劇場公開日 2017年8月11日

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「人を救わないスパイダーマン」スパイダーマン ホームカミング m Bさんの映画レビュー(感想・評価)

0.5人を救わないスパイダーマン

2017年8月15日
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過去作から特別の思い入れのあるスパイダーマンファンは納得しただろうか?

私もサム・ライミ版スパイダーマンに青春時代を思い出すかなりのファンである。ウェブ版も含め全作観てきた。

今作はオリジナリティを出すため、わざとこじんまりとしたのだろうが、「超大作」としてのスパイダーマン感をなくしている。

3Dがうまく使えてるとも思えないし、「スパイダーマン」として人助けをしたり、迫力あるバトルをするシーンがあまりにも少ない。予告編にもあるワシントンのシーンは、言ってしまえばあくまでクラスメイトを助けただけで、無関係の誰かを救ったわけではない。これをスーパーヒーローといえるのか。

スパイダーマンに期待するのは、ヒーローとして「人を救う」、自己を犠牲にしても他者に尽くしゆくかっこよさである。その姿に観客は感動し、涙する。

しかし今作はあくまで一人の少年の成長物語であり、助けるのも身内(映画内では)、アイアンマンとの関わりをクローズアップしてファンサービスとアベンジャーズシリーズとの繋がりを強調することに終始している観が強い。

監督は少年の成長や、それを見守る大人の想いをテーマとしており、クライマックスでピーターが立ち上がるシーンは確かに感動する。

しかし、である。ピーターは「アベンジャーズに入りたい」と願い無茶をするわけだが、肝心の「正義のため」というヒーローの根幹に値する部分が全然描けていない。何のために、ここまでピーターはアベンジャーズにこだわるのか、「何になるか」だけでなく、「何のために」なのかが描けていない。そこが本作最大の失敗である。

今までのスパイダーマンは、「ベンおじさんの死」がヒーローとなるための、大きな動機となっていた。善良なニューヨーク市民の一人であり、メンターでもあるおじさんが殺された事実が、スパイダーマンの「正義」の根幹となっていた。

しかし、本作ではその部分は既に終わったことになっており、話にすら出てこない。さすがに再々リブートでベンおじさんを三度死なせてしまうのは無理があると思うが、それができないのならば、それに換わるヒーローとなるための強力な動機が必要である。しかし本作にはそれがない。

アベンジャーズの戦いで荒廃したニューヨークを舞台にしているのだから、その原因の一つであるアイアンマンへの尊敬しながらもの反目があってもいい。それに、結局アイアンマンであるトニーの措置がヴァルチャーを生み出す結果となっているのだから、アイアンマンとヴァルチャー、二人の大人に触れ合う中で、本当の「正義」とは何かを模索する少年の姿があってもいいように思う。

スパイダーマンはスーパーヒーローである。だからこそ、物語の中ではあくまで「正義」を内包する物語でなければならない。そして今までのスパイダーマンシリーズは、少年から青年へと成長する中での悩み、葛藤といった側面を強調し観客の共感を得ながらも、「正義」を描いていたように思う。(ライミ版3は若干弱いが)

今作はその「正義」を描ききることができなかった。そこが今作のこじんまり感をさらに加速させ、軽々しいものにしてしまい、スパイダーマンという大コンテンツをファーストフードのようなお手軽なものにしてしまった。

一言でいえば、映画としての深みがないのだ。

一つの作品としては、ポップコーンムービーとして充分楽しめる。しかし往年のスパイダーマンファンは、そこに映画として、超大作として、内包する「正義」というテーマを求めているのではないか。

スパイダーマンを継承する上で、大切な深みを消失した今作は、はっきり言って駄作である。期待値を超えるものではなかった。

2作目は正式にスパイダーマンとして初めからスタートするのだろうから、「正義」を内包した姿が観られると期待したい。内輪の安いドラマになりさがらないように、ぜひ頑張ってほしい。

スパイダーマンは、すべての少年少女が憧れる、またすべての大人の心にも宿る「正義」の心に火を灯す、スーパーヒーローなのだから。

m B