「致命的な欠点、どっちが残ったの?」セルフレス 覚醒した記憶 うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
致命的な欠点、どっちが残ったの?
「ロボコップ」では、死亡した肉体に上書きされた人格で、過去の記憶や、家族の思い出などの残像に苦しみ、「俺は機械なのか、人間なのか?」という葛藤に苦しむドラマがありました。
「フェイスオフ」では、警察と悪党の脳が入れ替わることで、それぞれの立場を利用して闘ったり、善から悪に人格が180度切り替わるコントラストを上手にストーリーに絡めて表現していました。
ところでこの映画、ベン・キングズレーが金にものを言わせて、新しい肉体を手に入れ、第2の人生を享受するという「入れ替わり」もの。肝心の「更新」の要素がうまく表現できておらず、肉体を提供したライアン・レイノルズは死亡しているはずなのに、ちょいちょい記憶が再生し、都合のいいことに、格闘技の達人(元軍人)という特技を生かし、ピンチを乗り越えていきます。これじゃどっちが闘っているのかはっきりしないままです。
それでも昔の妻は、彼が別人になっていることに気づき、元の夫が死んでしまったことに哀しみます。どう見ても、作劇上はライアンが生きて行動しているのに、ベンが宿っている体(てい)で話が進んでいくのです。
いちばん近いのはコミックのドラゴンボールでギニュー特戦隊の隊長に悟空が身体を盗られたシチュエーションでしょうか。んで、その悟空が死んでしまって登場しないまま徐々に死体の悟空が意識を取り戻していくというようなややこしい展開で、ギニュー隊長は自らの良心に従って、肉体と魂を、彼の本当の妻と子に返すという、とても素晴らしいストーリーになったはずの映画でしたが……
これだけ書くのもややこしくて、伝わらないでしょうが、要は、設定がややこし過ぎて、誰が何を成し遂げたのかが分かりにくいので、感動も薄いのです。
死んだはずのライアン・レイノルズは、どうやって蘇ったのか、ただ意識障害で脳死状態だった肉体にベンの記憶を植え付けただけなのか、そこらへんがかなりいい加減に描いてあるので、今行動している主人公は、ベンの意識で行動している正義の男なのか、ライアンの回復した意識で行動している、自衛の男なのか最後までよく分からないまま終わってしまいました。
かと言って、もう一度見る気にはとてもなれませんね。時間がもったいなくて。
2017.8.29