「理解あっていいねっていう台詞の空虚さよ」ハッピーアワー ターコイズさんの映画レビュー(感想・評価)
理解あっていいねっていう台詞の空虚さよ
冒頭のシーンで「配偶者が理解あっていいね」と4人の女性が言い合う。この理解ってなんだっていうのはこの作品のテーマなのかなと思う。
人が他者を理解するというのはなんて難しいことなんだろう。家族だろうと夫婦だろうと友人だろうと、なかなかうまくいかない。他者は謎に満ちている。
コミュニケーション不全だったり、そもそも伝えることを諦めていたり恐れていたり、発した言葉が感情とズレを生じていたり、自分の価値観と違うものを受け入れられなかったり、代弁は無意味だしなどいろんな要因で、人は理解しあえないということが作品を通じて伝わってくる。
世界は人によっては美しかったり残酷だったりする中で、じゃどうすれば?どうやって理解しあえば?
一つ提示されるのは身体的コミュニケーション。接触する、抱きしめる、セックスする。でもそれはちょっと癒やされるだけで、解決にはなりえない。
では?
「では?」の後を語らないのは、底の浅さを見透かされたくないからだっていう自嘲も挟まれるけど、確かにこれはもう、どうしようもない話。
だから、ドライブ・マイ・カーと同じく、こんなわけのわからない世界でわけのわからない他者とつきあって苦しんだり喜んだりしていくのだから、わたしたちには「ハッピーアワー」が必要だよね、ってそう思う。
ドキュメンタリーのようにリアルな感じで淡々とした4人の日常が描かれる。特にたいして大きな出来事もないままなのに、その中で起きるあれこれや発せられる言葉は、なかなかいい具合に刺激的でいろいろ考えさせられた。新しい映画の楽しみ方を感じた。
ただ個人的にどうしても気になったのは共同脚本にしてなぜこれかなと思う点。
「○○には女性を殴る甲斐性はない」と女性が男を評するシーン、この言い方必要かな。その女性の浅さを示そうとしてるにしても、なくていいかなと思う。この台詞が気にならないことが残念。