中国は尚更だろう。ピーター・チャン監督が児童誘拐や現代中国への訴えを込める。
3年後息子と思われる子供が見つかり、貧しい村へ。
その子供の額に息子と同じ傷痕が。遂に見付け出した我が子…!
連れ帰ろうとするが、息子は実の両親の事を覚えておらず、「ママ!ママ!」と助けを求める。
息子を抱いて逃げる両親。追い掛けて来る女性。この女性=育ての母がヴィッキー・チャオ。
ここから話の比重は“育ての親”側へ…。
実の両親の苦悩は計り知れない。
せっかく息子を探し出したというのに、息子は覚えていない。寧ろ、“誘拐された”と思っている。反抗的な態度。
“ママ”に会う事をせがむ。
育ての母。どういう経緯でこの女性の元に居るのか…?
夫が捨て子を拾ってきたと言うが、実は夫は人身売買組織の一員。
それを知らず、孤児を引き取り、我が子として育てていたのだ。
警察にて事情聴取。警察に身の潔白と息子を返して!…と訴えるが、“誘拐犯の妻”の言う事など誰も聞く耳を持ちやしない。
そう、世間一般的には“誘拐犯の妻”なのだ。子供を返して? 誘拐犯が何寝惚けた事を言っている?
あるシーンで“探す会”と出くわす。凄まじいまでの非難、暴行まで…。
何も彼女自身が悪い訳じゃない。なのに、子供を誘拐された悲しみと犯人への憎しみをぶつけるかのように…。
このシーンはあまりにも不憫だ。実の両親側だけじゃなく、育ての母側にも苦悩と感情移入してしまう。
不条理なのは充分分かっている。が、彼女には微塵の悪意は無く、“息子”を愛していた。
ヴィッキー・チャオがノーメイクで熱演。
裁判で争う事に。
不利なのは承知。でも、“子供たち”を取り返したい。
村の家にはもう一人女の子が。経緯は同じ。
女の子は両親が見つからず、施設に預けられている。
子供二人と家に帰る事が望み。
実の両親はその女の子も引き取る考え。
二人も奪われたくない。
…が、“誘拐犯の妻”の立場は弱い。裁判長も明らかに見下している。
実の母親に問題発覚するも、そもそも勝ち目などない。
時々“息子”の様子を伺いに来る。実の親からは邪険にされる。
「桃アレルギーだから気を付けて」
実の親が知らない気遣いが胸打つ…。
息子は実の親の元で再スタートを始める。これで良かったのだ。が、何か“めでたしめでたし”とは違う…。
子供たちを忘れられない育ての母。純粋に子供を欲する気持ちは罪なのか…?
そんな彼女に思わぬ報せ。
本来なら嬉しい“誕生”だが、泣き崩れる。
中国の“一人っ子政策”の問題が絡んでいるそうだが、私はこう感じた。
じゃあ今までの苦悩や取り返しのつかない事は何だったのか…?
誘拐された子供たちも、関わる大人たちも、誘拐犯以外皆被害者だ。
映画のシーンをたくさん思い出さして頂きました。レビューありがとうございます。
うちの会社に中国残留日本人孤児の孫が、渡日してきて いっとき勤めていました。
敗戦の大混乱の中で起こった一家離散。涙と叫び。後悔と思慕。ニュースでしか知らなかったかの地での悲劇が、いま僕の目の前に生身の姿であるのだと思うと得も言われぬ思いでしたね。