「8月15日に『この世界の片隅に』を劇場で観る意義」この世界の片隅に Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
8月15日に『この世界の片隅に』を劇場で観る意義
たぶんですけど、この作品の主人公のすずさんは十年ちょっと前に他界した私の父と同い年だと思います。大正末期の生まれなんですよね。父は生前、明治と昭和に挟まれた短い期間で人数も相対的に少ないけど、大正生まれがいちばん「十年戦争」(父はこの言葉をよく使いました。父が11歳のとき日中戦争のきっかけとなる盧溝橋事件が起き、19歳のときに終戦でした)の影響を受けていると言っていました。父の7歳上の兄(私にとっては会うことのなかった伯父ということになりますが)は太平洋上の島で戦死しています(アッツ島と聞いた記憶がありますが定かではありません)。どこかで読んだ記憶で数字が正確でないかもしれませんが、大正生まれの男性は7人にひとりが戦死したと読んで驚いたことがあります。
ということで、7分の1という数字がでてきましたが、歴史は時間が経過すると数字を含めた記録の要素が強くなってしまいます。どうやって記録以外の生きた歴史を後世に伝えてゆくか…… 英語の “history” という単語の中には “story” という語が含まれていて物語の力を借りてその時代の雰囲気や気分を伝えてゆくという方法もありそうです。
『この世界の片隅に』では文字通り世界の片隅にいた普通の市井の人々の戦時下での日常が描かれています。この作品のいいところはキャラクターそれぞれとその戦時下での生活をステレオタイプにしなかったところです。すずさんも夫の周作さんも義姉の径子さんもそれぞれキャラが立っていて喜んだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりします。約80年前に生きていた人々の生活を追体験することができます。
父に聞いた戦時中の話で印象に残っている話があります。私がけっこう大人になってから聞いた話で別々に暮らしているなか、たまに会ったときにどういう流れでそういった話になったか記憶が定かではないのですが、父が十代の後半の頃、つまり戦争たけなわの頃なのですが、父の世代の人は皆、周囲の大人からやたらと褒められ、持ち上げられたそうです。「最近の若い人たちは偉い。感心する」といった具合に。そうやって褒められながら、戦地に送られていったんでしょうね。老人が「近ごろの若いヤツはなっとらん」と言えるのは平和な時代の証拠なのかもしれません。幸いにして、私は若い頃「なっとらん」と言われ続け、この頃は「近ごろの若いヤツは……」とこぼし続けて今に至っています。
8月の真ん中あたりは旧盆でご先祖さまが里帰りする季節でもあります。終戦の日と合わせて、先の戦争で亡くなられた方々や、戦時中の思い出を語ってくれた 今は亡き皆さんに思いを馳せてみることにしましょう。
黙祷。
共感ありがとうございます!
戦後80年の節目の今年は、特に戦争関連の映画が多く封切られる予定ですね。従来のマスコミだけでなくSNSでも戦争に関する情報や意見に多く触れる機会がある環境なので、自分自身が納得のいくオリジナルの意見を持つことがとても重要な一年になると考えています。
コメントありがとうございます。
私の通うジムには、お風呂とサウナがあるのですが、マナーが悪い中高年も多くて、まったく近頃の…とひとくくりにできないところがあります。
年齢、世代を問わずなんだか短絡的で攻撃的で耳触りの良い主張をする人たちが意気軒昂で、私にはとても居心地の悪い世の中になってるような気がしてます。
〝多様性〟という言葉も心なしかあまり聞かなくなってきたような…