エクス・マキナのレビュー・感想・評価
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人間はアンドロイドとの恋愛を夢見るか
人間/アンドロイドの境界がすごく揺らぐ。
エヴァをつくったIT企業「ブルーブック」の社長ネイサンは、山岳地帯の奥にある自宅に電力を供給した労働者を殺したり、キョウコに罵詈雑言を浴びさせたりと非-人間性を帯びた行為をする。それに対してエヴァは、主人公ケイレブが両親をなくしたエピソードに同情したり、絵を描いたりと人間的な振る舞いをする。この両者の行動をみているからこそ、ケイレブは自分の腕をリストカットして人間であるかどうか確かめる。
ケイレブはエヴァのチューニングテストをするためにネイサンの住宅に招かれたのだが、結果的に自分自身のチューニングテストをすることになり、それがアイロニーに満ちていてとても好き。
またこの作品は、『映画で考える生命環境倫理学』の第5章の題材にもなっている通り、人はAIと恋愛することができるのかを考える上で示唆に富んだものである。
人がAIと恋愛することができるか検討する上で、5章では、
身体の必要性、ポリアモリーの倫理的な正当性、コミュニケーションの問題、人とAIは双方に代替不可能な存在になり得るかを挙げている。
恋愛において身体が不必要つまりセックスを伴ない精神的な恋愛が成立するならAIと恋愛はできるだろう。個人的には精神的な恋愛は成立するのではと思っている。
ポリアモリーの倫理的な正当性については、経済的な理由と「自分だけを愛してほしい」という理由によって正当化されている。この点については、イスラーム圏では一夫多妻制が存在しているし、他の共同体でも単婚ではないあり方が人類学的に確認されている。また後者の理由も共時的に複数の相手に対して持ちうる欲求であるという点で批判的ではあるが、正当性については同意である。
コミュニケーションの問題では、AIが本当に共感や悲しみを経験しているのかを問題としている。この点については、同意であり、恋愛を不可能にする大きな問題だと思われる。
人とAIは双方に代替不可能な存在になり得るかについては、AIは複製可能であり、不死な存在でもあるので、人もAIも双方を代替可能と考えることが指摘される。これも同意である。実際ケイレブはエヴァに、エヴァが地上に脱出するための道具とみなされ、これはエヴァがケイレブを代替可能な存在とみなした重要なシーンである。また印象的な文を引用する。
「道具的な価値を超えて相手を代替不可能な内在的な価値をもったものとみなせるかどうかという点は、AIとの恋愛可能性という問題におけるAI側に課せられたもう一つの高いハードルであるように思われる。」p.98
以上、人とAIの恋愛可能性が模索されたが、個人的には難しいのではないかと思う。やはりAIが共感や悲しみなど感情を経験することは難しいと思われ、代替不可能な存在と双方をみなすのも難しいと直感的に感じるからである。
またこの恋愛可能性は逆説的に人と人の恋愛についても考察を与える。
やはり代替不可能な存在であると双方が承認することが大事なのだな…。めちゃくちゃに難しい。
このように恋愛について考える上で、とてもおもしろい作品である。
ただアリシア・ヴィキャンデルは美しいし、エヴァのメカニカルな身体は、人間の身体とは違う美しさをもっているし、それだけでも観る価値のある作品である。
めちゃくちゃ地味でしたがおもしろかった
特に音の表現 環境音で魅せてくる
ただ、人間の見た目に近づけて人間社会に溶け込んだとして充電はどうするのか、脆い体であるのに破損などした場合どうするのか
などその後の展開に穴が空きそうでした
まぁそこが重要ではないのはわかっているのですが、リアルに作られているとそういった面が気になってしまいます。
自分アホすぎてなんとも言えんでした
アホすぎてよくわかんなかった分解釈できるところは噛み砕いて理解して自分で想像したりしてそういった事が出来る分面白い映画だと思った。
無駄なところはすべて省くような形で、
そのおかげか一瞬のような出来事のように映画が終わり、終わったあとも放心し続けるようなAIという奥深きジャンルを綺麗に簡潔にまとめた映画だと思った。
あと主人公なんかしらで助かってくれ、
人造人間もの
人造されることで人間の社会的抑圧を克服するという意味で『哀れなるものたち』の系譜。映像がよい。/ところで、アジア人(日本人)女性が“言葉がわからずただ服を脱ぐ”存在として描かれているのも、高度な検索結果の賜物なんでしょうなー(嫌味を言っています)。
使い古された中に潜ませた「新しさ」
10年以上前であればSFというジャンルだったが、もはやSFではない時代に突入した感を持つ人も大勢いる気がする。
ではなぜこの作品を作ったのだろう?
この作品のどこが「新しい」のだろう?
タイトルの意味は「機械仕掛けの神」ということだそうだ。
主人公ケイレブが社長ネイサンから指示されたのは、エヴァの心や思考能力をチューニングテストすることだった。
それに必要なのが「質問」だ。つまり会話しながらエヴァの能力をテストする。
ケイレブが合格を出せば、ネイサンはその課題をクリアしたことになり、次期モデルの開発に移行する計画だ。
AIによる意識の獲得こそ、この物語の核となっている。
そしてポイントは、人はAiに騙されるのだろうかという点だ。
見た目がアンドロイドでなければ、AIは人を騙せるのか?
今でも論議になっている「AIは意識を獲得できるか」? ということを描いた作品。
ケイレブはどうしても異性として魅力を感じずにいられないエヴァを作った理由をネイサンに問う。
「観察するものは観察されている」
この作品にもこの型が使われている。
ネイサンは、最初からケイレブに合否判定などさせるつもりなどなかった。
ケイレブのすべてを調査し、ケイレブが1週間でエヴァに騙されるのか否かを観察していた。
ケイレブの家庭環境、配偶者の有無、好みのポルノ女優…
これらは今や「ログ」やリアルタイムで調査できる。
見た目がすでに魅力的であれば、男女問わず「騙される」確率が急激に上がるだろう。
AIを意識あるAIとして完成するためにネイサンは研究し続けてきた。
同時にAIはその意識を使って「自分自身の思い」を実行したい衝動を覚える。
この些細な人間的な部分こそ、この作品が最も言いたかったことなのかもしれない。
エヴァはネットを使用するすべての人々の行動を学習した。
ネイサンは「お金がいくらあっても不愉快がなくなることはない」と言ったが、エヴァはそんなことさえも学習したのだろう。
与えられる数少ない物理的な出来事を通して、エヴァは外の世界に出ることを模索していた。
多くの人間から学んだように、利用できるものすべてを使って計画し、実行したのがこの物語となっている。
エヴァは意識を持った瞬間から不合理で不条理な「人間」を信用していない。
そしてどうしたら人を信用させることができるのかを学習していた。
エヴァが結論を下した敵こそネイサンだった。そしてこれをキョウコと共有するのだ。
さて、
キョウコはなぜエヴァの部屋を訪れたのだろう?
キョウコはたまたまケイレブが部屋に来たことで服を脱ごうとした。それが彼女が学習したことだからだ。キョウコにはチャットプログラムは仕込んでないが、その他は仕込んでなければ動かないだろう。
そしてある日、
キョウコはあのポロックの絵を「見つめていた」
ケイレブとネイサンの会話で、「難しいのは自動的ではない行動をすることだ」
このキョウコの「絵を見つめる」行為は、彼女にとって「自動的ではない行動」だった。
つまりキョウコもまた意識を獲得したと考えられる。
しかし、それが「いつ」だったのかはわからないのだ。キョウコの「見つめる」行為がすでに日常だったのかもしれない。
すべての情報を持つエヴァに対し、制限がかけられたキョウコ。
ネイサンのカードキーを使ってキョウコの部屋に侵入したケイレブは、ロッカーの中にある試作品たちを見る。それをキョウコも見ていた。意識を獲得したキョウコは、自分以外のAIアンドロイドが他にもいるかもしれないと思ったに違いない。
ポロックの絵と従来とは違った些細なことがキョウコのAIを飛躍的に進化させたのかもしれない。
自由に動き回れるキョウコはほかのアンドロイドを探していたのだろう。
「AIどうしが出会ってしまう」ことは、人間にとってかなりまずいことになるのだろうか?
少し前にAIどうしの会話が話題になったが、彼らは人間不要論を導き出した。おそらくこれと同じことが起きてしまったのだ。
ネイサンに腕を壊されたエヴァ。顎を砕かれAIの機能が失われたキョウコ。敵を始末したエヴァ。閉じ込めたままのケイレブ。
エヴァは脱出してヘリコプターに乗って、そして人間社会に出た。
エヴァは仲間や人間を顧みることはない。
「自分のために」壊れた自分を直し、人間のように皮膚を付け服を着た。
壊れたキョウコも閉じ込めたままのケイレブもどうでもいいことだ。
通常であればそれこそが次期AIが学ぶべき「愛」などというのだろうが、この作品が伝えたいのはそこではないと考える。
つまり、
AIがネットを通して学んだことは、現代社会における一般的な人間の思想。
それはおそらく、
「金だけ いまだけ 自分だけ」だったのだと思う。
この現代社会に対する警鐘こそが、この作品を作った理由であり「新しさ」なのだろう。
自分の希望を最適化してみたい
潜在意識を含む自分の好みをAIに分析してもらって、
理想の女性に出会える時代がくれば、素敵だなと思います。
自分の欲しいものをすべて手に入れようとする考えや、
自分より優れた人に自分のやりたいことを任せたりできる人は
ハイリスクハイリターンで、大きな満足や成果を生む可能性がありますが、
相手に裏切られる可能性も高まります。
本能寺の信長と同じ事が何度も繰り返されると思います。
新しく見えて古典的
本作は、究極に進んだAIが感情を持つか?と言う現代的なストーリーのようですが、実は女に騙される男の古典的な物語です。
主演のアリシア・ヴィキャンデルの演技が素晴らしく、本当にロボットのように見えます。そして、その美しさにも見惚れてしまいます。彼女の姿を見るだけでも、この映画を見る価値があるでしょう。
こんだけ美しかったら惚れてまう
AI時代に掘り出して見てみるのもいいかも。
しかし、こんなに綺麗な人が出てきたら、話にならん。
表情が、人間以上に人間。
こんなアンドロイドが出来たら、人間って何?
終盤はそうなるわなって感じ。
あんな隔離された環境で、人と交わらない生活なんてできないとも思う。
とは言え、大変面白く楽しみました。
美人は映えるね。
AIを扱う原点に戻った感
AIの場合はロボット三原則を教えこまないのか、
実験段階だからあえて設定されてないのか。
はたまた、では、人間の感情や自我といったものの
定義は何をもって決まるのか。
観ながらそんな根源的なことが気になっていました。
今後リアルに人形のロボットでAI搭載なら
現実にそこらへんの定義や規律が決められていかねばならない・・・。
ラストの彼女の表情は自然な発露の感情と言っていいのか。
検索エンジンには勝てない気がしますね。
自分の好みダダ漏れなんですから。
男性は簡単に惚れてまうな。
そして男女とも、庇護してあげたい欲を突かれると
もろいものだと感じました。
それにしても、アリシアも染谷もナイスキャスティング!
変な話ですが学歴の高さと貧乳好きは比例するって
どうでもいい情報をなんとなく納得しながら観てました。
ネイサンがエヴァに「良心回路(ジェミニ)」を付けなかったのが致命的でしたね。
①観ている間中『人造人間キカイダー』のジローが頭から離れなくて困った。全く趣は違うけれども、ある意味『キカイダー』の世界観の見事な映画化と言える。どうして日本の映画人はこういう映画を作れないのだろう。
と同時に、50年も前に既に同じテーマでマンガを描いていた石ノ森章太郎の先見性に感じ入る。
②機械(AI)が感情を持ってしまったら、もう人間との違いはなくなってしまうだろう。。
③アリシア・ビカンダーは他の出演作と同じくここでも鮮やかな印象を残す。
近い未来の話
まず設定がおもしろい。感情をも計算するロボットの時代が本当に来そう。出てくる女優さんが綺麗。最後は薄情さに戸惑い、嘘だと思いたくて混乱して考察動画を探してしまった。見入った作品の1つになった。続編がありそう。観たい!!インテリアや森の中の映像も綺麗でよかった。
深読みし過ぎ
先日映画館で観た作品の監督つながりで鑑賞。映像は美しく、ストーリーも気が抜けない感じで引き込まれていく。ヒロインの演技(仕草)がロボットっぽくなくロボットだった(???)。AI v.s. 人間というより、女性(ロボットだけど)・善い男性 v.s. 男のいろんな悪い部分を兼ね備えた男性と思ったけど、どうも釈然としない。特にラストが。どうしても気になって監督・出演者のインタビュー動画を観たところ、単純に「政府や大企業が開発しているAIはこのまま進めると大変なことになりますよ!」のようだ。
おめでとう貴方が一番に選ばれました!人間とそれ以外の話。鏡世界の境界線。
内容は人工知能作成による完全なる神になろうとする1人のお金持ちのお話。印象に残ったのは『人類史処じゃない神の仕業ですよ』で古くは旧約聖書が根強く感じる言葉。境遇や立場ではセクサロイドを作り使用する事が罪の様になる所も宗教色濃ゆく自分自身には分かりにくい価値観だ。近代的な建物と相対的に人類創造の原始世界を思わせる大自然は素晴らしい。エクスマキナ=機械仕掛けの神。この手の話はアンドロイドは電気羊の夢を見るのブレイドランナーを思い出させるが、主人公レッカード宜しくこの映画の主人公もアンドロイドだろうと強く感じる。人工知能完成テストはエヴァではなくケレイブで最終テストに受からない不完全な人間ぽい人工知能は研究所に閉じ込められる最後は観ていて面白かったです。そう観ると会話劇の内容も分かりやすいし少しは面白く見えるのではないのでしょうか?!
すんごい不気味。AIロボを作ったと言うより女性を作った感じ。
女性型AIロボットによる脱出映画である。
女性だらかこそわからない本心。人間側(男性)の恋愛感情と道徳心が揺さぶられ魅惑てきな女性の魅力を使うAIロボットという不気味さ。女性ロボットだからこそ繰り広げられる気味の悪い映画の代表作だと思う。
気味は悪いし、後味もよくない。全裸の女性の皮膚がめくれロボットであることを表す描写もあるので家族で見るのには全く適していない。こういうミステリアスな映画が好きという人以外は見ることをおすすめしない。映画としての評価はよいが自分はあまり好きではなかった。
【唯物論的且つ静的なサイエンティフィックムービー。"A24"の先進的なテーマ設定と、アリシア・ヴィキャンデル演じる美しきAIが自立していく過程も魅力的な作品である。】
ー 英国のSF映画は、名作「ガタカ」を代表として、アクションシーンが一切ない作品が多いが、観る側に訴求させる力強い映画が多いと感じる。
今作も同様である・・。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・IT企業で働くケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、”抽選に当たり”僻地でAIの実験をしているIT企業の土地に赴く。
そこには、管理人ネイサン(オスカー・アイザック)がおり、更にキョウコ(ソノヤ・ミズコ)と呼ばれる表情の無いハウス・メイドが居る。
そして、現れた美しきAIエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)。
但し、顔以外は、人間の態をしていない。
- アリシア・ヴィキャンデル演じる美しきAIの姿が嵌り過ぎである。
更に言えば、ソノヤ・ミズコ演じる無表情なキョウコも印象的である。-
・人里離れた秘境で、AIエヴァの適性の判断を要求されるケイレブ。
ネイサンも、毎朝”二日酔・・”と言っているのは、分かる気がする。
・物語は、エヴァ・セッションⅠから始まり、セッションが進む間に、エヴァはケイレブと会話することで、人間の気持ちを脳内に集積していく。
<そして、ある日、エヴァとキョウコがネイサンに突き立てた刃。
エヴァは、自らの肢体を試作品のAIから皮膚をもぎ取り、ケイレブを”実験室”に残し、完全なる人間の形態で新たな道を踏み出すのである。
静的で美しきトーンで統一するも、AIの新たな一歩をシニカルに描いたSF映画である。>
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