この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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辛い悲劇や苦痛や苦悩を乗り越えていく強かさ
ずっと観たかった映画です。
中々の名作だと思いました。
派手さはないけれど、アニメーションとしてのクオリティも高かったし、のんさんの声の演技も良かった。
お話しも、途中までは淡々としていながら、色々なエピソードに良い意味でのインパクトがあって飽きません。
戦争中の生活を描いているから、大変辛い悲劇や苦痛や苦悩は沢山有るのだけれど、それを乗り越えていく強かさもあると感じました。
とても面白かったです。
何よりも、この時期にのんを起用した上で、きっちりと名作にした製作陣の慧眼は凄いと思った。
この日にこの映画を見る意味。
復活上映、そして8月6日に鑑賞。
試写会、ロードショー、Blu-ray、「さらに」、そして今回とこれで5回目になるのか。
今回久々に見たのだが、これまでと違う印象を受けたのは、終戦の玉音放送を聞いた後、すずさんがあの土手にかけ出していき、「最後の一人になるまで戦うんじゃなかったのか!」と怒りなのか、悲しみなのかわからない慟哭の声をあげたその後で、地面突っ伏して号泣するシーン。
いざ見たときには、すずさんはノホホンとした平和主義者であり、戦時中の貧しい中を何処か楽しげに暮らしていたイメージだったので、敗戦を聞いた時のあの激しい感情に衝撃を受けてしまった。
あんな生活が楽しかった訳がないじゃないか。
何度も見たのに初めて気付いた自分が情けない。
その後で母親を亡くした女の子を保護して家に連れてくるシーンも、自分たちも大変なのに、子供を連れて帰るのか…と思っていたのだが、彼女は北條家にとっての“未来”なんだろうと。
戦争で失われた人たちやすずさんの右手の代わりになるとは言わないが、それを乗り越えるために彼女を支えて行き、また戦災孤児として生きる術を無くした彼女の“未来”も見えてくる。
ああ、これは“未来”へ向かう再生の話だったのか。
★5: 是非とも見ておきたい作品です
迷うことなく、これは★5だなと感じる作品です。
(念のためですが、私はこの作品の関係者ではなく、いち鑑賞者に過ぎません)
登場人物たちやその時代の人々の日常、関わり方、考え方など、その場にお邪魔して実体験させてもらったかのように、リアルに感じることができました。戦争の足音が避けがたくやってきていても、食事をしたり、仕事に行ったり、結婚の話があがったり、今の人と変わらない生活があったのだと気づかされました。
戦争の部分は今とは違うと思いたいですが、今(このレビューを書いている2025年)の不安定な世界情勢を鑑みると、戦争のところだけ都合良く除外できるのだろうかと非常に心配になります。
何かのきっかけで、半年もたたずに社会があっという間に変わってしまうかも、というのをきっぱり否定しきれない時代を生きているのではないかと、考えざるを得ませんでした。
初回公開が2016年の作品で、非常に話題にもなったのでご存知の方も多いでしょうが、ご存知なかった方にこそ、ぜひ1度見ていただきたい作品です。
アニメも戦争関連もどちらも好みではないよ、という方にも、いったん忘れていただいて(だまされたと思って)、何とか見てもらえればいいなと思います。
2025年はリバイバル上映ということで、上映地域や上映館・上映期間も限られてしまっていますが、配信やDVD・ブルーレイもありますので、1度鑑賞してみてください。
もし今は見られなかったとしても、タイトルだけでも記憶にとどめていただきたいです。後で何かで見つけた時に、そうだ「この世界の片隅に」という映画あったっけ。見てみようか、と思い出すきっかけになれば幸いです。
“強く生きる”事をすずに教えてもらえる神作
とんでもなく素晴らしい。
火垂るの墓と並ぶ戦争を伝える映画の超大傑作です。
“絵”を巧みに使い、微笑ましい笑いとポップな音楽を織り交ぜながら戦時中の日本を彩っていく。
減っていく配給にもめげず、貧しいながらも前向きに強く生きるすずが本当に可愛くて良い子なんです。
それでいて時代背景と悲惨さ、ショッキングな描写のギャップからのメッセージ性がものすごく強い。
解っていても近づいてくる運命の日。
増えていく空襲。
成すすべもなく壊されていく町と日常に、胸を鷲掴みにされる。
人の繋がりの温かさと戦争の非道さを見事なまでに描き切った、まさに全世界の人に見てもらいたい作品。
これをなぜ当時劇場で観なかったのかと激しく後悔しました。
戦争で幸せになる人はいない。静かに胸を打つ作品
以前からずっと観たいと思っていた『この世界の片隅に』。
評判も高く、周囲からも勧められていましたが、
公開時には観る機会を逃してしまいました。
そんな中、リバイバル上映が決まり、ようやく劇場で鑑賞することができました。
上映に携わった方々に、心から感謝したいです。
本作は、柔らかな絵柄と穏やかな語り口で、戦時下の広島・呉に生きる人々の
日常を丁寧に描いています。
戦争映画でありながら、過剰な演出はなく、静かに、しかし確かに、
戦争の悲惨さが胸に迫ってきます。
むしろ淡々と描かれるからこそ、日常が崩れていく恐ろしさが際立ち、
観る者の心に深く残ります。
特に、主人公すずが日々の暮らしの中で少しずつ何かを失っていく様子には、
言葉にならない悲しみがありました。
涙が止まらなかったのは、戦争の残酷さだけでなく、
それでも生きようとする人々の姿に心を打たれたからです。
映画を観ながら、ふと疑問が湧きました。
なぜ太平洋戦争では、民間人の住居が爆撃の対象になったのか。
軍事的な理由があったとしても、そこに暮らす人々の命や日常が、
あまりにも軽く扱われていたように感じます。
戦争とは無縁の世界に生きる私たちに、戦争がもたらす不幸を静かに、
しかし確かに伝えてくれる、そんな作品でした。
こうした映画が作られ、今も上映されていることに、深い意味があると思います。
ありがとうございました。
世の中に逆らわず、厳しい時も工夫して小さな幸せを見つけながら生きて来たのに、 気が付くと、突然、大事なものをいくつも奪われてしまう恐怖
主人公すずさんを通した、これまで描かれる機会が少なかった、第二次大戦当時の「普通の人たちの普通の日常」。
ちょっとぼーっとしているすずさんのキャラクターと、それにぴったりな声を演じるのんさんがとってもいい。
さらに加えてアニメであることで、生々しさが少し薄まっているのも観やすくなっています。
「ひとさらい」「ざしきわらし」や「おにいちゃんのワニのお嫁さん」の話、波を撥ねる「白いうさぎ」など、すずさんの空想も、映画全体に優しくて楽しい空気感を作ってます。
そのおっとりしていたすずさんが終戦を迎えたときの「心情」や、そのあと描かれる戦後の人生がさらに心に残ります。
反戦を声高に描かないスタンスが素晴らしいです。
…というのが2016年公開時の感想でした。
その後、2018年年末公開のロングバージョン「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を鑑賞。
そしてこの度、すずさん100歳、終戦80年上映を改めて鑑賞して、少し感想が変わりました。
不自由で貧しい生活の中でも、つましい小さな幸せを見つけて生きていけるようになることは、実は褒められるようなことでも何でもない。本当は恐ろしいことなのだと。
そして、あらゆる状況でも受け入れて逞しく生きていく。
少しずつ周りの状況が悪くなっていき、絵を自由に描くことすらできなくなっていき、気付いたときは、いくつもの近くの大事な人の命が、一瞬で失われてしまう。
個人では逆らえない、どうしようもない大きな波にさらわれてしまう。
身近な大事な人も、日常も奪われて、ただの普通の人間が、例え最後の1人になっても竹やりでも戦う覚悟でいたのに、1つのラジオ放送だけで、突然無かったことにされる悔しさ。行き場のない怒り。
ぼーっとしたすずさんのままで死にたかったのに。
それでも、拾った子とともに歩き出す姿には救われる。
ここでまた、どんな状況でも生きていける、人の強いところを良き方向に生かせる時代が来る。
失った右手が、生き生きとして明るいエンディングのイラストを描いている。
戦争は、嫌だ
この世界の片隅に
すずが描いたその世界の片隅に
今月3本目の映画鑑賞でしたが、いずれも旧作、しかも戦争をテーマにした作品ばかりでした。やはり8月ですね。
今回は、のんが声優に初挑戦したことでも話題となった『この世界の片隅に』を鑑賞しました。のんのフワっとした声は、主人公・すずののんびりとした穏やかな雰囲気にぴったりで、まさに適役。絵柄も劇伴も穏やかなトーンで統一されており、全体として非常にゆったりとしたテンポの物語でした。
とはいえ、時代は戦時中、舞台は広島と呉。物語は、敗色濃厚となりつつあった昭和19年、18歳のすずが広島の実家から呉へ嫁ぐところから本題に入っていきました。夫・周作(細谷佳正)とは、実は子どもの頃に出会っていたものの、すずは見合いで初めて会ったと思っており、結婚後は周作の両親、姉の径子(尾身美詞)、そして姪の晴美(稲葉菜月)とともに暮らし始めます。
当初は、戦時下にしては比較的穏やかな日々が続きますが、戦況が悪化するにつれて連日の空襲に晒され、やがて悲劇が訪れます。すずと晴美が外出先で空襲に遭い、遅発性の爆弾により晴美は命を落とし、すずも右手を失ってしまうのです。
迎えた8月6日、すずは広島に帰るのかと思いきや、結局呉に留まって原爆の直撃こそ免れますが、実家は被害を受けることになります。
こうして物語を振り返ると非常に悲しい内容ではあるのですが、同じく戦争をテーマにしたアニメである『火垂るの墓』と比べると、本作はまったく異なる印象を受けました。それは主に、以下の3つの特徴によるものだと思います。
1. すずの穏やかな性格
すずは、生来の穏やかな性格から、戦時中であるにもかかわらず、日常を大切にしようと生きていました。それが作品全体のトーンにも表れています。絵柄や音楽と相まって、物語は柔らかな雰囲気に包まれていました。ただし唯一、晴美の死に際してはその穏やかな流れが大きく揺さぶられ、悲劇の衝撃がより強く印象づけられていました。
2. すずが描く“絵”の存在感
本作最大の特徴は、折に触れてすずが描く“絵”の存在でした。子ども時代に学校で描いた絵、妹に漫画風に描いて読み聞かせた絵、同級生の哲のために描いた白波を鳥に見立てた絵、嫁いだ後に迷い込んだ楼閣エリアで出会った女性のために描いた“スイカとキャラメル”の絵、そして軍港の軍艦を描いて憲兵に叱られる場面──これらのエピソードを通して、すずの絵は本作の空気感や彼女の心情を映し出すものとして機能していました。そして、右手を失って以降、絵を描けなくなったすずの姿は、観る者にとって“この世界”が終わってしまったかのような喪失感を与えます。
3. 絶妙な伏線とその回収
例えば、遅発性爆弾について事前に説明があった上で、晴美が命を落とすという展開。あるいは、晴美を喜ばせようと描いた軍艦の絵が憲兵に咎められるくだり──いずれも非常に巧みに構成された伏線と回収がなされていました。特に印象的だったのは、プロローグとエピローグに登場する“怪物”の存在、そして爆発の瞬間に「晴美を左側に置いておけばよかったのでは」という悔恨の念とラストで登場する晴美の“生まれ変わり”とも思える浮浪児のエピソードでした。これらはメルヘン的とも言える演出でしたが、すずの悲しみと再生を象徴的に描き出し、非常に効果的かつ印象深い締めくくりとなっていました。
戦争を背景にしながらも、静かで優しい時間が流れる本作は、日常の中にあるささやかな幸せの尊さを改めて思い出させてくれる作品でした。すずの絵のように、柔らかく、でも確かに残る余韻のある映画でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。
アニメ作品のリバイバル上映ではあるが是非
今年177本目(合計1,718本目/今月(2025年8月度)5本目)。
アニメ作品とはいえ、この時期特有の戦争もの(原爆もの)であり、実は見たことがなかったので見てきました。
当時の呉市は軍港であり、原爆投下の被害を受けた広島市よりもそもそも人口が多かった(というより、広島市は地形が複雑で(当時の水準では)住むにはあまり適さなかった事情は確かに存在します。現在でも路面電車等が複雑な状況になっているのはこの事情)。
こうした事情がある、当時、広島市より栄えた呉市をテーマにした作品で、実話ではないですが、原爆投下等は史実通りですし、呉市の描写などもかなり正確なので(はじめて放映された当時は呉市の観光ツアー等もあった模様)、その意味では、純粋たるアニメ作品と映画との中間的な立ち位置(後者に近い)になるかなと思います。
映画の最後のあたり、いわゆる終戦のラジオ放送を聞いた後に多くの人が落胆するところにおいて、朝鮮半島の独立旗がかかるシーンがあります(当時は韓国、北朝鮮ともに成立していないので注意)。呉市は当時軍港であったため、一定程度の当事者が労働しており、このことを反映しています。また、「こうした人たちで私たちは生きていたんだなぁ」という発言も、当時の主婦(ここでは便宜上使用する語。少なくともその当時は女性が家事をするしかなかったので)は、戦争の情勢の悪化とともに、米の配給等も少なくなり、無理にでも闇市等で手に入れることも多々ありましたが、映画内でも描かれるようにお米を毎日炊く彼女は(というより、当時の一般的な主婦は)、おおよそ、その米がどこ産で、おおよそどの国の割合で混ざっているかは把握しており(当時の日本では当然、日本国産100%などということはあり得ず)、そのことを反映したセリフになっています(原作コミック版ではもう少し過激な発言になっているようですが、無用な誤解を招くということで変更された模様)。
なお、映画ではそこまで出てきませんが、広島市への原爆投下後、呉市にはある程度施設が整っていたことから一定数の流入があり、また、戦後(降伏後)は、オーストラリア軍の指揮下に置かれた事情があり(西日本は原則イギリス占領。その中でもオーストラリア占領となったところもあり、呉市が代表)、現在でも呉市とオーストラリアの当時の交流を示すモニュメント等もおかれています(映画内ではこの降伏後のことまでは描かれていない)。
採点に関しては、以下まで考慮したものの、フルスコアにしています。
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(減点0.2/呉市の語源の取り上げ方に偏りがある)
ラストあたり、「呉は、周りに九つの嶺があることから「くれい」から「くれ」になった」というような発言があります。確かに現在の呉市もこの立場を取りますが、呉市の「くれ」がどう形成されたかはこの説以外にもいくつかあり(トンデモ論等はともかくとして)、他ににもいくつかあります。この点は断定的な発言は避けるべきだったのではなかろうか…と思えます(ただ、「当時の」当事者にとってはこの説が通説的に信じられていたように思えるし(戦時中、戦後の混乱期において、地名の語源を詳しく語るような人はおよそ想定できない)、ある程度仕方がない部分はあります)。
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ただ涙を流すだけじゃなくよく考えみよう
ずっと見たかった作品で、今回終戦80年の再上映のタイミングで鑑賞しました。人生ベスト5に入る名作で、誰もが1度は見なければならないと思います。
私たち日本人は知識や経験に大きな差があるとはいえこの時代を知っていて、何となく展開が分かってしまうことで、映画で追体験することができます。登場人物の大変ながらも幸せな日常が丁寧に描かれていることで、あまり直接的に描かれていない辛さ・汚さ・苦しさなど、様々な面を想像することができます。
きっと戦争に対する知識や思い、また世代によっても違った捉え方になると思うので、評価の差はそこに出ると思います。正直私はマイナスな部分はありませんでした。
長尺版の「さらにいくつもの」もあると思いますが、もう1度見るには涙が出すぎて疲れるので時間をあけます。終戦80年のタイミングで、この8月に見るべき作品です!
戦後80年記念上映に寄せて
【この世界の片隅に】
戦後80年なのでリバイバル上映される、舞台挨拶もあるというので、新宿テアトルに観に行ってきた。
のん氏がインタビューで話したこと。
主人公すずは自分の感情を表に出すことが苦手だが、絵を描くのが好きで絵を描くことで日常のちょっとした感情を発露していた。でも米軍の昼間爆撃で時限信管による爆発で義理の姪の命と自身の右手を失う。それを契機に描くことができなくなったゆえか、性格が変わり激情的になっていく。そこが演者として一番気付きを受けた事だと。
なるほど、そこは気付かなかった。
でもそのすこし前、巡洋艦乗りの水兵となった幼馴染が半舷上陸で嫁ぎ先にすずを訪ねてくる。水兵を家に泊める事は許さず納屋に泊めた旦那が、しかし、すずに水兵のもとに行くことは許す。そこで水兵はずすに南洋で拾った鷺の羽を渡し、それをペンとし昔のように絵を描くように促すが、すずは何故かうまく描けない。きっと既にすずはもう変わり始めていた。ややエロティックな場面であるが、昔、思いを寄せていた幼馴染との今生の別離を、そして、自分の人生を自分で生きていく決意をした瞬間だったと今になって思う。
この映画がほかの凡百の作品と一線を画するところは、先の戦争を描いているが、決して反戦とか非戦のメッセージを直接的に表現しなかった事。片渕監督はそれをなぞなぞとして埋め込んでいるという。自分の頭で考えてそれを見つけ見定め判断することを観客に課している、それは非常に冷徹な姿勢だと思います。
だからこそ、すずさんの時代を生き、生き残った人たちの話を聞き、普通の人々の思い、それは多分に主観が入っているかもしれないが、、当時呉で起きた大きなことや些細なことを長い時間をかけて調べ、緻密に構成しリアリティのあるパーツとして映画に落とし込む。そしてあとは、今を生きる者たち(のん氏や監督自身を含めて)が考えることなんだよと提示して見せた。
すずさん(架空の人物)は数えで今年100歳になる。彼女が生きた時間は87万時間に及ぶという。でも映画が描いた時間は作中では11年、映画として切り抜かれたのは2時間だけ。その切り取られた2時間のフレーム越しに見える世界をどう感じるか、問われているのだと思う。
自分は昭和43年生まれだが、それはまだ終戦から23年しか経ってない時代、何か不思議な感じがするが、かの時代と地続きの未来に生きていると8月になるたび思いを馳せる。
この映画は今世紀のベストワンです。
実在の人物の半生を元に脚色したコミックが原作。ただの残酷な戦争映画とは違って、戦禍の中でも普通の生活を続けようとする主人公の無垢な心が涙を誘う良作
原作は未読でしたが、戦後80年を記念しての期間限定リバイバル上映だったので、色々と予習をして観て来ました。まず原作者の柔らかみのある暖かい絵柄を踏襲して動く絵本のような優しい雰囲気で物語は始まります。
主人公の浦野すずは、ちょっとおっちょこちょいなところがあるけど、絵を描くのが大好きな優しい女の子。両親・兄・妹と五人家族で広島で暮らしている。ある時、海苔を作っている祖母の手伝いをするために草津港の祖母宅に家族で行くが、ひょんなことから縁談の話が持ち上がる。最初は躊躇したが、呉にある北條家に嫁ぐことが決まる。
夫の北條周作は呉の鎮守府に務める事務方の軍人。生真面目で周りからは暗いと評されるが、すずには深い愛情を持つ心優しい人物。他に両親と出戻りの義姉、黒村径子と義姉の娘の晴美がいる。径子は最初の頃すずに嫌味な事を言ったりするが、いわゆる「ツンデレ」な気質があるので、後には優しい一面も見せる。・・・と、昭和10年代の普通の庶民の生活を描いているのはここまで。
いざ戦争がはじまると、物資が足りなくなって配給制になるが、配給切符を持っていてもすぐに品切れになって買えなかったりするので、闇市を頼る事もしばしばある。そんな生活の中ですずは持ち前の発想力で、食べられる草を探して来たり、少量の米で量を水増しして炊く方法を見つけたりして、家族が今まで通り笑顔でいられるように知恵を使う。
呉は軍港なので、ミッドウェー海戦で敗北した後は昼夜問わずに米軍機の空襲にさらされることとなる。すずは晴美と一緒に病院に入院している義父を見舞いに行くが、帰り道で空襲に遭い、直撃は逃れたものの時限式爆弾の爆発で、右手前腕部と晴美を失ってしまう。ほぼ同時期にすずは兄の要一も南方戦線で亡くすが、帰ってきたのが遺骨ではなく一個の石だったため、すずの一家は要一の死を容認できずにいる。
径子は娘を失ったことで最初はすずを攻め立てるが、右手を失って大好きな絵が描けなくなり、家事も上手くこなせなくなったすずを気遣い苦手だった家事にも精を出すようになる。すずは晴美を死なせた罪悪感から広島へ帰ろうとするが、それを必死に引き止めたりする。
原爆の投下ですずは父の十郎を亡くし、母のキセノは行方不明になった。妹のすみは一命を取り留めたが、原爆症で働けなくなり、祖母の家に引き取られてひっそりと暮らしていた。妹を見舞った後、周作とすずは広島の街中で戦災孤児の女の子(映画では名前は不明)と出逢う。女の子の母親は爆風で右腕を失って亡くなっていたので、右腕のないすずに母の面影を見てすずに懐いてくる。その姿を見て周作とすずは呉に連れて帰り、養女として迎える事となった。
「戦災孤児の女の子」を見た径子は、亡くした晴美と似た背格好だったことから、晴美の着ていた服を直して着せてあげたりして快く迎え入れた。エンディングでは径子と孤児の子とすずが、おなじ生地で仕立てた服を着て仲良さげに微笑んでいるシーンが泣かせるポイントの一つ。
制作費の一部をクラウドファンディングで賄ったことから、エンドロールに沢山の協力者の名前が出てきて、原作段階からとても愛された作品なのだと実感しました。
「この世界の片隅に」から学ぶ、“マルチ”に生きる力と経営の本質
映画『この世界の片隅に』は、戦時中の広島・呉を舞台に、普通の女性・すずの日常と非日常が交差する様子を描いた作品です。経営者としてこの作品を観ると、「当たり前の日々」の重みと、「見えない影響力」の大切さに強く心を揺さぶられます。
すずは決して特別な能力を持っているわけではありません。しかし、彼女の素朴な感性や前向きな姿勢は、家族や周囲の人々に静かな安心と光をもたらしています。この“日常を守る力”は、私たちが事業で関わるスタッフ、顧客、そして社会への貢献にも通じると感じました。
現代のビジネスでは「マルチ」という言葉が多様な意味で使われます。マルチタスク、マルチチャネル、マルチレイヤーの組織運営…。すずのように、複数の役割を自然体でこなし、戦時下という極限状態でも人の心を守っていく姿は、マルチの本質を“利己的ではなく利他的な力”として捉え直すヒントになります。
また、限られた資源や情報の中で「創意工夫」するすずの行動は、制約の中でも成長や価値創出を諦めない経営の在り方と重なります。生きること、働くことの根本に立ち返らせてくれる本作は、単なる戦争映画ではなく、現代の私たちに必要な“視点の転換”を促す一作です。
食卓
すずさんの日常における戦前戦後
のんが演じるすずさんの何と魅力的なことか。
ぼーっとしている、という表現を自ら何度もするすずさんだが、
そこがすごくカワイイのだ。
すずさんの生活が実にリアルというか現実的であり、
当時の生活が生々しく描かれているのも好感が持てる。
嫁に行くとはどういうことか等、よくわかるつくりなのである。
戦時中、市井の人々はどう受け止め、どう生きていたのかも
痛いほど伝わってくる。
このドラマならではなのは、すずさんの姪が亡くなり
自らも右手を失くしてしまうこと。
そこからのすずさんの絶望、そして前を向いて生きようとする姿勢に
元気をもらえる。
戦争を中心に描いている映画ではないと感じるが、
日常の中に戦争という要素が入ることで、
より戦争の恐ろしさや悲惨さを痛感できる作品になっているのみならず
重厚な中にも、すずさんのゆるやかさに元気をもらえる作品なのだ。
猛烈に心に刺さったし、劇場で観ることができて本当にうれしい。
今後も毎年夏に公開してほしいと思った。
多くの特に若い方に観てもらえるとうれしい。
理不尽な戦争
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