昔々、アナトリアでのレビュー・感想・評価
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素晴らしい映画的語り
ある殺人事件の現場検証がこの映画の主な舞台である。遺体を埋めた場所を正確に思い出せない容疑者のおかげで、一行は一晩中アナトリアの田舎を移動し続けることになる。しかしそこには、サスペンスや謎解きといった風情とはまったく別の語りが存在し、観客を想像もしなかった感情へと誘う。
映画の前半、事件の容疑者の存在にはそれほどカメラはフォーカスしない。むしろ、彼を護送する警官たちや、現場検証に立ち会うために同行してきた検事の世間話ばかりが続くのである。この世間話にしか聞こえない語りを、映画の本筋から離れたものとして聞き流すのか、その一つ一つを物語として聞き入るのか、その態度ひとつでこの映画が観客に迫ってくるものが異なってくるだろう。
警官にはその人の生活と人生があり、検事には検事のそれがある。他人から見れば分かりきったことや些末なことでも、本人には理由が分からなかったり、ことさらに深刻に悩んだりしている。
遺棄現場探しの途中、小さな村の村長宅で一行は休憩を取る。そこで彼らが見たのは村長の美しい娘。「このままこの田舎で朽ちていくのが惜しい。」というセリフが印象に残る。教育や出会いに恵まれれば、この美しく若い女性には別の未来が待っているはずなのに、家族の誰もそのことに気づいていない。
この休息から映画は後半に入っていく。後半から容疑者に焦点が向くことが増え、どうやら彼が弟をかばって罪を着ているようなことや、彼の息子への思いがほのめかされる。そしてこのことから、観客はこの容疑者が一面的な悪人や凶悪犯として描かれているわけではないことを知るのである。村長の美しい娘の登場が、容疑者の息子への思いを吐露させる契機になっているのだが、ここから一気に未来ある子供・若者へのまなざしを観客は獲得する。
司法解剖が行われるシークエンスにおいても同様で、気管に土が入っていたこと、つまり生き埋めにした可能性を示す証拠を医師は黙殺する。容疑者の罪を重くすることが、被害者の遺族にとって望ましいことではないという事情をくみ取った医師の姿にもまた、この子供への配慮がほのめかされる。
映画の中では、ほぼすべての事情がほのめかされるだけなのだが、結果として観客がその事情に対して被写体がどのような価値判断を下しているのかを明確につかむことができる。非常に映画的な語りが実践されており、またそれが見事に成功している。監督の近作「雪の轍」では未消化に感じられたものが、この作品では見事なまでに実現している。
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