赤い玉、のレビュー・感想・評価
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高橋伴明の映画論 『ベニスに死す』ならぬ、ぺニスに死す
「もう落ち目でしよ!」
ゼミの若い女の子から陰口を言われる映画監督。
作中に彼はシナリオを書いたものの納得がいかず、それをごみ箱へと投げる。
が…上手く入らず、何度も同じ行為を繰り返す。
彼にとって時間は有り余るほどあるのだ!
高橋伴明がどの様な思いを持って、この作品を作り上げたのか? 本人では無いので、以後個人的に勝手に解釈しています。
若さは最大の武器となり、新たな未来が待ち受けている。
一方老い先短い身を自覚すると、人生の終焉に向かい世間に対して、“何らか“ の爪痕のようなものを遺しておきたいと思うのも、また人情かと思う。
ただ周りがそんな自分の事を、このゼミの若者達の様に【老害】と捉えていると思われていたら…。
私などは、まだまだ高橋伴明にはこの様な作品を撮れるのだから充分に【若い】とは思いますがね。
ゼミでの若い監督は、自分の作品を若い男女の愛と別れを三角関係で描いていた。
どうやら二人の恋愛模様が順調だった頃には、『雨に唄えば』をオマージュとしているようだ。
そんな作風を、この主人公にはもの足りなく感じているところが、随所に見受けられる。
だからこそ、物になるのかどうか?わからないのだが、彼は「俺ならば!女をこうゆう風に撮る!!」とばかりに、シナリオを書き込みなから妄想に耽るのだ!
おっさんだけに(笑)なのか、女子高生に見立てては追い掛け回す。
何度も追い掛け回した後で、突然男は愛人から口紅を着けて貰う。
鏡を覗き込むと、そこには悍ましい顔が映り込んでいた。まるで『ベニスに死す』に於けるダーク・ボガードの様に。
伝染病が流行し、観光都市としての体裁を守る為に、街全体に死化粧を施したベニスの街。
それに対して自分も美の象徴である美少年タジオを目の前にして、死化粧で取り繕う。
彼女が住む自宅の前には小川がある。その小川を挟んでは追い掛ける姿が、ベニスの街を追い掛ける姿と重なる。
若さとゆう美しさを前にしては、年老いてしまった者にとって“手の届かない憧憬“と言って良い。
『ベニスに死す』では、完全なる美の前では才能が枯渇してしまった者は、その美の前に平伏すのみだった。
が…。
そこはそれ、高橋伴明はピンク映画出身なのだ!
<赤い玉の伝説>
よく言われる性に対する例え話ではあるが、実際問題そんな話など有るはずなど無いのだ!
だが、それを美(いや快楽又は悦楽と言った方が良いのだろうか?)の象徴を前にして搾り出して貰おう…などと言った妄想を膨らませて話を作り上げる辺りから、高橋伴明自身のピンク映画出身としての【気概】の様なものを、この作品からは感じてしまうのだ!
不二子演じる愛人の女は、その妄想によって生み出されたシナリオに嫉妬心を露わにする。
私に対して示す快楽以上に、新たな性の対象として熱中している様な彼の本心に対して…。
全編に渡ってこの作品では、基本的にそんな男女に於ける性を笑い飛ばす様な喜劇的に描かれてはいる。そしていつしか映画はラストシーンを迎えるのだが…。
個人的にはここまでのレビュー同様、あの最後の終わり方には【盟友】である若松孝二にたいする鎮魂歌なのではないか?と勝手に考え、様々な思いが胸に去来する作品でした。
(2015年9月30日/テアトル新宿)
比喩のインフェルノ
困ったことに頭が悪いから、ドンドン伏線やメタファが登場するんだがそれを回収できずに途方に暮れながら観てしまう羽目に陥った。
多分もっと記憶力と理解力が甚だしかったらかなり面白い作風かとは思う。
個人的にはヒロインの女子高生役の肉感的な姿態にストライクだったw
奥田瑛二の老人になりたての悲哀が痛々しく表現していて、モデルまでやった男がここまでの落ちぶれ感を醸し出すのはさすが役者魂というか・・・
関係無いことだが、この映画も、作中にPCの画面に書いてあることを写しているのだが、さっぱり読めない。テロップをつけることは作品を損なうのかなぁ?
衝撃のラストというわけでないが、病気の方がフラグ(咳込むことが多々)が立っていたので面白かったのでは?と、やはり事故の方がスッキリするのかな?
最後の万華鏡ク○ニ地獄は、監督の趣味なのかもしれないw まぁ激しく同意しますがw
学生さんたちがんばりました
映画を学ぶ学生たちに“性表現を避けるな”という趣旨があったとは予想外でした。大切なことではあるけれど、映画で人間を描く上で必須なものだろうか。それこそ主人公のように性を失ったもの、閉経後の女性などその先にどのようにして人間を再定義していくのか、そんなテーマを期待していましたが少し違っていました。
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