劇場公開日 2016年6月18日

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「「間」の計算を誤った映画」クリーピー 偽りの隣人 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0「間」の計算を誤った映画

2020年5月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

黒沢清の魅力と聞かれたらあの独特の「間」の取り方だと思う。

例えば拳銃を持った人物がいるとする。そして片方には無防備な人間。普通なら決めセリフを吐いた後殺したり、間髪入れずに相手がこちらを見たら容赦なく引き金を引く。しかし黒沢作品だとどうだろう。そう簡単には引き金を引かない。とにかく焦らす。「今かな?」。撃たない。「もう撃つだろ?」。撃たない。「いつ殺すんだろ・・・あっ!」。ここで初めて衝撃が生まれる。こちらがふと息をつこうとするとそこで初めて殺す。この極限まで待つ空気感といつ起こるかわからない「間」の開け方がこの監督の持ち味だと思っている。

そうすると本作はどうか?その間隔の開け方が急すぎると本作には感じられた。なぜ急すぎると感じられたか?それは人物像の描き方が雑だからだ。個人的には康子がところどころ安定しないのが理解できなかった。

彼女は最終的に西野に薬で洗脳される。一度打たれたらずーっと酩酊状態だとするならばわかる。しかし薬を打たれた後でも正気になるシーンがちょくちょく挿入されている。それによりその見せ方が薬を打たれたからではなく単なる情緒不安定の人間にしか見れないのが気になった。そしてなぜ高倉が薬を打たれた後しばらくして正気に戻れたのか?いつ意識がはっきりしたのか?それが唐突に結末で持ってこられるので、冒頭で書いた「間」の取り方が非常に雑に感じられた。同時に康子も高倉が西野を撃ち殺した後何の含みもなく同じように正気にいつの間にか戻れているので消化不良に感じられる。澪も西野が撃ち殺されたと同時に人格を取り戻し西野の死体に向かい罵倒した後何事もなかったかのように犬と駆けずり回る。ここも唐突すぎる。急に尻切れトンボになるのだ。薬で洗脳される描写もとても甘く、はっきりしないのが気になる。

薬というアイテムは舞台道具としては強力だが安易に薬に頼らず話術で相手の心理に漬け込む演出だったらかなり面白かったと思う。何せ西野が用意した注射器に入っている薬物は万能すぎる印象を受けた。これに頼らず言葉で現実を侵食していく様を描いたらもっと面白かったと思う。

そして今作はなぞかけを問いかけられるが答えがはっきりしない。なぜ川口春奈は生きていたのか。東出はなぜ6年も前の事件にこだわるのか。警察の危機管理が徹底してずさんであるのはなぜか?あの注射器に入っていた薬は何なのか。

空気感や不気味さは確かに出ていた。しかしいろんな見せ方がばらけてしまいまとまりがなく終わった印象だった。

マルホランド