「久々にスピルバーグらしい傑作」ブリッジ・オブ・スパイ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
久々にスピルバーグらしい傑作
スピルバーグの監督作は,フィクション系と実話系に大別できる。フィクション系の代表は「インディ・ジョーンズ」や「ジュラシック・パーク」などであり,実話系の代表は「シンドラーのリスト」や「リンカーン」などである。ハリウッドの映画の鉄則は観客を飽きさせてはならないということで,2時間の上映時間の中に,大きな盛り上がりを最低2回(多くは冒頭または中盤と終結),更に 30 分に1回の中程度の盛り上がり,さらには 15 分に1回の小さな盛り上がりというのが典型的なテンプレートで,その最も代表的な作例がインディ・ジョーンズである。これでもかというサービス満点の映画で,客は大満足して映画館を後にできる。一方,実話系の作品では多少のフィクションを盛り込んでストーリーに起伏を付ける程度は許されるが,全くなかったような話を映画の都合ででっち上げることもできないので,ハリウッドのテンプレートからは外れることになる。また,実話系の作品の場合,観客が映画館から持ち帰るのは満足ではなく感動である。
今作は前作「リンカーン」から3年を経て公開された監督作であり,実話系の作品が連続したことになる。今から 60 年近く前の 1957 年に,豪腕のアメリカ人弁護士が,その手腕を買われて,アメリカで捕まったソ連人スパイの弁護と,さらにはソ連で捕虜となったアメリカ人パイロットとの捕虜の交換に尽力する姿が描かれている。アメリカの社会が昔から自国本意でありがら建前上はどれほど公正で,それに対して冷戦時代のソ連や東独がどれほど非人道的な社会であったかを見事に描き出している。ソ連との交渉の場所は東ベルリンであり,時はまさにベルリンの壁が築かれ始めた時期である。
この壁は東独の国民が西側に逃走するのを防ぐためのもので,この壁が破壊されるのは実に 32 年も後のことであり,奇しくも私は壁崩壊の翌年に,国際学会での研究発表のためにドイツを訪れたことを懐かしく思い出した。私が訪れた時には壁は歴史的資料として僅か1枚を残して徹底的に破壊され,ブランデンブルク門の下をどちらからどちらに通り抜けるのも自由であったが,つい前年までは,それを行うと直ちに射殺されてしまっていたのである。旧東独側のホテルから,道路を1本挟んだ旧西独側のオペラ劇場の予約をするのに,国際電話をかける必要があった。
まず,ニューヨークでもベルリンでも,よくぞこれほどの当時の車やファッション,風物などを集めて雰囲気ある風景を再現してくれたものだと感嘆させられた。東ベルリンのシーンで出て来たパトカーは東独の国民車と言われたトラバントであり,この車が販売され始めたのはまさにこの物語の舞台となった 1957 年であるので,ピカピカの新車である。いかに 33 年間もモデルチェンジしなかった車だったとはいえ,この車が最後に生産されたのは 1991 年であるから,最も新しいものでも 25 年も前の車である。これを新車に仕立てたスタッフの苦労は察するに余りあるものであった。私がドイツを訪れた時には,旧東独側ではまだこのトラバントが普通に沢山走っていて,一歩旧西独側に移動すると,ベンツが同じくらい走っていたのがあまりに対照的で非常に印象的であった。
この映画の物語は,交渉というものの本質が,相手の弱点を発見してそこをピンポイントで突くのが最上の策であるということを見事に示した非常に物凄い話なのであるが,それをドヤ顔で見得を切るようなところがないので,かなりあっさりした印象を受ける。それを肩すかしと感じる人もいるだろうし,ほとんど起伏なく話が進む前半部分は,退屈に感じる客もいるだろう。実はこうしたハリウッド的な手法を捨てたところに実話系のスピルバーグ作品の醍醐味があるのだが,それを楽しめるかどうかというのは,偏に見る側の資質に左右されると思われる。つまり,この映画は,見る者によってかなり評価が変わると思われるのであるが,おそらく,アカデミー賞の選考委員には受けるのではないかという気がする。
トム・ハンクスの出演する映画に外れはないというのが私の持論なのだが,本作もその例に漏れなかった。実は私は彼と同い年で,彼の方が僅か 11 日私より早く生まれているだけなので,彼の映画を見る度にその姿とその時の自分の姿を比較して面白がっている。「Cast Away」で無人島生活を送る主人公を演じるために彼が 25 キロものダイエットをしてみせてくれた時には大いに焦ったりもした。(。。)☆\(vv;; この映画では,ハンクスに劣らない存在感を見せていたのがソ連側スパイのアベルを演じたマーク・ライアンスである。「不安か?」とハンクスに聞かれて「役に立つのか?」というやり取りが繰り返されたが,ハンクスの台詞は “You don’t seem alarmed” だったり ”You’re not worried” だったりしたのに対して,ライアンスの方の返事は毎回 “Would it help?” であった。今後使わせてもらおう。(V)o¥o(V)
音楽担当は John Williams が Star Wars で忙しかったためか,「ウォーリー」や「007 スカイフォール」を手がけた Thomas Newton であった。Williams に比べて控えめな彼らしい音楽で,物語を邪魔しない非常に優れた音楽だと思ったが,あまりにも耳に残らないのが残念であった。むしろ,この映画で印象的だったのは,拘置所に入れられたアベルが聞いていたラジオから流れて来ていたショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番の第2楽章であった。この曲もまた 1957 年の初演であるので,世界初演から間もない新曲だった訳だが,両端の楽章が非常に快活でエネルギッシュで,いわゆる社会的リアリズムに沿った曲風であるのに対し,この第2楽章だけは非常にロマンチックに書かれていて,少し前であれば反社会主義的として粛清対象にされかねないような音楽である。この背景には,作曲者が殺されるかもしれないと常に批判に怯えていたスターリンが4年前に亡くなり,さらに前年にはフルシチョフによってスターリン批判が行われて独裁者として糾弾され,遺骸がレーニン廟での冷凍保存を中止されて焼却され,遺灰がクレムリンの壁に塗り籠められるという結末を迎えたことから,批判に怯えずに好きな音楽を書ける喜びを謳歌しているように感じられる曲である。良くこういう選曲をするものだとそのセンスには脱帽である。
ベルリンの壁を越えようとする者がどういう結末を迎えるかを冷徹に描いた後で,アメリカの公園で塀を超えて遊ぶ子供たちを対比してみせるあたりの演出など,いかにもスピルバーグらしさが全開で,非常に見応えのある映画であった。興味深かったのは,最後のテロップで説明される後日談が驚異的だったことで,むしろそっちを映画にした方が凄かったのではと思わせられたが,敢えてこっちの題材を選ぶあたりもスピルバーグらしさなのかも知れないと思った。それにしても,この映画の主人公に交渉を依頼すれば,豚朝鮮ではなくて支那の方を動かして,拉致被害者を取り戻してくれたのではないだろうかと思えてならなかった。
(映像5+脚本4+役者5+音楽4+演出5)×4= 92 点。