「世界の片隅に生きていても」この世界の片隅に よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
世界の片隅に生きていても
「あれは、船かね?」
戦艦大和を見たすずの言葉は、この船の途方もない大きさを表している台詞として秀逸。
そして、呉軍港に停泊する軍艦を眺めながら、ワシントン軍縮条約によって建艦数が減り、造船業界の人たちが仕事を失うことに触れた会話。
これも当時の市井の人々の感覚を表していると思う。誰しも本当にその巨大な軍艦の数々を沈め合う戦争が起きるとは思わずに、社会経済の問題として大きな軍艦の建造を願っていた時代感覚である。
そして、言うまでもないことだが、ワシントン条約の軛から脱し、自由に戦艦を造る道を選んだのもまた、こうした国民であった。
この映画は、戦争の悲惨さを語るにとどまらず、戦争への道のりも田舎の片隅に暮らす人々の目線で物語っている。
嫁ぎ先の家が焼夷弾によって燃えそうになったとき、初めてすずは戦争というものに向かい合う。
姪と自分の右手が爆弾で吹き飛ばされた時でも、彼女はどこか戦争が他人ごとで、自分はいわれなきとばっちりを食ったという意識しかない。
自分の住む家がなくなるかも知れない危機に際し、自分というこの世界の片隅に生きる存在も、戦争と無関係ではなかったことにようやく気付く。
空襲の被害が最小限で済んだとき。玉音放送によって終戦を迎えたと知ったとき。
何はともあれ「良かった」と繰り返し喜ぶ周囲の声に、すずは「何が良かった。良かったことなどあるものか。」と憤る。
この憤りは、戦争の建前があっさりと崩れ去り、愛するものが失なわれた世界が残されたことへの悲しみ。そして、「うちはボーっとしとるけん」と他人ごとのように生きてきた自分自身への怒りである。
戦争を反省するとはこういうことであろう。軍人や政府の責任に帰結することではなく、国民一人一人が戦争へと進む世界を構成する存在であったという視点である。
世界の片隅に生きる者も、戦争の責任を免れることは難しい。
戦争責任 の一般的な 解釈として、健全な考え、として、同意します。
ですが、この映画の主人公の 激しい感情は、もっと複雑だと思います。
ご指摘の、感情も、あっただろうし、姪の死が戦争勝利に繋がらないという喪失感のような感情もあったかもししれません。
高橋哲哉の、靖國に祀られて英霊になった事を喜ぶ母の気持ちは偽、靖國の装置としての欺瞞性ゆえ、みたいな記述をみた記憶がありますが、身内の死を悲しむだけなら、動物でもできる。人間の感情は、重層的なのだと思います。