この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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今日も明日も
生きていかないけんのですけ。
すべてはこの言葉に集約されてるように思いました。
元々、こうのさんのお話が大好きで、この作品も読んでいました。戦争映画というカテゴリーでありながら、日々を懸命に生きていくすずさんの姿は現代の私たちにも通じるものがあると思います。
存命の祖母が戦中は某軍港に住んでいて、B29が焼夷弾を落としにきた話や防空壕に逃げそびれて側溝で耳を塞いでやり過ごした話など聞いていました。でも、それより驚いたのは空襲の後に普通にヨモギとか食べられる草なんかを採って帰っていたということです。
祖母が、食べていかないけんけねぇ、と言っていたことが思い出されました。
戦争はもちろん悲惨で、二度とあってはならないことですが、そんな中でも懸命に生きていこうした人たちがいて、今の自分があるのだということに改めて気付かされました。
りんさんと周作さんのお話は完全版(長尺版)で描かれるそうなので周作のノートの話や二河公園の花見のシーンなど今から楽しみです。
能年玲奈さんの演技はとても良かったです。
『ほいで、ここはどこねーーー!?』と叫ぶシーンは私的必見シーンです(笑)
等身大の日本人
素敵でした。
新感覚でした。
原爆と言えばマイナスなイメージがあるのに
こんなに明るく(いや決して明るい訳じゃないけど、火垂るの墓などと比べれば)映像化することができるなんて思いませんでした。
たまに挟んでくるリアルな描写に胸がグッときました。
私が見てきた映画の中では回りくどい描写が多いのが普通なのですが、この映画は考察もしやすくわかりやすい映画でした。特に心に残ったのが、「でも全部は食べないようにしよう、また明日も明後日もあるんじゃけぇ」みたいなセリフです。また明日も明後日もある…その言葉に何だか戦争というものに対してイメージが変わりました。
戦争=ダメなもの、としてしまっては、その時代に懸命に生きた人達が何だかなかったことのようになってしまうような気がしました。広島に原爆が落ちても、生き残り、懸命に今日を生きた人がいる…。
最近、北朝鮮がミサイル打ったりして、近々戦争が起こりそうですが、私も1日1日を大切にして生きていこうと思いました。素直に泣きました。
周作とすずの2人が仲良くなっていく過程も素敵だと思いました。すずが「広島に帰る」と言った時に、周作が言った言葉がグッときました。
本当にあっと思わされる映画でした。
優しくて悲しい…
絵柄も話も優しかった
戦争の皮を被った青春譚
この作品は「戦争」に本質がある訳ではないらしい。
実はたんなる一田舎娘の青春譚なのでせう。
仮に戦争要素がごっそり抜けていても、普通に物語として成立していたやうに思われる。
この作品には戦争映画特有の切実さがない。
『野火』『永遠の0』『火垂るの墓』『はだしのゲン』などを見て感ずるあの呼吸器が締め付けられる切実感がない。それはやはり距離感の問題であらう。
『この世界の片隅に』はまさに戦争の片隅に位置する人々の話で、戦争映画によく漂う腐臭と吐き気、醜悪さ、絶望、目を背けたくなる感がまるでない。始終、流れるやうな綺麗な筋書きである。だがそれでよい。おかげで何度も観れる。
舞台は第二次世界大戦中の広島。
いかにも虐げられし人々の描写がなされそうだと予感せられる。が、蓋を開けてみるとそんな事は殆どない。普通(とはいかないまでも、それなり)に暮らしは成り立っているやうだった。
その上で勝手な縁談、若い男女が抱く感情、周囲との人間関係、葛藤、ウーマンリヴ精神これだけ素材が揃っていれば別に戦争映画でなくてもよい気がする。だが、ここに戦争といふスパイスが加わることによって我々はある種の感動パターンに嵌められて涙してしまうでせう。
戦争はあくまで付加価値なのかもしらん。
「従来の戦争映画とは違う」というより、「従来の青春譚に戦争要素を染み込ませただけの映画」であらう。
一番心に残る映画
すずちゃんに幸多かれ
広島で三人兄妹の真ん中として育ったすず(声はのん)、18歳で親に言われた通り、呉に嫁に行く。
ぼーっとしているすずは何事もいやな顔もせず、黙々とこなしていた。
時代は昭和19年、戦争はどんどん激しくなり、すずも右手を失う。
嫁ぎ先から生家へ帰ろうとしていたのは8月6日だった。
とても悲しい話なのだが、すずのキャラが絶妙で、肩も凝らずに見ることが出来る。
日本のアニメーションの傑作だと思う。
日常(不変の)
憧れ、夢、希望、恋、結婚、嫁姑、嫉妬、女の子の人生。
不変だよね、今も昔も多分これからも。
のほほんとした夢みがちな少女が結婚して様々な問題に悩み、それでものほほんと生きていく。なんて素敵なんだろう?昔も今も変わらないよくある話。
只、それが昭和20年前後の広島が舞台だってコト
僕達が知っている圧倒的な悲劇が確実に待っている物語だってコト
劇中ですずさんは困る、戦時下の大状況に周りの人たちも困る でも悲壮感はあまり無い「困ったねぇ~」って台詞で日常として昭和20年を生きている
そう、どんな時代だって悲壮感だけで生きている人なんていないんだよ
そこが悲壮感を感動にすり替える有りがちな映画との違い。
それがあたりまえの日常だと信じて生きてるんだから。
それでも数々の圧倒的な悲劇を通り過ぎて、すずさんは初めて感情を吐露する「こんなの納得できん、暴力で従えていたもんは結局暴力に屈するんか」と。
のほほん少女のこの台詞に僕は映画を見ながら初めて狼狽えてしまった。
戦時下っていう暴力的に不条理な大状況が他の暴力によって終わり、すずさんにとっての日常が心と体に傷を残したまま終わってしまう。
これほどのメッセージがあるだろうか?
反戦映画で有りがちな、ここで感動しなさいって押し付けが全く無く
すずさんが初めてみせる怒りが僕の心に突き刺ささる。
こんな体験した映画ははじめてだった。
後日談的に八月六日から暫くたった広島市内で見知らぬ孤児の女の子を拾って、「よう生きとってくれんさったねぇ」と声をかけるすずさんに我慢していた僕の涙腺は崩壊した。
これは残っていく作品だし
必ず残さなきゃいけない作品
すずさんと私
1945年に住んでいるすずさんと2017年に住んでいる私。
少し生まれた時がずれたら、もしかすると私はすずさんになり得たかもしれないし、すずさんは私になりえたかもしれない。そうしたら自然と、映画を見終えた数日後の終戦記念日という日に、すずさんや周作さん、晴美さんの顔が浮かびました。今は亡き祖父母や戦時を生きた知人を思い出しました。電車に乗ってる目の前のおじいちゃんとおばあちゃんの幼き時を想像してしまいました。
そして、当たり前にある右手は、当たり前にある幸せの象徴。仮に見た目では傷を負っていなくても、戦争を生きのびた人は必ず大切な何かを失くしている。
これからもずっと心の中で、戦争で失くした何かを想うかもしれません。だってすずさんは、私かもしれないのだから。
大好きです。
〝感動する〟〝泣ける〟そんな言葉だけで語れる映画ではないと思います。
戦時に生きる人々の日常を淡々と描き、その裏で刻々と悪化する戦況をちらつかせ、観ている観客にはもう嫌でも分かっている、避けられない結末へとカウントダウンしていく残酷さ。ありふれた日常の愛おしさと戦争という非日常の対比。
徐々に困難になってくる日常生活や、繰り返される戦火という理不尽な暴力の中に身を置くと、それに対する疑問や怒りまでも麻痺して戦争というものすら日常になってしまう。生きていくための日々の営みは変わらなくとも、物事の価値観や優先順位は知らないうちに別のものにすり替わっていく。
愛らしい絵でほのぼのと描かれる日常は「戦時中でも小さな幸せを大切にし、笑顔を絶やさず前向きに生活している人達」というよりは、辛い現実の中で「せめて笑おうとしていた」人達の生活だと思う。糸が切れたように突然泣き崩れる登場人物達がそれを物語っているように感じた。
露骨に悲劇的な描写は少ないが、細やかな日常の中にしっかりと悲劇は潜んでいる。
原作を読んだり太平洋戦争史を予習してから観れば劇中に刻まれる日付の意味も深まると思うし、この映画を海外で上映した時の反応も気になる。
個人的にはジブリ作品なんかよりもずっと、後世に遺すべき傑作だと思います。
ある意味で退屈
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